Sid.92 英国への留学当日

 バタバタと忙しない朝。


「忘れ物無い?」

「たぶん」

「たぶん、じゃないでしょ」

「大丈夫」


 行ったら気軽に帰って来れないのだから、ちゃんと荷物のチェックをしておけと。

 慣れないことだらけで、前日までてんやわんやだったが。当日もまた大騒ぎだ。

 最終確認を済ませ綾乃の家に寄り合流し、そこから空港へ向かう手はずになってる。父さんも母さんも見送りついでに、鴻池家に挨拶に行くらしい。


「佑真君。お別れのキス」

「たった三か月だっての」

「でも、あたしには長いよ」


 朝から見送るために家に押し掛けてきた心陽こはるだ。前日の夜も来てるんだよな。その時は大変だった。

 裸で迫る心陽が居て、抗う俺が居て。


「佑真君。お別れの前に」

「いや、たった三か月」

「だって、行ったらするんでしょ?」

「何を」


 綾乃とするのだったら、先にして欲しいと懇願されて。服を脱ぎ捨て小さな膨らみを見せ、ああ、それなりに膨らんではいるのか。陽奈子さんとは比較にもならんが、これはこれで妙に気分を高揚させる。

 じゃねえっての。こんなことで抱けるか!


「帰って来たら考えるから」

「してくれないんだ。やっぱり鴻池さんが」

「違う。でも綾乃には向き合わないと」

「だよね。お金出してくれて、いろいろしてくれてる」


 自分は何もできない。差があり過ぎて太刀打ちできないと。そして何より俺が遠くへ行ってしまいそうだとも。

 以前の俺のようだ。心陽は俺に付いてこれなくなってる。俺の心陽に対する気持ちは変わらないってのに。これって、綾乃が抱いていた感情かもしれないな。

 立場が変化することで気付くものって、あるんだな。


「心陽」

「してくれるの?」


 心陽を抱き寄せ唇を重ね合わせ少々濃厚な奴を。

 唇が離れると俺の手を取り小さな膨らみに誘導される。ここまでは仕方ない。でも、この先は無いからな。そこは明確に線引きしておく。

 すっかりしな垂れてきて、体を預ける心陽だが。


「帰って来たら誰と付き合うか決めるから」


 落ち込んでる。自分が選ばれる可能性は無い、そう思ったんだろう。確かに留学先で綾乃としてしまったら、後戻りはできそうにない。

 断固として拒絶し帰国後に決める。最後の一線は絶対に超えないから、と言って再びキスをして服を着てもらった。

 股間が暴れて仕方ないんだよな。もうバレてるし、手を宛がって「準備できてるのに」だって。撫でないで欲しい。漏れるっての。


 両親と心陽、俺の四人で電車に乗り鴻池家に向かう。

 下車して少し歩くと長く巨大な塀が見え、門の前に立ちインターホンのボタンを押した。

 呆ける両親だが、何度も来てるから何とも思わん。いや、いよいよ留学ってことで、そっちの方で緊張から吐きそうだ。

 少しして笑顔で出迎える綾乃が居る。


「どうぞ。あ、掛川さんも来たんだ」


 両親と心陽を迎え入れると、一度リビングに通され、綾乃の両親と対面する俺の親だ。

 畏まった態度で「この度は大変お世話になります」と頭を下げてる。心陽も挨拶してるが母親に「お友だち? それとも恋敵?」なんて言われて「ライバルです」と強気に出たようだ。微笑みながら「可愛らしい」と言われて、ちょっと悔しいような感じだな。綾乃と比べると幼く見えるからなあ。

 父親は挨拶が済むと仕事に出るようだ。娘が留学するってのに見送りしないのか。


「留学程度で見送りなんて大袈裟だから」


 家の格が違い過ぎるな。鴻池家では当たり前のことか。

 代わりに母親が空港まで送ってくれるそうで。見送りは母親任せ。姉はと言えば外出していて既に居ない。気にもしないのかと思ったが「これ渡されたんだ」とか言って、避妊具を見せてくるし。前に経口避妊薬を持ってたじゃないか。

 あれはどうした? と尋ねると「飲んでる」だそうで。やる気満々だ。


「じゃあ要らないんじゃ?」

「性病予防も兼ねるって」

「そうか。俺が性病の持ち主と」

「思ってないよ。念のためだから」


 まあ、なんでもいいや。留学中は手を出さないからな。


 着替えの多くは後日届けられる。持参するのは当面の着替えやら、タブレットにスマホに滞在先で必要となるものだ。

 大型のキャリーを転がし車に積み込む。

 ディフェンダーとかフロントに入ってる。これまた、ごつくてでかい車だな。


 車が走り出し一路空港へ。

 一時間ほどで羽田空港に着き、搭乗手続きを済ませ見送られた。父さんと母さんの心配そうな表情がな。初めての海外だし。まあでも、これもいい経験になるし、何より英語もしっかり身に付くだろう。

 別れ際、どさくさ紛れにキスしてきたのは心陽だけどな。綾乃が間に入ろうとするも、素早い動きで俺の唇を奪って行った。

 出発までの間、綾乃の怨嗟の声がぶつぶつ、耳に念仏の如く響いていたが。


「佑真君。脇が甘いよ」

「いや、あれは仕方ない」

「喜んでる」


 多少は。心陽は可愛らしいんだよな。裸も見ちゃったし触らされたし、撫でられた。それを言ったら綾乃の裸も見てるし、触らされてるけど。どっちも進展具合は同じくらいか。

 イギリスに行っている間に、綾乃と距離が縮まったら、その時はその時だな。

 四六時中一緒に居ることになりそうだし。


 ロンドン、ヒースロー空港への直行便に乗り、緊張し捲る俺とリラックスする綾乃。

 実に対照的だ。移動慣れしてるよなあ。

 ビジネスシートに深く腰掛け、隣に腰掛ける綾乃を見ると「婚前旅行だ」とか言ってる。違うからな。留学だっての。


「婚前交渉もあるんだよ」

「ねえぞ」

「初夜は燃えるよね」

「だから、無いんだっての」


 体に磨きを掛けてベストコンディションを維持するとか。余計なことしなくていい。勉強しに行くんだから。


「現地の空港に着いたら、どこに向かうんだ?」

「電車でウォータールー駅に向かえばいいんだよ」


 そこから徒歩二分。駅に隣接するホテルらしい。

 部屋は簡易キッチンの付いた、スタジオダブルルームとか言う奴らしい。ダブルベッドとソファベッド一台ずつ。朝食は付いていて夕食はレストランか、外食、または室内で簡単な調理。

 バスルームにはシャワールームとバスタブ。日本と違いバスルームにはトイレも洗面台も、全部同じ場所にあるとかで。


「ガラス張りだよ」


 写真を見せられたが、これ、トイレで用足しする際に困る。

 個室になって無いんだもんなあ。綾乃がシャワーを浴びてたら、トイレで用を足せない。俺がシャワーでも同じ。


「あたしの時は遠慮要らないよ」


 変態め。

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