この異世界には魔法がない(4)


   ◇◇◇


 それからの三年間。僕は異世界について勉強することにした。

 まず文字の読み書きを覚えた。この世界の言葉は日本語だ。というか日本語に聞こえる。だが文字はこの世界のもので、新たに覚える必要があった。マリーは五歳から始めたらしいが、僕は三歳から始めることにした。母さんに頼み込んで教えてもらったのだ。

 基本的に勉強は母さんが教えてくれるようだった。

 我が家、オーンスタイン家の血脈は長くつながっており、比較的に歴史がある家柄らしい。父さんも母さんも貴族として教育を施されているため、僕たちに色々なことを教えてくれていた。

 子供の身体だからか記憶力がよく、半年で簡単な読み書きは覚えた。マリーはまだ時間がかかりそうだったけど、僕は大人の記憶もあるため効率よく学習ができた。

 読み書き以外には一般教養を学んだ。生活に必要な知識を吸収するためだ。貨幣制度、簡単な法律、地理や歴史などが主だ。

 オーンスタイン家は、リスティア国の西部にあるエッテン地方に位置しているらしい。田舎のため、人口は少ない。その分、領地は広く、農業には向いているようだ。田舎だが一応、近くにはそれなりに大きい都市が一つだけある。まだ行ったことはない。父さんが許可してくれないからだ。危ないとかなんとか。

 とにかく家の中で知ることのできるものはできるだけ勉強した。そして知った。

 この世界には、やはり魔法が存在しないということを。魔法という言葉自体がないということを。

 父さんや母さんが知らないだけ、ということに望みをかけた。その可能性はある。世界は広いし、二人が知らない場所に魔法がある可能性もある。でも、それは考えにくいだろう。父さんは別の国の出で、しかも若い頃に各国を渡り歩いた経験があるらしい。その上で、魔法というものはどこの国にもないと言われたのだ。

 三年間、僕は必死だった。勉強した。行動した。それは執着だったと思う。諦められなかったのだ。魔法がないなんて、思いたくなかったのだ。でもわかってしまった。

 この世界には魔法はない。存在しないということを。

 それらしい情報もなかった。日に日に、少しずつ理解させられてしまう。

 そして六歳にして、僕は生きる目標を失ってしまった。

 もしも日本でまだ生きていたなら、漫然と生きて、人並みの幸せを見つけようとしたかもしれない。だって、僕は別に後悔していたわけじゃないんだ。ただ魔法のない人生に落胆していただけだ。

 でも僕は転生してしまった。異世界に転生して希望を持ってしまった。魔法が使えるかもしれないと思ったのだ。それが打ち砕かれた。二度も。

 僕には過去の記憶がある。子供の姿になっても、大人だった時の記憶があり、形成した人格はなくならない。結局僕は、僕のまま。夢想家の僕のままだった。

 この世界に魔法がないと理解してしまってから、僕は無気力になってしまった。何もやる気がなくなり、気がつけばぼーっとしており、表情も乏しくなった。

 会話も自分からはしない。

 今も、中庭で走る姉を見守るだけだ。

 八歳になっても同じことしてるな、この姉は。肉体的には成長しているはずなんだけど。

 僕も三年でかなり背が伸びた。身体も思うように動くようになっているし、身体能力も上がっている。でもそれがなんだというのか。そんなことに喜びを感じない。不便じゃなくなったな、程度のことだ。

「うおおお! よいしょおお!」

 姉は元気だ。叫びながら走り回り、最近では木剣を持って、素振りをしたりしている。どうやらマリーのマイブームは剣術らしい。女の子でも剣術が扱えた方がいざという時に助かるかもしれない、と思ったらしい父さんが、たまに手ほどきをしているようだ。

 女の子はおしとやかに、という世界ではないのだろうか。それとも父さんがそういう考え方をしているだけなんだろうか。

「はあはあ、あー、疲れた!」

 かなりの時間を走っていたマリーは、荒い息を整えながら僕の前まで移動してきた。

 もうマリーは八歳だ。僕は六歳。子供ではあるけれど、ただ走り回るばかりの年齢ではないと思う。だというのにマリーはずっと同じように走っている。剣を握っても走ることはやめない。

 しかし、どうしてそうも走るのかと聞いたことはない。だって子供だから、って理由で済むから。

 でもさすがに疑問を持ち始めていた。彼女はどうしてずっと走っているのか。どうして同じことを繰り返しているのか。それが楽しいのか。最近はそんなことを考えている。

 小さい頃に比べて、マリーの外見はかなり変わっている。女の子の成長は早い。まだ身長は百三十センチくらいだけど、女の子とわかるような成長をしている。

 スカート姿なので、たまに脚がのぞく。色気はないが、女の子らしさはあった。おしとやかにしなさいと言う両親だったら間違いなく怒られていただろう。

 ウチの両親は子供のことをよく見ているし、寛大だ。だからあまり怒るようなことはない。ただ、無茶をしたり怪我をしたり、誰かを傷つけたりしたら烈火の如く怒る。

「よいしょっと」

 マリーは僕の横に座って空を見上げている。それだけだ。彼女は何も言わない。僕が何を考えているのか、何を悩んでいるのか、聞いてきたことはない。

 それは両親も同じだ。ただ普通に接してくれている。

 この年齢の子供はわがままだし、かなり無茶をするという話も聞く。長男や長女は自己中心的な行動をとり、弟や妹はいじめられるのも常だ。けれど僕にはそんなことは一切なかった。

 僕はマリーの横顔を眺めた。整った顔立ちをしている。勝ち気で快活な彼女は、どこか勇ましくしい。僕にはないものをマリーは沢山持っている。

「ねぇ、姉さんはどうして、そんなに走ってるの?」

 マリーはうーんと唇をとがらせていた。何かを考えながら首をかしげていたが、やがて口を開く。

「お姉ちゃんだからねぇ」

「……よくわからないんだけど」

「うーん、ほら、何かあった時のために鍛えてるのよ」

 要領を得ない。走っている、剣術を学んでいる。その理由が何かあった時のため、ならばわかる。でもお姉ちゃんだから、という部分とは繋がっていないような気がする。

 マリーは会話が下手なわけではないけど、要点しか話さない時がある。彼女は勉強が苦手だけど、頭が悪いわけじゃない。

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