第3話 不思議な喫茶店
「少々お待ちください」
そう言われた通り待っている間、初子は店内を見渡した。
座席は、今初子が座っているカウンター席とテーブル席が二つ。テーブルの上にはお店のロゴが入ったマッチ箱と名刺、大きなガラスの灰皿があった。確か昔のサスペンスドラマで事件の凶器に用いられたりするやつだ。
店の奥に大きな棚が据え付けられており、立派な蓄音機とレコードが並べてられている。ビートルズやマドンナ、洋楽ばかりかと思えばその下は昭和歌謡の棚だ。『君は薔薇より美しい』ダンディな男性がレコードジャケットの中で微笑んでいる。
その下には古めかしいイラストが表紙の『少年倶楽部』という雑誌が数冊。一番下の棚には大きな赤いラジカセとCDがいくつか。どれもこれも統一感なく、節操なく、棚の中でひしめき合う。
壁に古びた掛け時計と、空や海、雲が描かれた三枚の絵が飾られている。この絵だけはつい最近描いたと言われてもおかしくないくらい古臭さを感じない。どの絵にも青い色彩が使われている。
「お待たせしました」
初子の前にクリームソーダが差し出された。エメラルドグリーンの炭酸水が足の付いたグラスの中でキラキラシュワシュワしていて、初子の目を喜ばせる。アイスクリームのてっぺんには缶詰のさくらんぼ。まさに昭和の純喫茶のようだ。
「あ、プリンもありますよ。今じゃ珍しい固いプリン。クリームソーダのお供にどうですか?」
甘いクリームソーダに甘いプリン。初子は甘いものに目がない。男の申し出を受け入れそうになって我に返る。
「すみません、私お金持ってないんです。こういうお店に来ると思ってなくて、」
祠に供えた五円玉しかお金を持って来ていなかった。初子が困る様子を見て男は優しく微笑む。
「真面目な子だねえ。ここは海の神様が趣味で作ったお店だから、お金はいらないよ」
「趣味……?」
神様は趣味を持つものなのだろうか? 初子が訊く前に男が答える。
「ここの神様……ワタツミ様は人間の流行が大好きでね。こうして自分が自由にできる空間で流行りのものを作ってみたりするのが趣味なんだ。ほら、こういう喫茶店って流行ってるんだろう? ちょっと古いけど」
初子は流行に疎くて同調する自信もなかったが、確かにこの場所は古い喫茶店のようだ。父や母が見たら「懐かしい!」と喜ぶかもしれない。
男はポケットからインスタントカメラを取り出して初子に向けてくる。「笑って!」と声を掛けられて抵抗することもできず、初子はクリームソーダを前にぎこちなくピースサインを作った。カシャリとシャッター音が鳴る。うまく笑顔は作れなかった。
「神様って趣味を持ってるんですね、意外かも」
「そうかい? 結構いるけどな、ほら寺社の屏風や襖絵にもよく描かれているだろう? 雲の上に乗って竪琴とかしてる神様が」
襖絵のあれは趣味なんだろうか? 初子が首をかしげていると、インスタントカメラのダイヤルをカリカリ回しながら男は矢継ぎ早に続ける。
「あ、サッカーは好きかい? 喫茶店だけじゃなくてワールドカップの時期になるとサッカースタジアムを作ったりするんだ。君も今年のワールドカップが始まったら来るといい。特別な試合が見られるよ」
「へぇ……あれ? ワールドカップって来年ですよ」
「ああ、そうかそうか! ワールドカップは来年だったか!ワタツミ様は結構うっかりしてて、時代を間違えちゃうこともあるんだ。ああ! まずい、大明神の奴らに今度試合やろうって声掛けちゃったじゃん!」
もしかしてこの喫茶店もその「うっかり」でこんなに古めかしいんだろうか? そんなことがふと浮かんだけど、まずは最も重要なことを確認しなければ。
「あの……なんで私はこんなところに来てしまったんでしょうか」
初子の水を差すような問いに、先ほどまでなぜか慌てていた男は弾かれたように我に返る。
「はっごめん、久々にここに人間が来たからつい脱線しちゃった。さっき祠にお願いごとをしてきた子は君だね。友達の病気を治したいって、名前は三本初子ちゃん」
「なんでそれを」
「聞こえたからだよ。祠に願うとこの場所に届くんだ。祈りの声がね」
男はインスタントカメラをポケットにしまうと、コーヒーカップを手に取って布巾で磨き始めた。穏やかな口調の割には行動に落ち着きがない。
「君が歩いてきた洞窟は引き潮のときしか入れない特別な場所だ。しかも洞窟まで来て祠を見つけられたとしても、ワタツミ様が願いを聞き入れようと思った人間しかここまで来れない」
男に言われて、初子は事前に調べていたインターネットのニュース記事を思い出した。確か数年前、旅行に来たパワースポット目当ての大学生達がどうしても祠を見つけられず、出口へ引き返す頃には潮が満ちてしまい水難事故に遭ったという内容だったはずだ。
「つまり、ワタツミ様は君の願いを聞き入れることにしたみたいだ。だからこの世界に引き寄せたんだね」
男の話を聞いていて初子は気づく。
「えーと、あなたは海の神様じゃないんですか?」
「僕はワタツミ様の神使。ここで願いを叶えに来た人の話を聞く役割をしている。シリウスと呼んでくれ。ほんとはもっと別の漢字の名前があるんだけど、こっちのほうがカッコいいからさ」
シリウスは穏やかな笑みを浮かべた。すらりとした長身に俳優やモデルだと言われてもおかしくない端正な顔立ち、唇から覗く歯は磨き上げたコーヒーカップと同じくらい白い。そして誰でもとっつきやすそうな親しみやすい雰囲気。
この人が学校の先生だったらきっと生徒達から大人気だろうと初子は思った。ついなんでも話してしまうかもしれない。しかしそんな事よりも初子にはずっと重要なことがあった。
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