第4話 初子の願い

「ってことは美羽ちゃんの病気を治してくれるんですか!? 私がここまで来れたってことは、そういうことですよね?」

「君の願いのままに言うならその通りだね。でもその友達についてくわしい話をちゃんと聞きたいな」


 シリウスはキッチンの戸棚から丸い筒状の缶を取り出すと、中からコーヒー豆をスプーン一杯掬い取りミルにいれた。


「話を聞くときはやっぱり挽きたてのコーヒーに限ると思ってね。まあ急がずゆるりと話そうよ」


 豆をミルでガリガリ挽く音を聞きながら、初子は飲めないコーヒーをどう断ろうか考えていたら、「あ、これは僕のだから気にしないで」とシリウスに言われてしまった。少し恥ずかしくなってしまい思わず下を向く。そんなにわかりやすい表情をしていたとは思わなかった。


「で、その友達の美羽ちゃんはどんな病気なんだい?」


 挽いた豆に少しずつお湯を注ぎながらシリウスは初子に問う。店内がコーヒーの香りで満たされていく。


「それは……」


 うまく説明できるかわからないけど話すしかない。初子はなんとか腹を括る。


「美羽ちゃんは心の病気なんです。それで今、入院してるんです」

「そうか、それは厄介だね」


 シリウスは初子の鬼気迫った言葉にも特段驚く事もなく、落ち着いた様子で聞いていた。


「美羽ちゃん学校でいじめられてたんです。声が他の子より少し高いからってだけの理由で。そうやって辛い思いをしてたとき、両親が離婚してしまって……」

「それで、心が病んでしまったのか」

「はい、美羽ちゃんは全部自分のせいだと思ってるんです。離婚の少し前によく両親と喧嘩したり夜遅くまで帰らなかったりしたらしくて」

「うーん、でもその美羽ちゃんも君と同じ中学生だろ? ちょうど反抗期だろうし子どもの非行が原因で親は離婚しないと思うけどな」

「そう! 離婚は美羽ちゃんのせいじゃないんです!」


 初子は熱くなって思わずカウンターに勢いよく手を付いた。クリームソーダがテーブルで揺れる。


「まあまあ落ち着いて。クリームソーダをどうぞ。ほら、アイスが溶けちゃってるよ」


 シリウスに諭されて、初子はクリームソーダのストローに口を付けた。作り物みたいなメロン味とバニラアイスが口の中で混ざり合う。シリウスはその間淹れたてのコーヒーを磨いたカップに注ぎ、ひと口啜る。


「君は友達が苦しむのを見ていられないんだ。でも心の病気はすぐに治せるものじゃない。だからここまで来た、と」

「はい……たまたまこの島に家族で旅行に行くことになって、インターネットで調べたらこういう場所があるって知ったんです」


 夜の海辺が危険なのはわかっていた。それでも少しでもなにか効果があるならと、勇気を振り絞って家族が寝静まった後、ホテルの部屋を抜け出してきた。こんなところにたどり着くとは思ってもみなかったが。


「そうか、初子ちゃんは優しいね」


 シリウスの労うような優しい言葉に初子は思わず涙が出そうになる。しかし、次の言葉でそれが引っ込んだ。


「でも彼女の病気が治ることで、君にはなにか得になることがあるのかい?」

「得?」

「親友と言えど身内でもないただの他人じゃないか。その子の病気を治したいだなんて」

「だって私、絵がうまくて面白くて可愛い美羽ちゃんに憧れてるから、大人になってもずっと友達でいたいんです」

「彼女が病気のままだったら、憧れられないし大人になってもずっと友達でいられないってことかい?」

「……そういうことじゃあ」


 親友を助けたいだなんて、おかしな点はひとつもない願いだと思う。しかしその後の言葉が見当たらず、沈黙しているとシリウスは追い打ちをかけるように問う。


「初子ちゃん、僕は君の本当の願いを知りたいんだよ」

「私、嘘なんてついてないです!」

「君が嘘をついてるなんて言ってないじゃないか」


 シリウスはカウンター越しに初子の顔をまじまじ覗き込む。試されているのかもしれないと思った初子はシリウスの顔を負けじと見つめ返す。目を逸らしたら負けな気がした。

 よく見たらシリウスの目は藍色だった。晴れた日の海よりもずっとずっと濃い吸い込まれそうな青。



「君はまだ気がついていないんだ、君の本当の願いに」



 その一言を聞いて現実に引き戻されたように初子は我に返る。先ほどまで自分の中たぎっていた闘争心はすっかり落ち着いていた。

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