12 引きずり出された未知のもの

 まずはじめに内情を知らない書記の人と兵士二人がざわついた。とんでもない場に居合わせたとばかりに、動揺から視線をさまよわせている。

 続いて驚いて腰が浮いたのか、がたんと椅子が鳴る。手は見せられないものを隠すように口を覆って、目は見開かれている。言ってはならないことを言ったことをその動作が証明する。ここから冗談だなんだと言い訳をしたところでそれは通らない。

 レヤックは何が起きたのかをまだ理解できていないように見える。衝撃だったんだろう、目は虚ろなものになっている。自身の意思に反して犯罪の自供をするなんて、ふつうに考えたらあり得るはずがないんだから。どこにも何もないのに部屋をいろんなところに目を配っているのがすこし哀れっぽく見えた。


「……それは、ご自身が失踪事件の犯人だと?」


 フィンさんの追及が雷であったかのように、がくんとレヤックの体が跳ねた。


「はは、おいおいどうなってるよ、俺が呼び出されちまった」


 気持ち悪い光景だった。中腰になって腕はだらんと垂れている。そしてレヤックの目は上を向きすぎて白目しか見えていない。涙とも思えない奇妙な液体がゆっくりと彼の頬をつたっていく。さっきまでの怒りに任せた態度を見せていた男とはまったく違って見える。

 フィンさんは書記の人に目くばせをした。それがどんな意味を持つのかを私は知らない。でもわかるような気がした。応援を呼ばせに行ったのに違いない。私にだってわかる目の前の異物が放つプレッシャーによくない何かを感じ取ったのだ。奥の壁際に控えている兵士もそれぞれ武器を構えている。

 私はそれをレヤックではないものと見ることに決めた。それは姿勢を保ったままでまだ興味深げに周囲を見回している。


「……レヤック卿?」


「レヤック。そうそうそんな名前だった。ああ、俺がレヤックだぜ」


 理由や原因はさっぱりわからない。けれどあれがレヤックでなくなったことだけは確実だった。誰もあれから目を離せない。ときおりあれの体が滲んだように二重三重にぶれて見えたような気がした。胃からすっぱい臭いが立ち上ってくる。強い吐き気が襲ってくる。どうしてだろう。

 フィンさんも私と同じ結論に達したようだった。


「貴様、何者だ?」


「さっきお前が言ったとおりでいいじゃないか。顔も見たままだろ」


「悪魔憑きにでもなったというのか……?」


「おお、正解だぜ。見識が深い。いや、教育が行き届いている可能性もあるか」


 へらへらと楽しそうに笑っている。白目をむいたまま体をゆすって笑う。その姿は本能的な恐怖を呼び起こす。異質さもそう、気味の悪さもそう。そして何よりも存在してはいけない何かだと脳の奥が警報を鳴らしている。

 きちんとした頭の働きの戻っていない私はまだ戻ってこない兵士に無意味な怒りをぶつけていた。


「貴様、名は?」


「ラウム。……ん? 待ておい、なんで俺は名乗った?」


 ラウムと名乗ったそれはあごに手をやって不思議そうにしていた。

 フィンさんに軽い動揺が見えた。かすかに震えている。対峙しているのは、悪魔だと突きつけられて否定しない存在だ。腕はだらんとして中腰、白目をむいている姿は人間として見ればこれ以上ないほど情けない。それでも放たれる意味不明な圧力が、それを非現実的な存在だと主張していた。事態はちっとも想定していなかったほうへ転がっている。誰が悪魔の登場を想像するだろう。誰もしないよ。


「カスが三人とボンクラが一人。俺に影響を通せるようには見えない」


「おい、何をひとりでぶつぶつ言っている」


「感心してるんだぞ、これでも。俺を相手に痕跡を残さずにここまでやれるのはよっぽどの術者だからな。お前らカスどもが飼ってるとは思えないが」


 ピンと来ない言葉を並べて、死んだようなレヤックの顔でまた笑った。

 急に、扉の向こうの廊下から重たい金属がこすれる音が聞こえてきた。はっきりとした断絶を飛び越えたように、遠くから聞こえるかすかな音の部分が存在していなかった。聞こえたときにはガシャンガシャンと独特に成立したものだった。

 あの書記の人が兵士を連れてきたことをほとんど間髪を入れずに理解した。これでこの気味の悪い時間も終わる。悪魔憑きだかなんだか知らないけど、兵士に捕まって牢に入れられるかなんかして、それでおしまいだ。理解のできない出来事なんて、過ぎ去ってしまえばそれだけの思い出にしかならない。


「これだけのカスをよく集めたな。壮観と評するには華がなさすぎるが」


「貴様が何を言おうとこれで終わりだ。拷問も何も辞さん。貴様はここで捕まる。洗いざらい吐いてもらうぞ」


 ラウムはくつくつと笑った。的外れなことを言われたときに見せるものだ。それが幼稚で愛おしく感じたときにこぼれるものだ。けれどその表情と内に含むものがかみ合っていなくてひどく気持ち悪い。ラウム/レヤックの顔は変わらずに壊れたままのものだ。口から漏れる音だけでしか笑っていると判断ができない。

 これだけ人数を集めれば絶体絶命のはずだった。兵士はみんな装備を整えている。得体が知れない相手とはいえ、ラウムにはその肉体ひとつしかない。逃げ場も勝ち目もない。私の心に余裕が生まれかけたときだった。


「まあいい。いまは怖がってやるよ」


 そう言うと聞いたことのない大きな音がした。ばつん。弾力のあるものを無理やりに裂いたような音だった。

 レヤックのものだった背中から、黒い翼が生えていた。

 その翼をどこか身近なところで見たことがあるような気がしたけど、その大きさのせいで判別がつかない。何せ両腕を広げた三倍以上の幅を取っている。室内が一気に狭苦しいものに感じられた。

 じゃあな、とだけつぶやくとラウムはその翼をたわませて、そこに溜めた力を解放した。そのせいで起きたものがすさまじい風だと気付けたのは、壁に打ち付けられた痛みが引いて、さらにしばらくしてからのことだった。机も椅子も兵士も何もかもが無様に床に転がされていた。部屋の壁に馬鹿みたいな穴が空いていて、そこを突き破って逃げていったことがわかった。現実かよ、と意識せずに言葉がこぼれた。


 ばたばたと慌ただしい動きのなかで私は取り残されていた。

 それ以降のことは人づての噂を聞くことでしか知ることはできなかった。しょせん私は部外者なのだ。ボロボロになった室内で指示を飛ばすフィンさんを遠巻きに見ながら、私は待機室に帰された。

 その噂によると、レヤック邸の捜索にあたったのはかなりの人数らしい。複数名の騎士団員が兵士を引き連れていくのを見た御側付きの人がいた。時間を照らし合わせると、ラウムが飛び去ってからすぐのことだったらしい。そこにはもちろん自供をつかんだ責任者としてフィンさんが同行したはずだ。ここだけは私の予想で、けれどそれは当たっているはずだった。というかそうでないとおかしい。

 そんな噂話ばかりで溢れていた御側付きの待機室を後にして、私はカフェに足を向けた。

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