この異世界には魔法がない(2)


   ◇◇◇


 二年が経過するとできることが増えてくる。まず簡単な言葉を話すことができるようになる。僕自体は言葉を知っているが、この身体は滑舌が悪く、脳の回転も遅いらしい。そのためなんというか、理性的な行動全般が難しい。欲望に任せた行動は簡単にできるのに不思議だ。

 ハイハイができるようになり、二足歩行も可能になる。ちなみに最初に話した言葉は「お米」だった。食べたかったんだからしょうがない。ここにはパンしかないし。

 そうして三歳を過ぎると家中が自分の活動範囲になる。

 僕の家はかなり広かった。二階建てで、部屋数は八つ。普段使ってない部屋もあって、台所もかなり充実している。もちろん現代に比べると粗末だが、この文明レベルの世界ではかなり裕福な方だと思う。家柄がいいんだろう。どれくらいの地位なのかはまだわからないけれど。

 家を出ると中庭もある。周辺に家はないので、結構な田舎らしい。家族以外と会ったことは今のところはないけど、近くに村があるということは知っている。

 木造建築で窓ガラスはあるけど、品質は良くない。食器は基本的に陶器か木製。銀食器もあるけど数は少ない。服は欧州の中世みたいな感じだ。

 僕の髪は燃えるような赤で、マリーの赤橙色や母さんの茶色とはちょっと違う感じ。顔立ちは完全に外国人。整っている方だと思うけど、ちょっと目つきが悪いかもしれない。表情の変化に乏しいから余計に、生意気な感じに見える。

 そんなことをぼんやり考えながら、僕はマリーが中庭を駆け回っている様子を眺めていた。子供ってなんであんなに走るんだろうか。謎だ。

 玄関前の階段に座っていると、マリーがこちらに走り寄ってきた。

「シオン! 一緒にあそぼ!」

「……走るの?」

「そう! 走るの!」

 五歳にして、走ることがマイブームの僕の姉は、満面の笑みで言った。

 どうしよう。僕は元々インドア派だ。運動はあまり好きではないし、三歳にして、ちょっと老成気味だ。できるならお断りしたいが、目をキラキラさせている我が姉に言っても聞かないだろう。

 しょうがないとばかりに立ち上がると、マリーの横に並んだ。

「いくわよ! せーの!」

 二人して一斉に走り始めた。三歳の僕と五歳のマリー。体格は全く違うし、筋力も圧倒的にあちらが上だ。当然、僕が勝てるはずもなく、どんどん距離が広がる。

 マリーの背中を追って駆ける。三歳にもなれば走るくらいはできる。おぼつかないけどね。

 ぐるっと中庭を回ると、マリーが立ち止まった。

「あたしの勝ち! シオン、おっそいわよ!」

「ね、姉さんが速いんだよ」

「そう? ふふふ、まっ、お姉ちゃんだからねっ!」

 したり顔の我が姉を前に、僕は可愛かわいい奴だなと思うだけだ。

 マリーはおだてると素直に喜ぶし、嫌なことがあるとすぐに顔に出す。わかりやすい性格のようだ。子供にしてもそれが顕著だと思う。

 不意にマリーが正門の方に、ぐいっと首を動かした。

「お父様だわ!」

 何を嗅ぎつけたのか、正門に向かいダダッと走っていくマリー。

 まだ走るのかとへきえきしながらも、僕も後に続いた。

 ひづめの音が響き、金属の擦過音と共に門が開く。馬車が姿を現して、中庭を通り、玄関前で止まった。ほろがある荷台だ。今は何も積まれていない。

 御者台にはダンディなひげを生やした男性が乗っていた。彼は僕の父さんで、ガウェインという名前だ。マリーと同じ、赤橙の髪色をしている。髪はやや短めに切りそろえられていて紳士的な見目だ。

