第9話 きっかけ
夏休みが来て、二人は一緒に創作を始めた。
美羽のイラストに合わせて初子が物語の序盤の展開を作り、それをちょっとだけと見せたところ美羽はとても喜んだ。さらに美羽がアイデアを出してくれて、初子はそれを文章で書き起こす。気が付けば美羽がキャラクターのイラストを次々と描き始め、初子はさらに先の物語まで考えるようになった。
少女が異世界で世界を懸けて戦うファンタジー
田舎のバンドマンが、かわいいガールズバンドと出会う青春物語
死神の少女が魂を回収する短編集
どれもこれもどこかで見たことがあるような内容だった。
でも二人にとっては意見をぶつけ合い、初めての作品が出来上がっていく過程がとても刺激的でわくわくした。
「ねえねえ、私たちってさ、二人でなら漫画家になれるんじゃないかな?」
ある日そう言い出したのは初子だ。美羽は絵を描く手を止めずに返す。
「二人で漫画家ってどうやってやるの?」
「私がシナリオを作って、美羽ちゃんが絵を描くの!」
「もう、それじゃあこれからは初子が全部シナリオを作ってよね。私に相談しないで」
「美羽ちゃんにもそこは協力して欲しいよ。だって美羽ちゃんが考えるストーリーってとっても面白いよ!」
初子の言葉に美羽の手が止まる。少し顔を上げたとき、美羽は気恥ずかしそうに、でも嬉しそうな顔をしていた。
「そうだね、そんな将来の夢もいいかも」
美羽のそんな返事が聞けた時、初子は嬉しかった。
その後の生活は、どんな出来事も漫画に活かせるのではないかと、ネタ集めのアンテナを張り巡らせて過ごす日々だった。ちょっと苦手なホラー映画でも、億劫なお墓詣りでも、それがネタになるかもしれないと感じてとりあえず見たり聞いたりした。
それだけで毎日が楽しくて、気がつけば初子はクラスでいつもぼんやりしている浮いた存在になっていた。
授業中に背後からケシカスの塊を投げつけられ、休み時間明けにペンケースが見つからなくなった時もあった。
でも怒ったり悲しんだりリアクションをしてしまったら相手の思惑通りになってしまう。なんとか平然を装い気にしないよう努めた。
この前の教科書も掃除用具入れの中だったし、探せばきっと出てくる。そう言い聞かせて水が溜まったバケツに放り込まれた筆記具を一本一本ティッシュで拭いた。
中一の秋、文化祭の自由時間は二人で回ることにした。
お昼ご飯にからみ餅ときなこ餅のパックをそれぞれ買って二人で食べた後、有志の集まりで開いていた美術同好会の展示を見に行って、PTAが催すフリーマーケットを物色した。
古本市が行われていて、様々な本が百円で並ぶ。初子は表紙にかわいいイラストが装丁された文庫本を一冊買うことにした。会計を済ませて戻ると、美羽が一冊の本を手に取り見つめていた。その目の色の違いに初子はすぐに気が付いた。
「初子、凄くいい本見つけちゃった」
初子の視線に気づいた美羽が本の表紙を見せてくる。本のタイトルは『完全自殺マニュアル』 初子は目を疑った。
「え、美羽ちゃんそれ買うの?」
「うん、だって百円だし」
「ホントに? だってそれ自殺って」
「資料よ資料。漫画作りのヒントになるかもじゃん」
美羽はそのまま会計の列に並ぶ。いろんなことに興味を持つことが漫画家への第一歩だ、『漫画の書き方』の本にそうあったような。でも、自殺の方法は資料になるのだろうか。ミステリーや殺人事件を描く予定は今のところないけれど。
そうして不穏な予感は数ヶ月後に現実となる。
休み時間、美羽は冬の冷え切った廊下で初子を待ち伏せしていた。興奮気味に携帯電話の画面で見せられたのは、切った自身の手首だった。カッターナイフでやったという切り傷が三本、赤い血が生々しく滲んでいる。
「大丈夫、リスカじゃ死なないよ」
美羽は戸惑う初子を見て嬉しそうだ。初子の手を取ると手首の血管を指さす。
「この写真で切ってるのはここ。動脈っていって、奥の方に静脈って血管があるの。こっちを切らなきゃ死なない」
わかりやすい解説だけど、初子はそれよりも美羽の手首のリストバンドが気になって仕方なかった。
「でも、切るの痛いでしょ。怖くなかったの?」
「最初怖かったけど、しっかり氷で冷やして感覚を失くして、冷蔵庫に入ってたジュースみたいなお酒飲んでやってみたら気分がスッとしたの。痛いし血が出るけど生きてるって感じた」
初子は何も共感できず、無言で美羽の話を聞いていた。打つ相づちすらも出てこない。
「人によっては手首より上の腕だったり、太ももを切るんだって。切る場所を変えたらもっともっとたくさん血が出るらしいの。それに、これ見せたらお母さん、血相変えて私のこと心配してきたの。今まで無視だったくせに!」
美羽は下を向き、肩を上下させながら小さく笑い出す。目を疑った。親友が手首を切って喜んでいる。
「そ、そりゃあ心配するよ! あたしだって美羽ちゃんの事心配になる、こんな風に笑うことじゃないでしょ!」
初子の反応に、美羽は満足げに微笑む。
「……大丈夫、死なないって。でも、そうやって私のこと怒るの、もう初子くらいだよ」
次の授業の開始を告げるチャイムが鳴って、美羽は挨拶もそこそこに自分の教室へと踵を返す。初子は呆然としたまま廊下に取り残されてしまった。全身に鳥肌が立っていたが、廊下が寒いからなのかはわからなかった。
美羽が家族から無視されていたことを、このとき初子は初めて知った。
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