この異世界には魔法がない(3)

 マリーは、うんうんと頷きながら理解しようとしていた。ただ横顔を見ると、よくわかっていないことはわかった。

「父さんは領主なのに、いつも馬車でどこに行ってるの?」

「ああ、あれは領民の様子を見に行ったり、ついでに作物やらの運搬や、人の移動を手伝ったりしている。あとは買い出しだな。馬車を持っている人はあまりいないからだ。実際に村の様子を見ないとわからないことも多いし、私兵がいなくてな。部下らしい部下もいない。だから私が直接、視察しているわけだ。それに私はえき労働を廃止しようとしている。そのため、この地にはそういう農民はいない。その分、労働力が足りないし、比較的自由に動ける私が……」

 父さんはそこまで話して、はたと気づいた。

 僕の隣に座っているマリーがあんぐりと口を開けている。

 父さんは母さんにジト目を向けられ、こほんとせきをすると姿勢を正した。

「父さんは色々と、頑張ってるんだ!」

 はしょったな。しかしその言葉はマリーには適した言葉だったらしく、我に返ったようだった。

「なるほど! お父様は、すごいのね!」

「あ、あはは、そうだな。そうかもしれないな!」

 あはは、うふふと笑い合うだんらんの空間だったが、僕は諦めたように笑った。話が進まない。

 とにかく我が家は下級貴族で、ある程度裕福であるということはわかった。

 賦役労働って確か、農民とかの階級に対して、無給で働かせることだったっけか。もちろん、彼らには普通の仕事があるのにだ。それ以外の仕事をタダでやらせるというブラック思考の経営だ。

 父さんはその体制を是正しようとしているわけだ。タダで労働力を得る機会を手放しているのに、僕たちの生活は豊かなのだから、父さんはかなり優秀みたいだ。領民たちもしっかりした生活をしているんじゃないだろうか。

 さてもういいだろう。いいよね。我慢の限界だし。もう無理。

 僕ははやる思いを抑えきれずに口を開いた。

「あ、あの、父さん。他にも聞きたいことがあるんだけど……ま、魔物っている?」

「いるな。だからまだ外に出てはいけないぞ。お母さんから出るなと言われていると思うが、それは魔物が危険だからだ。人を襲うし、命が危ない。近づいてはいけない。もしも見たら、すぐに逃げて大人に助けを求めるようにしなさい」

 いるんだ! 魔物がいるんだ! っていうか魔物がいるから外に出ちゃいけなかったのか! 初めて聞いたよ! もっと早く教えてほしかったけど。

 僕はこうよう感を抱きつつ、身体が期待に打ち震えていることに気づいた。なんか緊張してきた。汗がにじんできた。心臓がすごくうるさい。でも、踏み出したからには進むしかない。というか進みたい。

「妖精とか、精霊とかいたりなんかして?」

「いるな。精霊は聞いたことがないが、妖精は確かにいる。希少だし、なかなか遭遇しないが。専門の調達業者はいるな。確か小さな人型の生物、いや、生物なのかどうかもまだわかってないとか。突然消えたり、現れたり、不思議な力を持っていると聞いたが」

 いるんだ! 妖精や精霊がいるんなら、もう確定だよね!

 何やら戸惑っている様子の父さんと母さん。

 隣のマリーは僕や両親を交互に見て、状況を理解していない様子。

 僕も前後不覚になって、状況がわかっていない。早く質問しよう。本題だ。

「じゃ、じゃあ、ま、ま、ま……魔法は!? 魔法はあるの!?」

 思わず僕は椅子に立って、そのまま身を乗り出した。テーブルに両手をつき、顔を突き出して、父さんの顔を見つめる。あまりの勢いに、父さんはうろたえていた。

「ま、魔法?」

「そう! 魔法! 火とか水とか風とか光とか、色んなものを出したりする魔法!」

 父さんは母さんと顔を見合わせる。困惑していることはわかった。自分が何かまずいことを言ったんじゃないかということも。でも止められなかったのだ。だってずっと我慢していたのだ。この三年間。いや、三十年間以上も。

「ないな」

「ない……?」

 現実は無慈悲だった。父さんは困ったように首を振る。その様子が、ゆっくりに感じられた。

 え? ないの? 魔法が?

