06 契約


「どうしてこうなっている」


 額に手をやって頭を振る。その仕草から読み取れるのは困惑。そうでしょうとも。きっとフィンさんの論理の中にはない行動だろうから。私にしたってちょっと驚きが勝っているくらいだ。もちろん成功想定ではあったんだけど、昨日の今日でここまでうまくいくとはさすがに思ってなかったもの。


「根っこのところはフィンさんが頑張りすぎだから、ってことになると思うけど」


「自分が情けない。これしきで居眠りしてしまうとは」


 右を見て左を見て、すぐにこのセリフが出てくるのだから恐ろしい。たぶん状況を把握したってことなんだろう。居眠りとはずいぶん穏当な表現だよね。実際には失神したっていうのにさ。

 成人男性をおぶってそれなりの距離の移動はさすがに大変だった。茶摘みで背中になにかを背負うのは慣れているとはいっても、茶葉と人じゃ重みも違う。でもここで恩を売るような真似はしない。私の考えだとさっさとお礼されて追い返されるような気がする。


「昼ごはん食べながらため息ついてたんだから、まあ、状態は良くないよ。昨日の詰所でもふらついてたような気もしたしね」


「助けられた。礼を言う」


 意識を取り戻した直後だからなのか、酒場とか詰所のときよりもほんのすこしだけやわらかく素直な感じがした。たぶん真面目過ぎるんだな。あまり出会ったことのないタイプの人だ。

 詰所の壁とか床は石材でできていたけど、医務室はそれが木にとってかわっているのが不思議だった。でも石よりは温かいと思う。そういうことを意識して建材を変えているんだろうか。


「なんかあったらお互い様でしょ。紅茶淹れるね、待ってて」


 お城の人は意外とゆるいのか、私をここまで通してくれるし事情を話したらキッチンを使ってもいいよと言ってくれた。さすがに上の立場の人が飲むような紅茶はここでは淹れないってことなんだろうけど。

 戸棚を開けると、それでもじゅうぶんな品質の茶葉の缶が置いてある。嗜好品として成立するくらいのものだ。ティーカップも品の良さそうなデザインだ。さすがに権威の中心地。安物なんて使えないんだね。

 カフェと同じ要領で紅茶を淹れる。さ、準備は完了。

 医務室の扉を開けて紅茶を載せたお盆を運ぶ。香りがいい。


「そんだけ頑張るってことはさ、どうにかなりそうなの? 失踪事件」


 そう言ってベッド脇のテーブルにティーカップを置く。

 あまり話したくなさそうにフィンさんはカップに手を伸ばした。しめた。


「もう目星はついている。あれだけの数を誘拐するとなれば、それ相応のスペースも人員も必要になるからな」


 そこまで言ってフィンさんはあわてて手で口を押さえた。もう遅いよ。ここからは私の時間だ。


「お、もう誘拐って断定してるんだ。それやってるのって、誰?」


「……レヤック卿だ。状況証拠だが、失踪したと思われる人物の行動範囲と照らし合わせると彼しか考えられない。人を、それも多数収容できる建物は多くない」


「レヤック、レヤック……。ああ、山のほうの地主だっけ」


 自分の信じられない言動にフィンさんは顔を青くしている。間違っても捜査情報は外には流せないんだよね。話を聞く限り証拠はつかめてないみたいだし。もしそれで誤認だとなれば大問題だ。だから絶対に情報は漏らしちゃいけない。正しいよ、でも相手が悪い。私の紅茶を飲んだらダメなんだよ。

 さて、でも騎士団の考えが合っているとすると難しいかも。どうしたものか。


「ねえフィンさん、強制的に乗り込んで引っ張り出すとかってできないの?」


「無理だ。証拠がなければ上から許可がおりない」


 だろうね。逮捕までの覚悟がないとそこまではできない。間違えてごめん、で済む話じゃなさそうだからね、事件の規模を考えたら。

 ふとフィンさんのほうに視線を戻すと、ほとんど悪寒のように震えていた。隠しておくべき言葉を意思とは無関係に口にしたんだもんね、そりゃ怖くもなるよ。謝って許してくれるかな。それとも捕まっちゃうかな、私。


「……お、俺は、いったい何を……?」


「ねえフィンさん。私はシーラを取り戻したい。誘拐についてはよく知らないけど、助けるのって早いほうがいいんだよね?」


「あ、ああ、攫われた場合のその先は犯人によって違うが、期間が長ければ長いほどより強い被害を受ける可能性は高まる」


 私はいま、意識を取り戻したばかりの動揺している人に対してふっかけようとしている。でもそれは私を止める理由にはならない。人によっては私を蔑むだろうな。そんな目で私を見ないと確信できるのは店長と『世界の根っこ』くらい。まあいいよ、大事なものと世間からの白い目とを比べたら私は前者を選ぶから。

