Sid.62 近い将来像を描く

 無理やり奪われた唇だったが、離れると部屋を出るようで「佑真君も一緒に」とか言って、手を取り立ち上がらせられ部屋を出た。

 廊下を少し進むと部屋のドアと違うドアがあり、開けると「歯磨きしようね」だそうだ。鴻池さんも食事の味が混ざって、不快感を得たのかもしれん。

 洗面所のようで洗面台の下にある扉を開け、暫しごそごそ漁っていたようだが、未使用の歯ブラシとコップを手渡してきた。


「佑真君はこれ使ってね。歯磨き粉はこれ」


 洗面台のボウルは二つあるから、同時に歯磨きができるわけで。

 鏡に映る俺の姿は間抜けだ。

 並んで歯磨きを済ませると「次本番」とか言ってるし。


 部屋に戻るとベッドに座れと促され、並んで腰掛けると唇を奪いに来る。いや、俺のタンを奪いに来てると言えるかもしれん。

 重なり合い絡め合う。実に淫靡だ。腕を背中に回し抱き締められ、密着度合いも高い。押し付けられる豊かな感触。なだらかな弧を描く二つの物体を思い出す。


「佑真君、しようよ」

「無い」

「体は正直だよ」


 くそ。

 このままだと鋼の意思が挫け、鴻池さんの思惑通りになってしまう。何としても阻止したいが、抱き合う姿勢を崩そうとすると、泣きそうになるから離れられない。

 本気で求めてるのかもしれないと思うとな。でも、やっぱりこの家の仲間入りは嫌だ。

 口では対等の関係云々言っていたが、それも最初の内だけだと思う。

 馴染むまでは客人扱いするだろうし、すぐに逃げ出さないよう飴を与えるわけだ。しかし、数年もすれば「いつまでも甘えは許されない」なんてことになる。そこからは間違いなく地獄の日々になるだろう。


 いつしか人の心を捨て横柄横暴で、他人を顧みず利益至上主義の化け物になる。

 そんな存在になりたくない。でも婿養子如きが何か言ったところで、口答えは許されないだろう。

 どうせ近い将来、鞭打つだけになる。馬車馬の如く働かせられ、休日なんて与えられるわけも無く、過労死するのが関の山なんだよ。死ぬと「この程度で潰れるとは、実に情けない」なんて言われて、海に投げ捨てられるんだろうな。

 今は懐柔策を用いて引き込む算段を整えてるだけだ。引き込んでしまえば体のいい奴隷の一丁上がり。


「佑真君。変なこと考えてない?」


 顔に出やすいのか?

 顔を覗き込んで「思ってるようなことなんて絶対無いからね」と、額と額を合わせキスをしてくる。


「信じていいんだよ」


 俺と鴻池家では確かに違いが大き過ぎると思うらしい。俺の家を見て生活ぶりを見れば、自分が如何に恵まれ過ぎているか、よく理解できたと言う。あのトタンでできた小屋を見ればな。さすがにボロ過ぎて面食らっただろうよ。

 ぎゅっと抱きしめてくると、耳元で「あたしが家を出る選択肢もあるんだよ」と言い出した。


「佑真君が、この家に馴染めないなら、あたしが佑真君の家に行けばいい」


 親からの援助を断ち独立して生計を立てるのもありだと。

 一般的な人はそうやって生きて行く。何も親元で生活する必要は無いし、援助を断っていれば、それこそ二人で支え合い思うように生きられる。


「当面、二人でアパート暮らしでもいいんだよ」


 大学を卒業したら二人だけの部屋を用意すればいいと。新入社員では充分な収入は得られない。でも、二人で支え合っていれば、最低限の生活を営むことはできるはず。数年程度は苦しくても、一緒なら乗り越えるのは容易だと考えるそうだ。


「それなら佑真君の懸念は無くなるでしょ」


 俺と一緒なら家を捨てる覚悟はある、と目を見てしっかり宣言してきた。

 少なくとも今は本気なんだろう。実際にそんな生活に耐えられるか、と言えば俺から見たら不安しか無いけどな。

 俺は貧乏暮らしが普通だから問題はない。雨風凌げて飯が食えれば。

 でも、鴻池さんは違う。経験したことのない苦難となるのは確か。その時になって「無理」とか言って逃げ出す可能性もある。


「じゃあ、こうしよう」

「何?」

「大学に入ったら、一度俺の家で生活してみる」

「あ、いいんだ。同棲できるんだね」


 おい、気軽に考えるなよ。

 こんな豪奢な建物で生活していて、急に掘っ立て小屋での生活に馴染めるかっての。

 隣接する家の騒音、道路を走る車の騒音。階下へ音は筒抜け。床は抜けそうでギシギシ鳴る。夏は暑く冬は寒く快適性なんて皆無。虫も室内を這いずり回るし飛び回って鬱陶しい。

 風呂は狭く薄汚れていてトイレも狭く汚い。掃除はしているが、経年劣化による汚れだからな。

 これで大地震でも来てみろ。家ごと押し潰されるぞ。


「それに耐えられるのか?」

「佑真君と一緒なら」

「舐めて掛かってると三日で逃げ出したくなるぞ」

「大丈夫。佑真君が居れば」


 あとはあれか、四六時中顔を突き合わせる生活だ。

 気持ちって冷めるものじゃないのか。恋愛感情なんて三か月程度しか維持できない、なんて話もあるようだし。以降はひたすら惰性。そのうち、恋人同士の関係から、ただの異性でしかなくなり、いずれ空気のような存在になるとか。

 母さんが父さんや俺の前で屁をこく。あんな状態になるのか。この優れた容姿の持ち主もいずれは俺の前で「ブー」とか鳴らすわけだ。


 あ、いかん。

 急に気持ちが萎えてきた。

 でも生き物だし、屁のひとつやふたつ。げっぷだってあるだろうし、時に下痢で便所に籠りブリブリ言わせるのも。鴻池さんが入ったあとの糞尿臭を嗅ぐこともあるのか。美少女のウンコ。じゃねえっての。俺にそっちの趣味は無い。

 それにしてもギャップが凄まじいな。俺程度とか学校の女子レベルなら、まあそんな姿も想像しやすいが。


 鴻池さんを見る。そうすると見つめ返してくる。

 美形だ。

 ギャップ、だよなあ。


「うんこ、するんだよな」

「え」

「あ、今のは聞かなかったことに」

「佑真君」


 スカトロの趣味でもあるのか、と言われたが絶対ない、と言っておいたが疑って無いだろうな。

 まあ美少女なんて言っても中身は同じ人間か。違いはどこにも無いんだもんな。


「今は勉強して最難関校入学を目指す」


 いろいろ考えることはあるが、それまでは余計なことはせず考えず、目の前のことに集中した方がいい。

 鴻池さんとのあれも、卒業までお預けってことで。


 俺の手を取り摩ってる。と思ったら、だから柔いブツを掴ませるな。

 真面目に考えていたことが全て吹っ飛ぶだろ。


「直」

「あ、え?」

「聞かなかったことに」


 つい本音が漏れちまっただろ。

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