第14話 逃げたくない

 二年生の夏休み、二人で映画に行く約束をした。しかし当日、待ち合わせの時間に美羽は来なかった。

 その日は文字通りの真夏日で、午前中から昼にかけて厳しい暑さが続いていた。


 初子は携帯電話を持っていない。公衆電話で美羽に電話を掛けつつ、駅の前で待ち続けて三時間が過ぎた。そうして初子は熱中症で倒れ、近隣にいた人によって近くの病院に運ばれた。


 幸いなことに症状自体は軽度だったので、病院の待合室で治療を受けた。病院から出された甘さのないスポーツドリンクを飲んでいると、初子の母が青ざめた顔で駆け込んできた。初子を助けてくれた初老の女性と看護婦に謝り倒すと、開口一番説教をかます。


「もう、なんで暑い場所に三時間もいたのよ!」

「だって美羽ちゃんが待っててって言うから」


 公衆電話から何度も美羽の携帯に連絡したが、そのうち二回だけ出て「待ってて」と言うだけだった。

 そうしているうちに財布の中の十円玉を切らしてしまった。百円を使うのはどうしてももったいなかったし、美羽は遅刻魔なので粘り強く待とうと思ったのだ。初子としてはもう少し労いの言葉を掛けて欲しかったところである。

 煮え切らない答えに母はため息を吐くと、バッグから携帯電話を引っ張り出した。


「坂崎さんちの番号教えてくれる? お母さん掛けるから」

「何を話すの? お母さん怒るの?」

「怒らないわよ、ただ坂崎さんちにこの状況を伝えておくだけ。うちの子が倒れたって!」


 母の剣幕に押されて初子はメモ帳を取り出すと番号を書き留める。母はそのメモ紙をむしり取ると、病院の外で電話を掛け始めた。母は幼い弟と妹の面倒を見ながらパートの仕事もこなす、明るくエネルギッシュな性格だが若干怒りっぽく短気なところもある。遠くのガラス越しに見える母の背中を眺めながら、母同士が喧嘩しないように、とまだ火照りが残る頭で祈った。


 結局、母に連れられて家に帰った。映画はもちろんお預けだ。


「初子が倒れた件、坂崎さんのお母さんに伝えといたわ」

「……そう」


 帰りの道中、頭に冷却シートを貼って日傘を差して自転車を引く母の横を歩いた。もうだいぶ日差しは弱くなっていたが、母が日傘を差せとうるさかった。


「ねえ、お母さん思うんだけど、坂崎さんちは普通の家じゃないかもしれない。電話口でも人の娘が倒れたってのにまるで無興味な感じだったわ。ハイハイごめんなさいって力の篭ってない返事ばかりされて」


 美羽の家が普通じゃないなんてこと、結構前からわかっていた。でも普通ってなんだろう。初子は常々わからない。多分自分も普通じゃないのだろう。


「まあ、変わったところがあるのは知ってるけど」


 力なく返す。母はその後も次々と坂崎家への不信感を並べたてる。美羽の両親に小学生の時初子が大いに世話になったのは重々わかっている。だけど美羽の両親は最近父母会や学校の集まりにほぼ顔を出さないし、よくない噂も耳にすると言う。


「さすがにお母さんは初子が心配よ。美羽ちゃん学校休みがちなんだし、あの子とつるむのやめた方がいいんじゃないの?」

「勝手なこと言わないで!」


 思わず声を張り上げてしまった。何も知らないのに、噂で聞き知ったレベルの情報で大人達は体よく物事を収めようとしてくる。

 初子は今の状況を母に相談しようかと何度も考えていたが、それを美羽に伝えたところ激しく嫌がられた。大人には絶対に言わないで欲しい、リストカットしてることもいじめに遭っていることも、きっと理解してくれないからと。

 そして、今ので確信した。母に相談したら、絶対に美羽と今後も友人関係を続けていくことを反対してくるだろう。そうなったら面倒だ。


「美羽ちゃんとは、あとで私がきちんと話する……だからそういうこと言わないで。お願い」


 全く説得力がないけどもうそれしか言えない。しかし、その言葉で母は引き下がってくれた。


「わかった。そう言うならお母さんも、もうなにも言わない。初子の人生だから、初子の好きにするといい。でも、本当に危ないと思ったら助けを求めるのよ。お母さんでもお父さんでも、先生でもいいから」


 母と会話がなくなり、無言で家に帰った。泣きたかったけど泣かなかった。泣いたらやっぱり辛いと感じているんだと思われてしまう。


 初子はまだ夢を諦めたくなかった。美羽と二人で物語を作る人になりたい。勇気出して見せた自分の創作物。二人で話し合って物語を作っていくあの時間が、初子の十四年の人生の中で最も楽しかった瞬間だった。だから美羽から逃げたくない。

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