05 空の部屋②


 まともに思考ができない。喉が熱くて何かがひっかかってるような感じがして咳が止まらない。急に足を止めた影響なのか吐き気がする。指先が冷たい気がする。


「さきほど話した娘の不在を確認したのがこいつだ。どちらも私の店の従業員だ」


「ひゅ、て、てんちょ、いま無理。ちょっと、休ませて……」


 無茶苦茶言ってんじゃないよ。この状態で話ができるか。まともに立ってもいられないんだぞ。視界に入るのは自分の足と床ばかり。視線をすこし動かして机と椅子の脚がやっと目に入った。軽く手を上げて失礼します、の意を示して椅子に腰をかけさせてもらう。


「軟弱だぞ、ティナ。もうすこし体を鍛えたらどうだ」


「人間の、はぁ、物差しで話してくださいよ、あんた、ルール違反じゃ、ないか」


 やれやれと店長はかぶりをふった。何を言ってんだこの人。あんたみたいに動ける人なんてこの街にも何人もいないだろうに。息も切れ切れに皮肉を言ってみるけど、外から見たら私が運動不足の女の子にしか見えないのが悲しいね。

 時間と一杯の水をもらってすこしずつ状態を元に戻す。呼吸は次第に落ち着いて、酸素不足による頭痛だけを残したままでとりあえず話はできるようになった。

 やっと体を起こして座る。詰所の騎士団員の顔を見ることができた。あ。デスクについているのは見たことのある顔だった。つい五日前のことだ。


「あ、フィンさんじゃん」


「ん、ああ、お前か」


 わずかに違和感があったのは目の下のクマと肌の青白さ。でも無視をしよう。

 反応が薄いのは状況に即してないからか。私もそれを即座に察した。優先順位は何よりもシーラのことだ。顔を知っている相手がいるというだけでわずかに気がラクになった。店長、フィンさんの順に顔を見て頷いた。もうひとりの騎士団員は所在なさげにしていた。


「えっと、今日は私とシーラがカフェで働く日で、いつもなら開店前に店長も含めて全員が揃うんだけどね、シーラが来なかったんだよ」


 もうひとりの騎士団員が奥で紙にメモをとっている。フィンさんは聞き役らしい。


「初めは寝坊で遅刻かと思って、でも店を開ける時間になってもまだ来なくて。体の調子を崩したのかも、って店長と私は考えて。それで店が閉まってもまだ姿が見えないようだったら私が様子を見に行くことに決まって」


「店が閉まるのは何時ごろだ」


「五時半。五時以降は注文もできない」


「続けろ」


「それで結局シーラは店に来なかったから家に行ったんだ。でも日が落ちてるのに明かりがついてない。体調悪くて寝込んでるのかも、って思ってドア叩いたり声をかけても返事はなくて。それで、ダメ元でドアノブ回したら開いちゃって。あれ変だぞ、って思って部屋に入ったらシーラがいなかったんだ」


 まだ新鮮な記憶を浚って、それを私なりにわかりやすく順番に話す。このあたりのことは店長も詳しくは知らない。

 あらためて思い出すとショックな光景だった。収まりが悪いというか、ただの部屋なのにあるべきものがないとこんなにも違和感を生むとは思いもしなかった。どこか中身のない卵の殻のような寒々しさがある。


「部屋の様子はどうだ、荒らされていたか?」


「いつも通りだったかな。荒らされてるって印象は受けなかった」


「彼女は鍵もかけずにふらっと出かける習慣を持っていたか?」


「近所に買い物に行くだけってならそういうこともあるかもしれないけど、ふつうに出かけるならそれは考えられないよ」


 女の子ならそれは当然だ。


「あまり腹を立ててくれるな、形式的な質問なんだ」


 ため息まじりの言葉は本音と疲労が滲んでいた。それからその形式的な質問とやらが続いた。家出、あるいはそれに類する自主的な遠出の可能性の有無。日常に対する不満や恐怖を漏らしてはいなかったか。遠いところへの憧れはなかったか、等々。どれもシーラには関係のないものだった。要するに特筆して強調できるかという話で、遠いところへの憧れなんて旅行したいと変わりのない言葉でもある。だからすべて関係がないと答えた。店長もそれに同意した。

