02 絡まれガール


 茶葉をもむ。昨日採ってきて寝かせたけっこうな量の茶葉を手もみしていく。家で使うぶんならともかく、お店で出すストックにもなるから正直なところかなり多い。今日の私の仕事はこれひとつで終わる。作業が終わったぶんを明確にするために小分けにしてもんでいく。手がべたべたになるのはもう仕方ない。

 喧騒から離れた裏庭で、ひたすら、ずっともみ続ける。作業を始めて四時間経ったらバックヤードに声をかける。もんで発酵を終えた茶葉を順番に熱してもらう必要があるからだ。この量を相手にそこまでを私ひとりでやるのはさすがにね。

 手がぶっ壊れるんじゃないかと心配になる作業を、太陽が相当な距離を移動するほど続ける。せめて美味しくなってくれ。この店の紅茶は一味違うと言わせる要素になってくれ。そう願う権利くらいはあると思う。


 茶葉をもんだ、で日記が終わってしまうこういう一日は、ご褒美がないとやってられない。店長からの心づけを持ってちょっといいものを食べに行く。女子としてはショックなほど手が青臭いけど、それはもう無視しないといけないものだ。

 行きたいお店は決めてある。騒がしいバーみたいなところだけど、出てくる料理がおいしいのだ。いまのところお酒には興味がないけど、私はあのお店のいいところは料理だと確信している。私があそこに行く理由はそれだけでじゅうぶんなのだ。すくなくとも一度味わったら絶対にもう一回は来たくなるね。


「どーも」


 いらっしゃい、の言葉をもらって空いてるカウンター席に適当に座る。残念ながら店内には大して遅い時間でもないのに出来上がって騒いでる連中もいる。間違ってはいないんだけどね、お酒飲める店なんだし。

 マスターにおすすめを注文して、もういちど店内を見渡す。年齢層は、……すくなくとも私よりはだいぶ上かな。周りを気にしない感じでみんな楽しそうに笑ってる。

 出してもらった水に口をつける。作業の影響で手がまだ完全には言うことを聞いてくれない。カフェの店員も意外と肉体労働だ。


 料理が届いて、さっそく手を付ける。ここの料理の特徴は酒場ということもあって味が濃いめなことだ。そういうものを食べると、こう、食べているっていう実感があっていい。私は濃いめの味が好きだ。繊細な味なんてしゃらくさいね。がはは、いいものを食べていると気が大きくなる。

 騒がしい店内に甘えるように、誰にも聞こえない鼻歌とともに食事を進める。ああ胡椒のアクセントよ、引き立てることの意味を私はきみに教わったよ。

 満足感にひたっていると、隣に誰かが乱雑に座る音がした。注意を向けるまでもなく酔っていることがわかる。蒸発するような熱気の中にアルコール特有のツンと来るものが混じっている。できれば私の食事の邪魔はしてくれるなよ。


「やい姉ちゃん、うい、楽しく行こう。飲もうぜ」


 ちいさな祈りは届かない。まあいいよ、文句は言わない。運に見放されてるな、とがっかりすればそれでいい。絡まれたこと自体はそれくらいの認識でいいけど、この先でどういうふうに展開していくかどうかはもう運の領域じゃないからな。覚悟しておけよ、ティナ・マルレーンはかわいい性格してないぞ。


「あっちで楽しくやってなよ、おっさん」


「なァんだよ、ひとりで寂しそうにしてっからせっかく来てやったんじゃねえか」


「せっかく? せっかくなんて言葉を使えるほど上等には見えないけど」


「ああ? おいそりゃどういう意味だ」


「あんたと楽しくやれるほど私は安くないって言ってんだ、下がんな」


 経験から酔っ払いはこれくらいやっつけないとつけあがると私は知っている。そうしないと始末に負えなくなるのだ。だから予防という自衛の意味と、ついでにすこしのストレス発散のために私は強めに言葉を放つ。