 父さんが馬車から降りてくると、マリーが飛びついた。

「おかえりなさい!」

「はっはっは、ただいま、マリー。相変わらず元気だな」

「うんっ! マリーね、髪の色と同じでお日様みたいに元気だね、って言われるの!」

「そうかそうか。はははっ!」

 父さんは嬉しそうに笑い、マリーの頭を撫でる。

 するとマリーは嬉しそうに目を細めた。猫みたいだな。

 僕はといえば、近くでたたずんだまま二人の様子を眺めている。さすがに抱きつくのは抵抗がある。というかそんなのできないでしょ、僕三十歳過ぎのおっさんだし。

 父さんはマリーを抱きかかえながら僕の前までやってくる。

「おかえりなさい、父さん」

「ただいま、シオン。相変わらず、しっかりしているな」

「そんなことないよ。姉さんの方がしっかりしてるよ」

 よいしょである。我が姉は、したり顔で鼻息を荒くしていた。

「さて、お父さんは馬車を直してくるな」

 父さんは馬車に乗って、庭の端にあるきゅうしゃに移動していった。

 父さんがどんな仕事をしているのか、具体的にはわからない。他にも僕が知らないことは山ほどある。この世界のことも、魔法のことも。

 そろそろ色々と知りたい。ある程度は自由に動けるし、話せるようにもなった。それに『年齢の割に、かなり落ち着いている』という印象を与えることにも成功している。これならばある程度、大人びたことをしても疑問を持たれないだろう。まだ三歳なので限界はあるけれど。

 魔法やこの世界のことを調べるにはやや早いかもしれないが、そろそろ我慢の限界でもある。生まれて間もなく、いきなり魔法のことを話したりしたら、いぶかしがられると思ったので、今まで黙っていた。今日から少しずつ、聞くとしよう。


   ◇◇◇


 僕たち、家族四人は食卓についていた。テーブルの上には皿が並んでいる。

 この世界の食事は簡素だ。大体は硬いパンとスープがあり、後は肉か魚があるくらい。多少のバリエーションはあっても、ほぼ同じようなラインナップだ。かなり飽きる。でもぜいたくは言えない。

 さて食事も終わったし、そろそろ話を聞こうかな。

「あの、父さんってどんなお仕事をしてるの?」

「ふむ、まだ話していなかったな。丁度いい。マリーにも、きちんと話しておかないといけないからな」

 マリーにも話していなかったらしい。

 横目でマリーを見ると、お腹一杯だぁ、といった顔をしている。この姉ならば、話をまともに聞きそうにないし、しょうがないかもしれない。五歳って、こんなもんなんだろうか。

「マリー聞きたい! よくわかんないけど!」

「僕も聞きたい」

 僕とマリーが言うと父さんはおうよううなずいた。

「マリー、シオン。私たちはね、下級貴族と言われる、この辺りを統治している領主なんだ」

 おっと、最初でいきなりつまずいたぞ。我が姉は目をパチパチとしているだけで、明らかに理解していない。

「あなた。それじゃわからないわ。もっと柔らかく言わないと」

「近くに住んでいる人たちのお世話をしてあげるお仕事ってことだよね?」

 僕が言うと、父さんも母さんも驚いたように目を見開いていた。

「あ、ああ、そうだ。シオンは賢いな」

「うふふ、将来有望ね」

「あ、あたしもわかるもん!」

 両親が僕を褒めるとマリーが負けじと声を上げる。別に褒められたくて言ったわけじゃないけど。

「ふふ、そうね。マリーも賢いわ。でも、今はお父様のお話を聞きましょうね」

「むっ! わ、わかったよぉ」

 明らかに不満顔だったが、マリーは口を閉じた。

「シオンが言った通り、近辺に住む人たちの世話をするのが、私の仕事だ。その人たちを領民、私の立場を領主と呼ぶわけだ。具体的には、領民が困っていたら助けたり、お金をもらって、国に渡したりする。貴族というのは、何と言えばいいか……ほんのちょっとだけ偉い人、だな。下級貴族は貴族の中でも一番下の、ちょっとだけ偉い人だ」

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