04 空の部屋①


 ダブルデートから五日が経った。


 朝ご飯の用意をしていると、フォークが真ん中の辺りでぱきりと割れた。なんだか気分はよくない。私の知る範囲ではフォークは縁起物ではないから絶対にダメなことというわけではないんだけど、あってうれしいわけもない。仕方なくそれを捨てて、別のフォークを取り出した。


 開店の二時間前にはカフェに入る。掃除やら出す商品の準備やら、先に済ませておかないとならないことがいくつもある。もう慣れたもので、二時間前に入らなくても余裕を持てるくらいにこなせるくらいにはなった。でも店長が決めたルールの手前、それを変えましょうと提案するのもはばかられる。だから店に入る時間はいつも同じなのだ。

 ある程度まで開店準備を進めて、ひとつ違和感があった。いまひとつ作業の進みが遅い。変だなと思って店内を見渡してみると、フロアには私しかいなかった。


「おーい、店長。今日って私と誰だっけ?」


「ああ? 今日はシーラだろ」


「そのシーラがいないんだけど? 前もって休むとか言ってた?」


「聞いてねえな。つかホントにいねえじゃん。珍しく寝坊でもしたか」


「ええー、来るまで今日ひとりってことぉ?」


「別に余裕で回せんだろ。アホみたいな人数が来る店じゃねえんだし」


 回せるけどそれがしんどいって言ってるのがわからんのか。いやこの人に言っても無意味か。超人め。女どころか人間とは思えん体力しおってからに。


「いや店長も手伝ってよ。キッチンでいいから」


「わかったわかった。……にしてもシーラめ、遅刻くらいなら構わねえけど、丸一日いねえとなったら心配するぞ、ったく」


「来なかったら私が帰りに家に寄るよ、それとも今からダッシュで確認しに行く?」


「店の準備優先しな」


 さすがに店に一人しかいない状況は避けないとならないことくらいは私もわかっている。不測の事態が起きた場合に対応ができなくなる。だから普段は店長含めて三人体制なわけだし。とするとすでに緊急事態なわけで私と店長はここを動けない。

 別にここのところ体調を悪くしている場面を見た記憶もないから、本当の寝坊なのかな。でもなあ、ちょっとそうは思いにくい。私の記憶が正しければシーラは仕事の日に寝過ごしたことはなかったはずだ。今日が一回目ですよ、って言われても正直なところ納得するのは難しい。そういう種類の子なのだ。


 はたしてシーラは開店の時間になっても、お昼を過ぎても、結局お店を閉める時間になっても姿を見せなかった。意外を飛び越えて信じられないくらいだった。本当に急に体調を崩したのだろうか。そういうこともあるにはある。開店してすこし経ったころにはわずかだった心配が、閉店間際にはむちゃくちゃ大きくなっていた。

 最後の客が帰ってドアに札をかけると私は店長に視線を送った。その意味を察して店長は頷いた。いつもより雑に着替えて私は店を飛び出した。動けないほどの風邪をひいていたらつらいだろう。家にひとり。ろくに何もできない。頭の奥が痛む。似たような記憶が痛んだ場所から這い出てこようとするのを押し込んだ。走っているあいだは頭など働けないことを私は知っている。

 空は夕暮れと夜とがぶつかって、夕暮れが負けそうになっている状況だった。あと少し経てば魔法ランプがいっせいに光を灯す。それが灯っていないぎりぎりの時間はもしかしたらいちばん暗い街の姿なのかもしれなかった。

 何度も遊びに行っているシーラの家の前までたどりつく。ドア横の窓のカーテンは閉まっていて光も漏れていない。この時間に明かりがついていない。一歩も動けないほどなのかもしれない。とりあえずドアを叩きながら声をかける。


「ティナだよ、シーラ、大丈夫!? ドア開けるよ!」


 がちゃ。

 ……鍵が開いてる?

