紅茶を淹れるにもワケが要る

箱女

01 ティナ・マルレーンと一杯の紅茶


 攫われたのは、まあいいか。夢の中での話だし。

 それがあの『世界の根っこ』の仕業だってのも良しとするよ。良くないけど。

 でもその悪ふざけの結果が、これ? 本当に?



 私の背中で茶葉が揺れる。摘みたてで新鮮な茶葉がカゴのなかでわっしわしと音を立てている。私これ最高の長所だと思うのよね。カフェで出す紅茶を茶畑から作ってます、っていうの。よそがうちの店みたいに商品を出してるなんて話、聞いたこともないし。

 不揃いの石畳の住宅街にある、ちょっとオシャレ感のある建物が私の勤めるカフェだ。門からちょっと奥まったところに二階建ての店がある。庭にもテーブルセットがあって、そこでお茶を楽しむこともできる。でも似合う人はあんまりいない。

 門から真正面に進んだお客さん用の入り口じゃなくて、店の脇を抜けて従業員用の裏口へと回る。その気になれば乗り越えられそうな頼りない石塀が裏庭のスペースを確保している。あるのは井戸とちょっとした樹齢の木が一本。意外や意外、私の勤め先はけっこうな広さの敷地を有しているのだ。


「ティナ・マルレーン、戻りましたあ」


 あくまで店内には届かない声量で帰ってきたことを報告する。バックヤードに誰も見当たらないってことはいま注文入ってないのかな。まさか地下室に入る用事はないだろうし。そもそも地下の担当って私だし。

 名札を表に戻して帰ってきたことに気付けるようにしておく。そして地下への急な階段を下っていく。地表から二メートルほど下りると厚めの扉がある。初めて下りたときはわくわくもしたものだけど、秘密なんてものは何もない。とても実際的な役割を与えられている空間だ。

 私は部屋の一角にある敷物を広げて、そこに摘んできたばかりの茶葉をざばざばと山盛りにしていく。そうしてから全部の茶葉が均等に空気に触れられるように均していく。ああ萎れていけお前たち、おいしい紅茶になるために。一日ばかりゆっくりと眠るんだよ。


 面倒ではあってもこれは必要な作業だからね。サボるわけにもいかない。サボれるときが来るとしたら、うち並みの品質の紅茶が市場に出回ったら、だね。でもそれはうちの特別感がなくなるのと同じ意味だ。その意味だとサボれるときは来てほしくないかな。後ろ手にゆっくりと扉を閉める。いつもの仰々しい音がした。

 いつ入っても温度の変わらない地下から上がる。地下にはちょっとしかいなくても陽の光は眩しくなる。階段を上がり切ると見慣れた顔がそこにあった。


「あ、ティナ。地下だったの。ちょうどいい」


「ただいま、なんかあった?」


「紅茶の注文入ったから淹れて」


 顔を見た瞬間から予想はしてたけど、できればして欲しくなかったお願いだ。私は正直もう紅茶を淹れたくないのだ。


「え、やだよ。シーラ作んなよ」


「もう。私が紅茶淹れるの得意じゃないって知ってるでしょ」


「私はさ、思うんだよ」


「何を?」


「シーラってば基準を高く置きすぎなんじゃないか、って」


 ウインクと指さしでキメてみる。これでなんとか押し切れないものか。

 実のところ嘘はついてないのよね。この子いろいろ高水準なものだから上ばっかり見て頑張ろうとしすぎているところがある。だからたぶん店長レベルになるまで自分で特訓してからお客様に出したい、みたいなこと考えてるんだろうな。

 それはいいことかもしれないし、そうでもないことかもしれない。でもそれとこれとは関係なしに私は紅茶を淹れたくない。粘るぞ。


「でもティナのほうが美味しく淹れられるじゃない」


「シーラのだって美味しいよ。でなきゃ店長も任せないでしょ」


 かわいくほっぺをふくらませて、ぶうぶう言いながらシーラは魔法コンロのほうへ足を向けた。セーフ。

 自分が飲むぶんにはいいけど、誰かに振る舞うとなるとなあ。カフェ店員としてダメなのはわかってる。でも紅茶だけは許してくれないか。紅茶を淹れる以外の業務を頑張るから許してくれないか。なんて考えてはみても結局は難しいって結論になることはわかってる。それをカバーする方策がないわけじゃないけど、それをやったらあからさまに怪しいもの。せめて案くらい出してくれないかな、店長。


「ねえティナ、やっぱりお願い。お客様にはベストを提供したいの」


 シーラ、いつの間に戻ってきたんだい?

 手を合わせて上目遣いでのお願いは私には効く。そしてその理由が正当なのもいけない。私が断る理由がなくなっちゃう。頑張って言い訳を探したいところだけど、そんなものはもうないぞってどこかで理解している自分がいる。ぐむう。


「じゃ、じゃあせめて、持っていくのはシーラがやって」


「わかった。ありがとう、ティナ」


 ぱっと花みたいな笑顔を浮かべる。これはお願いを断るの無理だよ。それとも私が押しに弱いのか。そんなことはないと思うんだけどな。

 魔法コンロで水を温めておくあいだにカップと茶葉、ポットを用意する。手間なんてかからない。あとは習った通りに淹れればいい。手順は一般家庭でやるようなものとは違うけれど、難しいわけでもない。ひと手間で美味しくなる、を忠実に実行しているだけだと私は思っている。

