第二話 転機(3)

 エバンズさんに、ライオネルが無理やり解毒剤を飲ませた。

 変化はすぐにやってきた。先ほどまでピクリともしなかった手足がワキワキと動き出した。それよりも……。

「甘ーい! 甘い魔法薬なんて物があってもいいのか?」

 突如元気を取り戻したエバンズさんが叫び声をあげた。体の傷も徐々に塞がっていく。それに気がついたのはそばで見守っていた騎士の一人だ。

「エバンズのケガが治ってきてませんか?」

「ほ、本当だ! これは一体?」

「解毒剤には薬草も含まれるからね。少しだけど、傷を治す効果もあるよ」

「これが少しだなんてとんでもない。この魔法薬は女神の秘薬ではないのですか?」

「違うよ。ただの高品質の解毒剤だよ」

「高品質の解毒剤?」

 おっと、しゃべりすぎてしまったかな? でも口止めしていることだし、話しても大丈夫だろう。今は少しでも信頼度をあげておかないと、今後の人体実験……いや、魔法薬の効果の確認に支障が出るかもしれないからね。

「実は俺、魔法薬の品質が分かるんだよ」

「なるほど、だからあのとき、魔法薬を見せてほしいと言ったのですね」

 ライオネルが納得したかのようにうなずいている。それを聞いた騎士たちが我慢できないとばかりに聞いてきた。

「それで、そのときの結果はどうだったのですか?」

「……すべて最低品質。そしてゲロマズ」

「ジーザス!」

 俺をのぞく、その場にいた全員がそう叫び、天を見上げた。俺も最初に見たときは、同じように天を見上げたくなったよ。そして現実から目をそらしたかった。

 負傷した騎士たちがすがるように俺を見ていた。きっとこれから使う初級回復薬に期待しているのだろう。

 解毒剤を甘くしたのは、そのままだとどうしても苦みが出てしまうからであった。そこで飲みやすいようにハチミツを加えて少し改良したのだ。

 一方で、初級回復薬の味は特にいじっていない。それでも無味無臭なので、水と同じように飲めると思う。実際に飲んでいないので分からないが。

「それでは初級回復薬を支給する。たぶん、これまでの魔法薬よりは飲みやすいと思うよ」

「それだけでも十分です!」

「もうあの地獄の苦しみを味わわなくてすむのか。この魔法薬があれば、あいつも……」

 なんだか不穏な話が出ているな。確か、おばあ様の作った魔法薬で助からなかったという人はいなかったはずだけど……ゲロマズ魔法薬に耐えきれなくて、やめていった団員がいるのかな?

 一人一人に初級回復薬を手渡しては、なぜか握手を求められた。なんでや。

 全員に初級回復薬が行き渡ったところで、俺が乾杯の音頭を取ることになった。なんでや。

「そ、それじゃみんな、心の準備はいいか? 一気に飲んでくれ。みんなの健康に、乾杯!」

「乾杯!」

「かんぱーい!」

 飲む必要がないライオネルも水で付き合ってくれた。そしてすぐに変化が表れる。

「飲める、飲めるぞ!」

「まずくない! これは水だ!」

「すげえ! みるみるうちに傷が塞がっていくぞ」

「おおお! あの上級回復薬を飲まなければ治らないと思っていた傷がキレイに塞がっていく……あなたは神か」

 涙を流す元負傷者たちが、いつの間にか俺の前にひざまずいていた。何この状態。ライオネルも涙を流しながらひざまずいている。

「ああ、ええっと、無事にみんなの傷が治ってよかった。キミたちはハイネ辺境伯の大事な戦力だからな。今後もキミたちの活躍に期待する!」

「御意に!」

 その場にいた全員が声をそろえた。

 なんだろう、騎士団の忠誠心がものすごく高くなったような気がする。ともかく俺の目的は達成することができたし、良しとしよう。

「ユリウス様、追加の魔法薬をお願いすることはできますか? キラースパイダーの毒で苦しんでいる仲間がまだいるのです」

「もちろんだよ。初級回復薬も解毒剤も新しく作り次第、内緒で、持ってくるよ」

 俺は〝内緒で〟の部分を強調して言った。ライオネルが深くうなずき返してきた。

「中級回復薬などはまだ作れないのですか?」

 ライオネルが疑問を投げかけてきた。中級回復薬があれば、よりひどいケガにも対応できる。

「まだ作れないんだ。必要な素材が足りなくてね」

「……ちなみにですが、今回の魔法薬の素材はどこで手に入れたのですか?」

 ライオネルが恐る恐るといった様子で聞いてきた。もしかして、おばあ様のところから、くすねてきたとでも思われているのかな?