 イヤな予感が走った。私のドアを開けようとする行為に対して、ドアには鍵がかかっているというのがあるべき流れだった。動けないシーラが鍵を開けられる道理がないからだ。

 私はゆっくりとシーラの家に足を踏み入れる。暗い。よく見えない。でもよくないことは感じ取れる。人の気配がない。あってほしいものがない。

 乱れた息がなかなか整わなくて苛立ってくる。頭に血が上る感覚がわかって、落ち着けと何度も念じてもそれは良い結果につながらない。ただふうふうと立ち尽くしたまま呼吸だけを続ける。やっと思考が薄まる感じが取れてきた。

 一秒にも満たない集中で脳みそから首、肩、腕を通って右手の人差し指の魔力回路を開く。骨の内側が膨らむような感覚。そして私の人差し指の先が暖かく光る。

 あまりにもしょぼい私の第一の魔法。これを以て魔女とするとはさすがに言えないからね。ほとんど誰にも言っていないし言うつもりもない。そもそも家系的に由緒正しい魔女じゃあない。傍流も傍流で先祖が誰なのかもわかっていない。

 私の魔法で照らされた室内には違和感がなかった。シーラがいないときの整理された部屋だ。空き巣が入った様子もない。ただ人がいないだけだ。それなのに鍵が開いている。どういうこと? 近くにさっと出かけてるってこと? 店をサボって?


「おーい、シーラやーい……」


 いないことは理解していたけど、とりあえず声をかけずにはいられなかった。

 十秒か二十秒か、それくらいぼうっとして突然に意識がはっきりした。とにかく店長に報告しないとならない。まだなんでもない可能性は残ってるけど、事件の可能性がある。魔法を解いてゆっくりドアを閉めた。


 今度はこれ以上なく全力で走ったからさっきよりもずっとつらかった。脳が太縄で締め付けられるように軋んで、それが痛いのに、痛いからこそ感覚を麻痺させてくれなかった。カフェに着くころには軽く涙が浮かんでいた。

 すっかり日が沈んだカフェの庭から煙があがっているのがわかった。店長が煙草を吸っているのだろう。入口から覗いてみると私の予想通りだった。前庭のテーブルで時間を贅沢につかってくつろいでいる。


「店長! まずい事態かも!」


「うお、なんだ戻ってきたのかよ。つかどういうことだ、風邪よりひでえの?」


「風邪とかじゃなくて、いないんだって!」


 店長は何を言っているのかわからない、という顔をした。そりゃそうか。いきなり人がいなくなったって言われてピンと来る人のほうがおかしい。順を追って説明する必要がある。まずは呼吸を整える必要がある。またか。

 目を閉じて無理に呼吸を遅くした。深呼吸はとっさにできるなら武器になる。


「店長、よく聞いて。いまシーラの家に行ってきたんだけど、家の鍵開いてて、中に入ったんだよ。でもシーラがいなかった」


「ちと焦り過ぎで何言ってんのかわかりにくいが、あいつが消えちまったかもしれないって意味で合ってるか?」


「合ってる」


 そう言いながら落ち着き始めた私の頭には、さっき過ぎった悪い予想がもう一度、今度は言葉のかたちをもって浮かんだ。失踪事件。街で噂になるほどにささやかれ、そしてフィンさんが言うには騎士団も意識を始めているという。捨てたい可能性だ。でも捨てるわけには状況が悪すぎる。

 走ったことが影響しているのか、心臓が高鳴っている。落ち着けていないことが自分でもわかる。


「まずは騎士団に連絡だな。それと他にやることあるか?」


「わかんないから詰所に急ごう。他のことはそのあとで考えたらいいよ」


「私が先行するからお前も走って来い。状況説明はお前のほうが適任だろ」


 そう言うと、店長はまるで時間の流れでも違うかのような速度でランプの明かりの中を駆け抜けていった。直線なら猫と勝負になると本人は言っているが、目の当たりにするとあながち誇張でもないと思えてくる。とても人間の身体能力とは思えない。でもいまはそんなことはどうでもいい。私も全力で走る必要があった。

 息はすぐにあがった。短時間に何度も走れば当然だ。腕は痺れて、脚は感覚がよくわからなくなっていた。肺が痛くて、全身が速度を落とすことを要求していた。けれど私はその要求に無理に逆らった。たった五歩くらいで耳鳴りが始まったような気がしたけど、本物かはわからなかった。

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