 巻き込んでごめん。謝る資格はきっと私にはないけど。


「ね、契約しない?」


「何のことだ」


「犯人特定の手伝いをしてあげる」


 呆けた顔がそこにある。


「な、にを言っている? それは騎士団の仕事だ」


 一拍置いてからっぽの表情に怒りの感情が流れ込む。

 予想はしてたけどね。きっと誇りの部分に関わってるんじゃないかな。それを外から私みたいなのがちょっかいかけてきたら苛立ってもおかしくない。


「ついさっきまでさ、言っちゃいけないことをいくつか言ってたよね。ごめん、あれ私の仕業なんだ。魔法。役に立つと思わない?」


 また彼は口に手をやって塞いだ。直前にあったことだし、内容で見ても忘れられるわけないことのはず。混乱させて悪いとは思うけど、言うこと聞いてもらうよ。

 事前にある程度決めていた話の流れになってきたから畳みかける。


「本当のことを言わせる魔法。それが私の魔法。ピンと来た?」


「まほ、……いや、待て。お前いつその魔法を使った? 動作がなかったはずだ」


「それは内緒。けっこう秘中の秘みたいなところあるんだよね」


 ここは正直に。嘘をついて得られるものがなにもない。


「なんだと、それで契約だと? そんなやつを信用しろと?」


「よくわかるけどね。でもそっちも私も一刻も早くこの事件を解決したいって部分は共通してる。その一点だけで手は結べないかな?」


「あり得ない」


 真面目さがそっちに出たかー。まずいな、これ私が捕まる可能性ホントに出てきたかもしれない。騎士団員に魔法かける、さらにはそれを背景に脅すってどれくらいの罪になるんだろう。

 私の顔もちょっと引きつっていたような気がする。当たり前だけど余裕なんてものはない。でもこれは私が打つべきだと思って打った賭けだ。その結果は私が受け入れないとならない。覚悟とはそういうものだ。勝たないと締まらないけど。


「……あり得ないが、事件は早期の解決が望まれている。あらゆる意味において」


「え?」


「条件だ。その魔法は捜査以外には使わないと約束しろ」


「……へ?」


「契約を結ぶにあたっての俺からの条件だ。呑めるのか?」


「ぃ? あ、全然いいけど……」


「おいお前、ティナと言ったな、いちど席を外せ。考えを整理する必要がある」


 有無を言わさない指示に私は従った。いきなり事態が進んだせいで実感があんまりないけど、契約は成立したらしい。つまりこれで私は事件に関われるってことだ。おそらくは非公式の立場になるんだろうけど。

 医務室を出た廊下で、壁に背中を預けてぽんやりする。人の行き来は、おそらくはお城に勤めている人だろう、けっこう盛んだった。一目で職業がわかる人もいれば、よくよく眺めてみても何をしてるんだかわからない人もいた。廊下は街で体験できるようなふつうのものとは使える言葉さえ違うくらいに広かったから、人を眺めるのに飽きなかったし、誰も私に注目しなかった。

 そんな時間を三十分くらい過ごしただろうか。扉が開いてフィンさんがのっそりとまだ重い足取りで医務室から出てきた。親指で医務室の中を指す。


「話だ。詰めなきゃならんことがある」


 フィンさんはベッドに戻って、私はそばの丸椅子に腰をかける。

 するとほとんど間を開けずに口が開かれた。


「要求する状況を教えろ」


「別にそんな複雑なものじゃないんだけどね。何なら私は顔を見せる必要もないし」


 自分なりにできる想定をしたっていう顔をしている。もしかしたら悪い方向に特化して考えを進めているかもしれない。たしかに私の言葉選びもよくなかったし。そこまでの緊張は必要ないって伝えてあげたいけど、いまは聞いてもらえなさそうだ。


「俺にわかるように話せ、俺とお前じゃ持っている情報に差があるんだ」


「んー、そうだなあ。とにかくフィンさんが容疑者と面談みたいな感じで話ができる状況があればじゅうぶんだと思う」


「ふむ。それは一対一が望ましいのか? それとも他に理想が?」


「細かいことを言えばフィンさん以外にも話を聞いてる人がいてほしいかな。あとは取り調べのテーブルにつくのがフィンさんであること。この二点が揃ってれば外から文句は出ないと思う。それって城内のどこかでやるんだよね?」


 意外と最後が大事な部分だ。もしも何の設備もないような野原で、となるとかなりまずい。私は人間の文化の中でしか力を発揮できないのだ。第一の魔法は、どこでも力と呼べるほどのものを発揮しないから考えないことにする。

 フィンさんはすこし考えを巡らせているようだった。いくつかの状況を想定しているんだろう。この辺りは騎士団員としての経験がそれを助けているように見えた。


「おそらくそうなるな」


「じゃあさ、そのとき限定でいいから私をフィンさんのお付きの人にして」


「……いいだろう。それで事件が解決するのなら」


 その瞬間、私には選択肢が与えられていた。

 そして私にとっては面白くないことがじんわりと記憶の蓋からにじみ出てきた。



『わーかったわかったわよ。もう一度まとめて説明してあげるってば』


 まるで私が駄々をこねる子どもであるかのように、気だるそうにそいつは応じた。なんだか知らないけど頭の中に声が響いているようでさっきから気持ちが悪い。前提をそこに置いてみると、厳密にはそいつはしゃべっているのかはわからなかった。黒いものをぎゅっと凝縮したなにかの女性的なシルエットがそこにあるだけだからだ。目も口も鼻もあるかわかったものじゃない。拒絶したくなる存在だった。


