Sid.72 家庭教師の作る飯

「ご飯はありますか?」

「あ、冷凍庫に」


 キッチンから聞いてくる陽奈子さんだ。飯は炊いて冷凍保存している。手間を減らすために多めに炊いておくからな。

 こっちは食卓の椅子に腰掛け、しな垂れてくる鴻池さんとの攻防中。キスを迫って来るし胸を揉ませようとしてくる。やめろと言うと「佑真君、先生を見る時の目付きが違う」と文句を言う。

 差が付き過ぎていて、自分の入り込む隙すらない、そう感じるようだ。確かに隙なんて無いかもな。俺が好きなのは陽奈子さんであって、鴻池さんではないのだから。


 冷凍庫を漁る陽奈子さんだが「この冷凍ほうれん草、使ってもよろしいですか?」と聞かれ、遠慮なく使ってくださいと。

 陽奈子さんとの会話があると、次には鴻池さんが体を触らせようとしてくる。さっきは胸だったが、今度は太ももに俺の手を置こうとするし。置きたい気持ちはあれど、やっぱりここは抵抗を試みることに。


「もう! 触ってよ」

「アホか」

「アホじゃないから。遠慮要らないんだよ」

「遠慮するっての」


 触られないことで癇癪ってなんだこれ。陽奈子さん居るし、飯の支度してくれてるし。それなのに乳繰り合っていられるかっての。

 キッチンからは炒め物の音がしてきて、同時に匂いも漂ってくる。そうなると腹が鳴るわけで。


「佑真君、お腹空いてるんだ」

「まあ時間も時間だし」

「ご飯作って持ってくればよかった」


 俺の手を握り撫で回してるし。ついでに「この手で蹂躙して欲しいな」じゃねえよ。高校生が口にする言葉じゃないって。どうにも変態過ぎて時々付いて行けない。

 またしても顔を近付け「キスしてよ」とか言ってるし。こいつ、きりがねえ。


「佑真君。キスくらいしてあげたらどうです?」

「え、いや。駄目でしょ」

「何回もしてるのに今更だってば」

「そうなのですね。既に口付けは交わしていると」


 ならばと陽奈子さんまで「遠慮しなくていいようですね」って、ヤバいっしょ。

 鴻池さんの手に力が篭もるし、唇尖らせて正面から突貫してくるし。

 仰け反ると覆い被さるような態勢になり、結局、俺の唇はまたも奪われたわけで。


「佑真君。後ほど、私ともしましょうね」

「先生は駄目」

「大人の濃厚なキスを知っておくのも良いです」

「駄目だから」


 鴻池さんの嫉妬が輪を掛けて酷くなるようだ。

 陽奈子さんとのキスは是非したいけどな。まあ先々合格でご褒美あるし、その前に自信を付けさせるなんて名目で、何かしてくれるようだし。楽しみだな。

 食事ができるとテーブルに並べ「さあ食べてしまいましょう」となった。

 回鍋肉と味噌汁にご飯。昼ならこれで充分だ。


「意外と真面」

「味は保証しません」


 見た目は問題無し。味は、と思い口に運ぶと、うん。問題無いって言うか馴染む味だな。どこか町中華のような。鴻池さんの家で食った飯は、美味いとは思ったが、馴染みのない味過ぎて、どう評すればいいのか分からんかった。

 鴻池さんの作る弁当も美味いには美味い。でも、どこかデパ地下の惣菜みたいな。滅多に口にすることは無いけどな。何かのイベントでもない限りは、早々食べることは無いんだよ。あんな贅沢品。

 安心できる味は陽奈子さんの作った飯だ。生活水準が近いからかもしれない。

 やっぱり庶民は庶民が相応しい。上流階級とは味覚からして違い過ぎるな。


「お嬢様の口には合いませんでしたか?」

「大丈夫。食べられるから」

「美味しくは感じないのか」

「美味しいってば。なんか悔しいから」


 一応、美味いと言ってる。金持ちの味覚に合うのかどうか知らんけど。

 昼飯が済むと暫し食休みになる。

 リビングのぼろいソファで寛ぐ、とは言い切れんかもしれん。俺の隣に鴻池さんが腰を下ろすが、どうにも収まりが悪いようだ。座面がへたってるから、ケツが沈み込むんだよな。陽奈子さんも俺の隣に腰を下ろし、背もたれに体を預け目を瞑っている。なんだかお疲れのようだ。


「眠いんですか?」

「そうですね」

「昨日寝るのが遅かったとかですか?」

「実家に行ってました」


 あまり語られない陽奈子さんのプライベート。

 二人に挟まれ右手は鴻池さんの手を握り、左手は陽奈子さんの手を握ってる状態。なんか、少し、居心地ってのが。普通に座っていたいんだが。


「差し支えなければ、実家に何しに行ったのかとか」

「近況報告と」


 目を開け俺を見て「結婚相手は居ないのかって、定番ですね」だそうだ。

 まだ二十五歳くらいなら焦って結婚しなくても、とは思うけどなあ。


「気になる人は居る、と伝えてますけど」


 そう言って俺に微笑む陽奈子さんだ。まじで俺なんかがいいのか。

 右隣の鴻池さんの手に力が。更に手を引っ張られ、だから、やめんかこら!


「ちょ、おい」

「佑真君はあたしと結婚するんだからね」

「それが良いと思いますよ」

「あ、いや、あのですね」


 鴻池さんの胸を触らされた。ただし、服の上からだし柔さは感じ取れない。直じゃないと感触は分からんな。じゃなくて、陽奈子さん、年齢気にしてるんだよな。

 陽奈子さんと繋がる手。軽く撫でられてる。ちょっと両側ってのが落ち着けないんだが。


「陽奈子さん、年齢気にしてます?」

「しますよ。八歳差ですからね。逆ならまだしも、女性は劣化が激しいですからね」

「そうだよ。佑真君。先生はすぐお婆さんだからね」

「いや、さすがにお婆さんは無いだろ」


 確かに十年後二十年後なんて先を思うと、どうなっているか、どう感じるかは分からない。俺が二十七歳の時には三十五歳だし。三十七歳の時には四十五歳。あ、でも。


「年齢重ねると気にならなくなるかも」

「佑真君、妙な希望的観測は無しだからね」

「いや、そうじゃなくて」

「先生くらいだと、おっぱいお腹まで垂れ下がるよ」


 そんなのはどうでもいいんだが。中年太りで醜くなるんだよ、とか言い出すし。それを言ったら鴻池さんも一緒だっての。

 誰もが同じように歳を取る。条件に違いは無い。俺だって歳食って冴えないおっさんになるわけで。人のことを言えるわけもない。ましてやパートナーが老けたとか、劣化したなんて口が裂けても言えないだろ。当たり前のこととして受け入れるべきだ。


「気にしちゃいけないな」

「あたしなら十歳若いんだよ」

「そりゃそうだけど」

「佑真君はお嬢様を相手にされた方が、きっと幸せになれますよ」


 ならない。決して対等な関係にはならないのだから。

 ずっと劣等感を抱くことになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る