第5話 条件
シリウスはカウンターから出ると、壁に掛けられている三枚の絵の前に向かった。先ほどと変わらず、青い空と青い海が額縁の中に広がる。
「海の神様……
目の前の三枚の絵がぐにゃりと歪み始め、それぞれ別の光景が映し出される。
「条件はこの三つのようだね。初子ちゃんは明日もこの島にいるんだよね?」
「はい、二泊三日だから、明後日帰る予定です」
「なら十分だ、明日の丑三つ時までにこの三条件をクリアしてこの場所に戻ってくるんだ。そしたら君の願いを叶えてあげよう」
「本当に!?」
初子も席から立つとシリウスの側まで寄って、絵画の中を覗き込んだ。目の前の三枚の絵には左から小さい青い花を持つ植物、中央にはうさぎの人形、右には赤いポストが映されている。先ほどの絵とは違う、写真のような鮮明さだ。
「左の絵は藍墨だね。山岳部に自生してるこの島にしかない植物だ。この植物から取れる青い色彩をワタツミ様はとても気に入っていて、絵の具の素材を取って来て欲しいようだ」
絵に使われている青い色素の原料がこの葉らしい。初子は言われるがままに頷く。
「中央の絵はうさぎの人形かな? 僕はこれ見覚えがないなあ」
「私これ知ってます。ホテルの近くのおみやげ屋さんで売ってました。恋愛成就の御守りだって」
「ほお、ということは小桜さんにあやかったんだね。まったく商売上手だ」
「小桜さん……?」
「ああ、この島にはうちも含めて三ヶ所寺社があるんだ。その中でも島の西側の山頂にあって、恋愛成就のご利益で有名なのが小桜観音。小桜様目当てでこの島に来る観光客も結構いるんだろ? 僕は知らないけど」
初子は旅行前にネットで調べたとき、恋愛成就のご利益で人気のパワースポットとして小桜観音が紹介されていたのを思い出した。
「きっとこの島の今の流行をチェックしたいんだろう。人の願望は時代によって様々だから、日々リサーチが大切なのさ」
シリウスの視点は一番右の絵に移る。海の上に佇む赤いポスト。
「このポストは島の北東の海岸にある。目立つからすぐにわかるよ。ワタツミ様宛の手紙がいつもこのポストに届けられるから、取ってきて欲しいってとこだね」
「神様に手紙が来るんですか?」
神様に手紙。まったく繋がる気がしない。
「ああ、来るよ。実はインターネットでワタツミ様にお願いしたいことを募集してみたんだ」
「インターネット!?」
神様がインターネットを使うのか? 初子が質問する前に、シリウスは言った。
「島の図書館にパソコンがあるんだ。あれは本当に便利だよね。初子ちゃんは自力でここまで来たけど、そうじゃない人もたくさんいる。そういった人たちの願いがポストに届くってわけさ」
「あのー、インターネットを使うなら手紙ではなくてメールでもいいんじゃないですか?」
「それも考えたんだけどねえ。この場所にネットが繋がればパソコンを導入してもいいんじゃないかって検討中だよ」
三つの条件はどれも単純なもので、明日中に簡単に達成できそうだ。初子は忘れないようにと頭で条件を反芻する。メモ帳も携帯電話も持って来なかったことを後悔した。
「どれもおつかいみたいなものですね」
「そうだね、ここは神社だから、お供え物してくれる人やおつかいしてくれる人がいれば贔屓にしてくれたりするのさ」
「そういうものなんですか?」
「ああ」
肯定されてもすんなり納得できなかった。目の前に不思議なことばかりが起きている。
「なんだい? 不明な点でもあるのかな?」
腑に落ちていないのを見抜かれてしまったのか、シリウスが問いかけてくる。不思議な喫茶店も、流行が好きな神様も、願いを叶えるための条件も、今横にいるシリウスという人物も。疑問に思えば思うほど、全部が噓くさく感じた。
「シリウスさん、私わからないことだらけで……『ワタツミ様』自身はどこにいるんですか? あなたはどういう存在なんですか?」
「それから、」と初子が言い掛けたところシリウスが割り込む。
「君の目的はなんだい?」
シリウスは屈んで初子の両肩に手を置くと、無理矢理同じ目線で顔を見る。
「友達の病気を治すことで、余計なこと考えてる場合じゃないんだろ?」
その通りではあるけれど。初子は言われるがままに首を縦に振る。
「だったら余計な詮索は必要ない。君は自分の願い以外どうでもいいんだから」
シリウスは初子からふらりと離れると、カウンター席にあったマッチ箱を手に取って弄ぶ。
そして再び近づくと、後ずさりしそうになった初子の手首を無理矢理掴んで、手の中にマッチ箱を握らせた。
「ただひとつ教えてあげよう、これは現実だよ」
目の前の景色がぐるぐると歪み始める。シリウスがいつの間にか遠くに離れていく。
「じゃあ、また明日ねー」
何が起こったのかしっかり理解できない。それは本当に一瞬の出来事だった。
※
「……あれ?」
気がつくと、そこは先ほどまでいた喫茶店ではなかった。
初子は夜のひんやりとした砂浜の上にぺたりと座り込んでいた。左を向けば海が穏やか波打っていて、頭上には星が見える。
手の中にはマッチ箱が握られたままだった。
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