『あなたにあげたものは、いずれあなたを苦しめるわ。でもそれってあんまりだって私も思ったのよ。一方的だ、って。だから例外を作る権能もあげることにしたの』


「だったらはじめからそんなもの渡すな!」


『怒らないでよ。便利ではあるのよ? わかるでしょう?』


 今度は諭してなだめるように声の質を変えてくる。何から何まで頭に来る。そもそもどことも知れぬ場所に人を攫ってきている時点で、どの対応も正解にはならない。一方的に魔法を与えて、それが私を苦しめるから救済策を与えるだなんて言われてもダメなのだ。あらゆる順番が間違っている。

 問題はこの『世界の根っこ』に会話をするつもりがないということだ。言葉のやり取りはあっても、こちらの要求を聞き入れることはない。一方的に事情を説明して、そしてそれを押し通すためだけに言葉を使っている。


『さっきも言ったけど、それは三人まで。あとはあなたに嘘をつくことはできない。人生でよ? だから例外選びは慎重になさい』


「全部いらない。返す」


『頑固ね。何度も言ってるけど、それはダメ。あなたはそれを抱えて生きるの』


「じゃあなんで私なのよ!」


『教えてあげない』


 ひたすら暴力的に押し付けられるこの感じは、とんでもない突風や豪雨みたいなものとひどく似ていた。滲んでくる無力感を見ないように気を張る。どうにかして一撃お見舞いしてやりたいけど、自分が立っている足場にさえ自信が持てない。いま私がいる場所は、本当に目に見えているとおりの部屋なんだろうか。一歩踏み出せばそれだけで世界が崩れそうな気もした。

 そんな不安に囲まれている私をよそに、そいつはのそのそと歩いてテーブルの向こうの椅子に座った。ただ黒い色のその存在には体というものがあるらしかった。


『それじゃあ用事は終わったし、帰してあげるわ。嫌われちゃったみたいだし』


 パチン、と指を鳴らしたような音が聞こえたかと思うと、私は自室のベッドの上で弾んでいた。二回、三回で揺れが収まった。悪夢のほうがマシだった。



 私はフィンさんを例外にすることにした。それ自体は難しいことじゃない。相手に向かってそう念じればそれでいい。それで彼は私の魔法の外側の存在になれる。

 もしもフィンさんが取り調べをしているときに私の魔法にかかっていたら、それは大惨事になりかねない。相手から質問が飛んできたらすべて素直に答えてしまうことになる。本末転倒とはこのことで、私のこともそうだし、騎士団のことも知られては困ることがあるはずだ。双方不利益なんて選ぶ理由がない。

 私をお付きにすることを了承してから、フィンさんはまた何かを考え始めた。またきっと真面目な内容で頭を悩ませているんだろう。私には縁遠い話だ。


「……ティナ、可能な限り早く長期の休みを取れ。カフェの」


「何て?」


「俺が容疑者を、おそらくレヤック卿だが、連れてくるまで俺の側付きとして城内に控えていたほうが都合がいいだろう」


「え、取り調べ当日だけとかじゃなくて?」


「想像力を働かせろ。どう考えても怪しまれるに決まっている。城の人間にだ」


 言われてみれば怪しいか。いきなり来ていきなり重用みたいなものだし。良からぬ噂が立たないとも限らないことを考えると避けたほうがいいのはたしかだ。店長にはたぶん怒られるだろうけど、でもこんなチャンスは他にはないだろうし。


「わかった。話はする。でもずっと詰めっぱなしはちょっと難しそうかも。私にしかできない仕事もあるから、何日かおきに空けないと」


「……そうか。それならその日程が決まったら連絡しておけ」


「あいあい。ところで私って建前上はフィンさんに雇ってもらうわけだよね?」


「そうなるな」


「様付けで呼んだほうがいい?」


「すくなくとも人目につくところではそのほうがいいだろうな。一介の騎士団員とその側付き程度で城内で目立っていいことがあるとは思えない」


 疲れたような表情の意味は私にも察せられた。おそらく関わり合いになりたくない種類の人間関係のことなんだろう。権力闘争だか宮廷闘争だか知らないけれど、市井の人間には縁遠い世界の話。面白いところはなさそうだ。

 フィンさんはひとつ息をついて、頭を横に振った。その動作にはふたつの意味が含まれているらしかった。


「どうやって卿をしょっぴいたものか……」


 面白くないことを振り払って、実際的な方面に頭を切り替えたようだった。

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