「おいおい姉ちゃんよお、おい、こっちは楽しくやってておすそ分けってなイイ気分だったってのによお、そりゃあねェんじゃねえのかい」


 逆上のパターン。私に非がないとは言わないけど、絡んでくるやつと比べたらまだマシだと思うんだけど。違うのかな。

 凄んでいるつもりなのか近づけてきた顔は酒臭いだけ。かっこよくもないね。よく見るよ、ガキ大将だったんだろ。そんな顔してる。人前に立つとかっこつかないのに耐えられないタイプ。その誤魔化し方がこれ。


「だったら身内で楽しくやってなって。声かけられた側の気持ち考えたことある?」


 ダァン!

 左拳がテーブルを叩く。もともと黒ずんでいた手がお酒で赤くなったせいで、なんて言っていいのかわからない色になっている。カウンターに乗ってた皿もコップもわずかに跳ねて動く。手ひどくフった私が言えることじゃないけれど、その程度で怒るのか。ずいぶんと気が短いことだ。

 お金は先に払ってあるからいつでも逃げられる。でも下手を打つと飛び掛かられたり手をつかまれたりするかもしれない。口は災いの元とはよく言ったものだ。被害が少なさそうなのは虚をつくこと。一瞬でいいんだけど、酔っ払い相手だと確信が持てない。自分で蒔いた種なんだからさっさとどうにかしたいんだけどね。


「誰に口きいてんのかわかってんのかクソガキ」


「冗談やめてよおっさん、クソガキ相手に凄むような立派な人生送ってきたの?」


「っ、テメェ!」


 売り言葉に買い言葉というか、実際はそこまで咄嗟のものじゃないんだけど。まあ相手が怒り出すのをわかった上で煽るのは私の悪いクセ。

 がたん、と椅子を倒して立ち上がり、拳を振り上げるまでがスローモーションに見える。痛い思いをするんだろうな、ってそれを見ながら私は諦めてた。体はまったく動かない。頭だけがこれから起きることを予見してるのに、体はこれから起きることに備えようともしない。頭と体は別の組織。酔っ払いの拳がじゅうぶんなところまで引かれたのか、ほんの一瞬停止してから私のほうへ向かって加速し始めた。


 目に見える衝撃への反射として私は目をつぶっていた。一秒、二秒、まだ衝撃はやってこない。それはおかしい。おそるおそる目を開けると、私と酔っ払いのあいだに人がひとり増えていた。

 振りかぶって体重の乗っていそうな拳を手のひらひとつで受け止めている。私から見えるのは手の甲だけだから推測だけど、さすがに間違ってはいない、と思う。


「行き過ぎだ。自分から少女に手をあげることの無思慮を反省したまえ」


「んだァ!? 横からしゃしゃり出てくんじゃねえよ、薄っぺら!」


 私が矛先から外れたのはいいけど、他の人のところにそれが行け、ということでもない。矛先なんてものは消滅するのが一番だ。彼の登場で、むしろそれは一段と熱を帯びてしまったように見える。この酔っ払いもさすがに私が女だから心のどこかでブレーキがかかってたってことなのか。

 止められた右拳を引いて、さっきカウンターを叩いた左拳が彼の顔面へと向かう。お酒が入ってるせいでそのパンチはなんだかバランスが取れていない。あまり威力がなさそうなのは、たたらを踏んで体を前に預けるようなパンチだからだったと思う。自然なことのように彼はそれをかわして、大振りのせいで見えた酔っ払いの肩甲骨の辺りを軽く押した。すると酔っ払いは簡単に崩れた。たき火のために組んだ木がばらばらと解けていくように。


「来い」


 あれ、腕を引かれるの私なんだ。



 引かれるままに店を出て、近くにあった低い石垣に座らされる。道に暗いところができないようにと設置された街の魔法ランプのおかげで夜に不安は感じない。路地に入ればもちろん暗いところはあるんだけど、そこに文句をつけるのはもはや言いがかりに近い。