 カップをじゅうぶんに温めて紅茶を注ぎ、小皿に載せる。


「おーい、できたよ」


「ありがとう、すぐ持っていくね」


 しずしずと商品を持って歩いていく後ろ姿はきっちり訓練されたものだ。さっきの私たちのやりとりみたいな女子らしさはすっかり消えている。それなりに大きい地震が起きるくらいじゃないとカップの中身はこぼれない。平時なら二ミリも波立たないんじゃないかな。

 さて問題はここからだ。いや問題になるのかな。ならないといいなあ。でもこれはただの願望だよなあ。起きる問題の種類が読めないのはちょっとつらい。

 だからといってこのバックヤードから逃げ出すわけにもいかない。いまは勤務中だし。けれども私は現場がどうなるのかをあまり見たくない。ある意味においては私が原因なんだけど、ある意味においては私は関係ないのだ。シーラならたぶんそんなに変なことにはならないと思うんだけど。


 がちゃん。ばたん。たったった。五分も経ってない。戻ってきちゃったか。つまり何かあったってことだよね。ふつう持ち場から離れないもんね。ヤバい事態が発生していませんように。

 シーラはバックヤードに戻ってきて周囲を見渡して、そして私を見つけた。あれ、ちょっと待って。これどういう表情?


「ティナ! ど、どうしよう! ででっ、デートに誘われちゃった!」


「お、そっか! よかったじゃん!」


 そっちか! よかった!

 よしそうだよね、シーラはかわいいんだもの。そうなるのは自然だよ。

 正直なところこの子がデートに誘われたことを喜んでいるかはわからないけれど、私にとってこれはラッキー。私は内心で胸をなでおろしてシーラに向かい合う。さてまだ私には判断のつかない表情だ。戸惑いと照れと、あといくつかの感情が混じって混乱が表に出ているっていうふうに見える。話をふってみようか。


「どんな人? イケメン?」


「なんか、うん、顔は整ってると思う。あ、ちょっとキザよりかな」


「……すごそうなのに口説かれたね」


「うん。びっくりしたよー。ごゆっくり、って言って戻ろうと歩き始めたらいきなりだったんだもん」


 間違いない。効果が発動してる。

 はあ。こんな感じでラブラブを簡単に生み出すような魔法だったらどんなに気楽に紅茶を淹れられたんだろ。とはいっても恨み言を投げようにも相手が悪い。

 シーラにとってはどちらかといえば良いほうに分類される出来事になったらしく、両手を胸の前に持ってきてはしゃいでいる。


「それで、返事はどうするの?」


「……えっとね、そのことでティナにお願いがあるの」


「私? 服のセンスとかはシーラのほうがいいと思うけど」


「じゃなくて、ついてきてほしいな、って」


 何を言ってるんだこの子は。

 予想もしていない言葉というものには、人の思考を一瞬からっぽにする力がある。後ろから膝カックンをカマされたときのような、中身が入っていると思い込んでいたやかんをその力配分で持ち上げてしまったときのような。そしてそのからっぽの空間に入り込んでくるのは照れくささによるちょっと弱体化した思考と言葉なのだ。そのときの私も見事にそれを体現していた。


「……それはもうデートじゃなくない?」


「だ、だって、よく知らない男の人とふたりっきりでおでかけって恥ずかしいっていうか、わかるでしょ」


「恥ずかしさがあるのはわかるけどさ、お互いに知らない部分を埋めてくのがデートでしょ。なんか聞いてる感じだと私があいだに挟まるような気がするぞ?」


「う。いや待って。でもそうはならないの。当日になったらもうひとり男の人連れてくるって言ってたから」


 シーラとその相手がいて、もうひとりの男と私がいる……?


「ダブルデートじゃんそれ!!」


「か、かたちとしてはそうなるというか」


「目ぇ逸らしたねシーラ! やましいことをした自覚があるんだな!?」


「……えへ」


 舌を出すなきゅってするな上目遣いをするなかわいい仕草をやめろ!

 この子は私よりよほど魔女だ。許させるなんて精神操作はそうそう転がってるものじゃない。まあ仲良いからこういうことしてるんだろうし。普段の振舞いは、助けてなんて当たり前に言えちゃうようなもので、さっき言ってたような恥ずかしさ先行の言動は特例なのだ。だから私も自然と甘くなる。友達なんてものは迷惑をかけあっていくもの。お願いもするしやらかしたことを謝りもするんだよ。

 シーラはもう戻ってきたときの焦った様子なんか忘れちゃったみたいににこにこしている。話の決着がついてしまった。たぶん私はダブルデートからは逃げられない。他の人に頼もうにも予定とかあるだろうし、そもそも乗ってくれる確証もない。

 私は両手をあげる。降参。


「……今度ごはんか何かおごってよね」


「連れてく連れてく! いいとこ行こう!」


「で、いつの話?」


「あさって。ティナもお休みでしょ?」


 私の休みくらいわかってるよね。シーラとは出勤日けっこう重なってるわけだし。こう見えてなかなか計算高い女よ。私が休みに予定を入れないことも考慮して勝手に話を進めてたんだな。こっちに負い目がなければ頑張って断ろうとしたのに。因果は回るというやつか。

 もう降参の意を示したのにもかかわらず、私は敗北感からため息をついた。


「……そだよ。集合時間と場所は?」


「午後一時にここの門で」


 やっぱ紅茶淹れないほうがよかったのかなあ。

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