「魔法という言葉も聞いたことがない」

「……そ、それはお父さんが聞いたことがない、ということではなく?」

「私が知らないこともあるだろう。だが、私もそれなりに教養がある。少なくとも魔法なんてものは一般的には知られていないし、そんな話は聞いたこともない」

 父さんは貴族。この文明レベルならば、貴族は多少の教育を受けているはず。平民ではそうはいかないだろうが、貴族ならば勉強する機会が与えられる。つまり貴族はこの世界ではかなりの識者であるということ。

 もちろん専門的なことは知らないだろう。だが、もしも魔法が存在するのであれば、そういう能力や現象があるという程度のことは知っているはずだ。けれど父さんは知らない。ということは本当に魔法が存在しない?

 うそだろ。嘘だよな。じゃあ、どうして僕はここにいるんだ。

 僕が転生したのは、ただの偶然なのか。僕が純粋に魔法を使いたいと望み続けていたから、そのご褒美だと思っていたのに。それは勘違いだったのだ。僕は何の意味もなく、ただ魔法の存在しない世界に転生しただけだったのだ。

 僕は落胆し、椅子に座った。

「シオン。魔物や妖精、その魔法とやらをどこで知ったんだ? エマは話していないはずだが」

「え、ええ。話してない、と思うけれど……」

 三歳の子供。しかもほとんど外に出ていない子供が、知っているはずがない。この家には本がない。そもそもこの世界に本がどのくらいあるのかもわからないけれど。だから外の情報は母さんか父さんからしか得られない。その二人が知らない言葉を知っている。その二人が話していないことを知っている。そこに疑問を持たないはずがない。

「シオン。どこで話を聞いたんだ? 話しなさい。大人と話したのか? お母さんがいない時に、誰かが来たんじゃないのか? どんな人だった? 男か女か?」

 いつもと違い、厳しい口調だった。僕は強い落胆の中で、まともに頭が働かない。

 母さんも父さんも話していないのに、外の世界の情報を知っているということは、別の誰かから聞いたんじゃないかと思ったのだろう。

 僕は答える気力を持てず、ぼうぜんとしてしまう。

 父さんが焦り始めていた。話せないことなのかと思ったんだろう。それが手に取るようにわかって、申し訳ない気持ちを抱きつつも、心は項垂うなだれたままだった。

 なおも、父さんが詰問しようとした時、パンという乾いた音が聞こえた。母さんが手をたたいたようだった。

「思い出したわよぉ。わたしが、外には魔物がいて危ないって話したんだったわぁ。それに妖精のことも、何かの拍子に話したかもしれないわね」

「魔法とやらは?」

「さあ? 子供の言うことなんて、大人にはわからないもの。子供はおかしなことを言うものよ。夢にでも出てきたのかもしれないわね。いつもわたしと一緒にいるんだもの。他の人と話したなんてことはないわよ」

 半分は本当で半分は嘘だ。母さんは僕をかばってくれたらしい。

 でも、実際、僕が他人と話すような機会はないし、母さんからすれば問題はないと思ってのことかもしれない。それでもありがたかった。

「……そうか。ならいいんだが」

 父さんは心配そうに僕を見ていた。そう、心配していたのだ。威圧的に感じたけれど、それは僕のことを思っての行動だ。それに胸を痛めはしても、言葉にはならない。

「ささっ! そろそろお片づけしましょう!」

 母さんは食器を片づけ始める。

 僕はうつむいたまま、食卓を離れた。隣にいたマリーはおろおろとして、僕の後についてくる。居間を出て、自分の部屋に向かう最中、マリーはおずおずと言った。

「シオン、大丈夫……?」

「え?」

「顔色悪いから……お腹痛いの?」

 言われて、少しだけ感覚が戻ってきた。鏡がないのでわからないけれど、僕の顔は青白いらしい。

 ショックだった。魔法がないなんて。魔法を使うことだけが楽しみだったのに。

「……ううん、大丈夫」

「そ、そっか」

 マリーはそれ以上何も言わず、僕の隣を歩いていた。

 気遣いが伝わる。五歳の女の子が、僕を心配している。その気持ちを理解しつつも、僕は元気な姿を見せることができなかった。

 だってこの異世界には魔法がないんだから。

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