 私を酔っ払いから救ってくれた男の背は高く、冷たい感じのする目をしていた。ふつう夜のランプに照らされて多少は穏やかな印象に映るものだけど、そうでないってことはよほどの目をしてるってことなのか。そして何よりも目が行くのがその服装。この街に住んでいたら誰でもわかる。この人は。


「騎士団の人?」


「そんなことよりも、酔客を相手にあんなことを言ったらどうなるかぐらいわかるだろう。途中でまずいと思わなかったのか」


「まあ聞いてよ。ああいうのはさ、あれくらい言わないと引き下がってくれないの。つけあがられるとこっちが大変。自衛なんだよ、失敗しただけで」


「……はあ、その頭の回転をあしらう方向に使えと俺は思うがな」


 座らされて話を聞かされる。まるで構図は説教だ。私の言いたいこともわかってはもらえてるんだろうけど、それでも向こうのほうが正しい。

 見上げた空は暗い。店長から教わったけどよくわからなかった論理だ。夜でも街が明るいと、そのせいで夜空が暗く見えて星が見えなくなるのだそうだ。そのふたつがどう関係しているのかは私にはわからない。


「あんたの言うことが正しいんだと思う。それと本当に助かったよ。殴られるまでは覚悟してたから」


「次からそんな覚悟をしなくてもいいように立ち回るんだな」


 呆れたような物言いだけど、私に文句をつける資格はない。そもそも殴られる覚悟まで話を持っていったのは私だし。絡んできた酔っ払いが悪いのは前提として、この騎士団の人の言うことは聞くのが筋なのだ。冷たい感じはしても、おそらくは善意の人だと思うから。

 事態はこれで完結した。暗い夜の下で、私は救い出されて軽いお説教をもらった。事件とも言えない事件はこれ以上なにも進展しない。だから。


「騎士団の人がなんであんなとこにいたの?」


 質問をしてみることにした。


「余計なことは気にしなくていい」


 お、なんだ、意外と騎士団のわりに社交性がないタイプか? すくなくとも歓迎されている感じはしない。もしかしたら単純にご飯を食べに来てただけなのにケンカの仲裁をさせられてしまったのかもしれないんだから、その場合は本当にごめんなさいなんだけどね。

 もし違うパターンがあるとしたら、内部事情を話してはいけないっていう教育が徹底されているってのもあり得るか。それもどんな小さなことでも。


「まあまあ、そうツンケンしないでよ。これも何かの縁でしょ」


「警邏中だ。これでいいか? わかったら早く帰るといい」


「ケイラ、って見回りしてんの? こんな時間まで?」


「近ごろ市中で失踪事件が続いている。我々としてはこれ以上に被害者を増やしてはならないんだ」


 ああ、失踪事件。うわさには聞いてる。幸いと言っていいのか難しいところだけど私の周りには被害者はいない。けれど街を歩いていてその話が耳に入らない日はないくらいには事態が大きくなっているらしいことは知っている。具体的に何人が、っていう数字は発表されていない。でもまあ、かなり多くなっているだろうことは誰もが想像ついていることだろう。

 ここから先は藪蛇というか、つついてはいけないところだ。たぶん招待さえされてない庭先に踏み込むとか、生垣に顔を突っ込んで中を覗くみたいな、そういう当然にされたくないことをするのと変わらない。


「そういうこと。わかった、それじゃあ帰るよ。お疲れ様」


 私が言うや否や、その騎士団員はすっと振り向いてランプの光の中を歩いて行ってしまった。もしかして相当に切羽詰まってるのかね。そう思って見ると歩き方も神経質で余裕があるようにはとても思えない。連続失踪事件か。怖い話。

 その人が歩いて行った方向をじっと見ていると、不意に明日のことがよぎった。

 ……ダブルデートか。気が重い。

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