「俺が花壇を作っているのを知ってるか?」

「それはもちろんですとも。奥方様がそのような話をなさっていたのを聞いたことがあります。もしや……」

「そう。その花壇が実は薬草園になっていてね。そこで薬草や毒消草なんかを育てているんだよ」

「なんと!」

 それを聞いた騎士たちの騒ぎがだんだんと大きくなっていった。その中には〝なんとしてでも死守せねば〟という声も聞こえる。

 確かに魔法薬を作るためには必要な場所ではあるけど、最悪、森に行けば採集することができるしなぁ。

「ユリウス様、今後はユリウス様の薬草園の警備を強化したいと思います」

「え? そこまでしてもらわなくてもいいよ」

「野生動物や虫に荒らされたらどうするのですか。必ず守ります」

「う、うん。頼んだよ」

 その場にいた全員のギラギラした瞳に負け、断ることはできなかった。

 うーん、目立ちそうだなぁ。お母様が知ったらどう思うか。ちょっと不安だ。

 こうして俺と騎士団の間で鉄のおきてが定められた。警備は昼間だけかと思っていたら、どうやら夜間も行っているようである。よっぽど今までの魔法薬が嫌だったんだな……。

 それから俺が街に出かけるときの護衛はライオネルがつくことになった。だれも俺には指一本触れさせないと意気込んでいる。そしてそれ以来、騎士たちの俺に向ける視線は熱かった。


 俺は素材が集まり次第、初級回復薬と解毒剤を作製し、騎士団へ送り届ける日々を過ごした。

 一日につきどちらか一本しか作ることはできなかったが、それでも徐々に騎士団に復帰する人が増えていった。

「ライオネル、魔物のいる森には行けないかな?」

「ユリウス様、さすがに危険だと思いますが……」

「そうですよ。万が一のことがあったらどうするのですか」

 ジャイルも反対のようである。クリストファーは沈黙。だがその顔には〝行きたくない〟と書いてあった。

「実は魔力草が欲しいと思っているんだよ」

「魔力草が……我々が採ってくるのではダメなのですか?」

「採取した魔力草を薬草園に植えようと思っている。それで魔力草を傷めないように周りの土ごと欲しいんだけど、それが難しいと思うんだよね」

「それで自ら採取しに行きたいと……」

「うん」

 ライオネルがあごに手を当てて考え込んだ。新しい魔法薬が作れないのは単純に素材がないからである。

 都合のいいことに街からそう遠くないところに魔物の住む森がある。そこにはたくさんの素材があるはずだ。それを使わない手はなかった。

「分かりました。なんとか計画してみましょう」

「よろしく頼むよ」

「御意に」

 ライオネルが静かにひざまずいた。それを見たジャイルとクリストファーが慌ててそれに倣った。なんか騎士団の親玉になった気分。


 一般的に、魔物がいる森へは立ち入り禁止になっている。その中でも例外的に立ち入りを許可されているのが冒険者ギルドに所属する冒険者たちである。

 彼らは冒険者ギルドからの依頼によって、危険も顧みずに魔物が生息する場所へと入っていくのだ。

 魔物は野生動物とは違い、死ぬと体の一部が魔石になる。この魔石は魔道具を動かすための電池のような役割を果たすため、常に需要があった。

 冒険者にとっては安定した収入源になることもあって、魔物が出現する魔境へ行く者は多かった。

 冒険者以外で魔境に人が入るのは、領地内に魔物が生息する場所を抱えている貴族が、魔物が増えすぎないようにするために〝魔物の討伐〟を行うときだけである。

 つまり俺が魔境に入るためには、冒険者になるか、魔物の討伐に参加するか、バレないようにコッソリと入るかのいずれかである。

「ユリウス様、この辺りが先日、魔物の討伐を行った区域になります」

 ここは騎士団の執務室。その部屋には騎士団長のライオネルを始め、各部隊の隊長、副隊長がそろって地図を見ていた。

 ライオネルが選択したのは〝コッソリと入る〟であった。そして安全性を高めるために、先日魔物の討伐を行った周辺に向かうことにしたようである。確かにそれなら、安全性は格段に高くなるだろう。

 でも大丈夫なのかな? バレたらめっちゃ怒られると思うけど。自分でお願いしておいてなんだけどね。

「もうすぐ、お館様たちが王都の社交界に出発します」

 ライオネルが声を低くした。完全に悪巧みである。

 辺境を守っているとはいえ、ハイネ辺境伯も貴族であることには変わりがない。そのため、社交界シーズンには王都に出向いて、それなりの情報を集め、貴族間のつながりを深めなければならない。

 そしてこの社交界シーズンには、高位の魔法薬師であるおばあ様も参加するのだ。もちろんおじい様も一緒だ。そのため、この期間中はハイネ辺境伯家はもぬけの殻となるのだ。

 今年は上の二人の兄も一緒に王都に向かうはず。屋敷に残るのは俺と妹だけ。俺にとってはますます都合のいい期間だった。

「なるほど。そのすきを狙って魔物が生息する森へ入るのか。でも、ライオネルは王都へ行くお父様たちの護衛につくのだろう?」

「通常はそうなのですが、今回は屋敷にユリウス様とロザリア様しかいらっしゃいません。万が一に備えるということで、私は残ることになりました」

 なるほど。そこはライオネルがうまいことお父様を言いくるめたみたいだ。

 だが間違ってはいない。留守を狙って何か仕掛けてくる者がいるかもしれないのだ。頼れる人物は一人でも多い方がいい。

「よろしい。ならばお父様たちが王都へ行っている間に、魔物の森で魔法薬の素材を集めることにする。だが、使用人たちには、なんと言って屋敷を出るんだ?」

「そこはいつものように、ユリウス様が街に視察に向かうと言っておくのですよ」

「なるほど。ライオネル、お前もなかなかワルだな」

「いえいえ、ユリウス様ほどではありませんよ」

 この部屋にいた全員がニヤリと悪い笑顔を浮かべている。千載一遇のまたとないチャンス。この機会を逃してはならない。

 俺たちは速やかに計画の詰めに入った。

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