 はじめからそんな返答を想定していたのか、フィンさんは質問を重ねることもなくてきぱきともうひとりの騎士団員に指示を出し、自身も事務処理を進めていた。

 質問は私にもあった。私は言葉にするべきかさんざん迷ったそれを、結局投げることにした。決定してしまうことはたしかに怖い。けれども決めないと足を踏み出せない人間もいる。私がそれだ。


「……これは、噂になってる連続失踪事件ってこと?」


「そもそもすべてを連続失踪事件だと証明することが不可能だという前提に立つが、それでも認識上はそう扱うことになる」


 ああ、この人は怒っている。

 目の前で無理やり熱を冷ました言葉から感情がにじむ。顔にも口調にも、どこにもそんな要素を見ることはできないけど、それでもわかる。自分の中の何かを力ずくで上から押さえつけている。

 話の段落をそこに見たのか、店長が口を挟んだ。


「調査を進めてもらえると考えていいんだな?」


「無論。これが人為なら必ず犯人がいる。何に代えても探し出す」


「頼りにしている。あいつはうちの大事なスタッフだから」


 そう言うと店長は私の背中を優しく叩いた。もうここでするべきことは終わった。あとは騎士団に任せることになるが、よしこれでひと安心だ、枕を高くして眠れるぞとは私はなれなかった。大事な友達がいなくなってしまったのにいつもと同じ日常を送れる気がしない。私は店長の顔を見た。彼女が顔を横に振るのに合わせて店長の髪が波を打った。胸のあたりに変な熱さを感じながら私は立ち上がった。

 詰所の入り口の左右のすこし離れた位置には燈火が燃えていた。魔法ランプよりもずっと明るくて、目に痛いくらいだった。ぱちぱちとちいさいものが爆ぜていた。帰り道になると急に頭が冷えていくのがわかった。


「ティナ、騎士団の捜査にお前は役に立たねえから控えときな」


「でも店長、私なら」


「お前は特殊すぎ。出番が限定されてんのはわかるだろ、協力者も要る」


 強く諫めた店長に理があることは明らかだった。さっき話題に出たような人為が絡む事態なら、その捜査にはかなりの確率で危険がつきまとうだろう。そしてそこでは私はお荷物にしかならない。どこまで行っても私は市井の少女でしかない。騎士団に任せるのがもっとも正しいと誰でもわかる。でも私はトドメを刺せる。だというのに黙っていなければならないのは気持ちが悪い。そのやりきれなさが私を苛立たせる。

 店長が叶わない夢を語るように、ぼそっとつぶやいた。


「いっそ公権力にでも潜り込めりゃ便利かもだが、それだと協力者どころか後ろ盾が必要だな。ツテは……、思い当たんねえか」


 かちん、と何かが嵌まるような音が、頼りなく聞こえたような気がした。

 独り言のような店長の言葉が耳からするすると入って伸びて、細い希望を紡いだ。ゼロじゃない。やってやれないことはないんじゃないか、と可能性の道筋がつながっていく。

 成功率を無視した計画だけが組み上がって、そして完成した。

 私はそれの細かい部分を検討する。店長は何も知らずに帰り道ののんびりした調子で口を開いた。


「ところでティナ、お前さっきのあれと知り合いなのか」


「え、あ、うん。たまたまね。酒場で変なのに絡まれたときに助けてもらって」


「なんだ、顔見知り程度か。あんまいろいろ聞ける感じじゃねえな」


「知り合いレベルにがっかりされても困るんだけど」


 ってことは店長も捜査に一枚噛もうとしてたってことか。まあたしかに何もせずにことの成り行きを見守るタイプの人間じゃないとは思ってたけど。これは私と同じく勝手に何かやろうとするんだろうな。もちろん私じゃ店長に釘を刺すのは不可能だ。どの意味の力でも私はこの人には敵わない。だからそれは放っておいて、私は私でできる限りのことをしよう。

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