Sid.56 お嬢様が初来訪する

「佑真君。今日うちに来る?」

「行かない」

「なんで?」

「家で勉強したい」


 うちでやればいい、なんて言ってるが行くのも嫌なんだよ。何かと高慢な態度の父親は虫唾が走る程に嫌いだ。気を遣っているようで人の神経逆撫でする、あの金満母娘も嫌いなんだよ。

 ああ、俺って嫌いなもの多いなあ。逆に好きなものって少ないかも。

 陽奈子さんが来る時だけ行きたい。居ないのに行ってどうするってなものだ。


「家でじっくり取り組みたいから今日は行かない」

「なんか避けてる」


 当たり前だ。

 鴻池さんが、あの家族と縁を切って飛び出したら、迎え入れてもいいかもしれないけどな。代わりに楽な人生は歩めないけど。貧困に喘ぐ生活で構わないってなら。

 まず無理だろうけどな。何ら苦労も無く育ってきてるだろうし、金に困るってことがどういうことか、一切理解して無いだろうから。


「落ち着ける環境でやりたいだけだ」

「じゃあ、あたしが佑真君の家に行く」

「絶対イヤだ」


 かなり強く言ったせいだろうか、目を丸くして、すぐに泣きそうになってる。


「そこまで、言わなくても」


 つい口から出たが不満があるから出る。ずっと内に抱え込んできてるわけで。

 鴻池さんに非が無いのは分かってる。それでも無理なものは無理。


「ごめん。言い過ぎたけど、今日は本当にひとりでやりたい」


 駅まで一緒に歩くが、背中を丸めていつもの元気は無い。腕を絡めたり指を絡めることも無く、さっきの言葉が相当堪えたようだ。

 隣で俯き泣きそうな表情で歩いてるし。

 さすがに悪いとは思うけど、だからと言って鴻池さんを家に招く気は無い。貧乏自慢じゃないが、あの家と比較したら犬小屋だ。それに家に連れて行けば、ますます距離を縮めようとしてくるだろう。俺としては離れて欲しいわけで。

 金持ちと貧乏人が交わること自体、無理があると気付いて欲しいものだ。


 駅に着くと「佑真君。なんか、あたしから離れたがってる」と言ってきた。

 気付いてるなら俺なんて諦めて、他の金持ち相手にした方がいい。その方が余程幸せになれるだろ。

 肯定も否定もせずホームの階段を下りようとすると。


「明日の文化祭、一緒に回ろうね」


 頷いておいた。

 去り際に見た鴻池さんの悲しげな表情。少し心も痛むが、でも、分不相応な恋だと気付いて欲しい。鴻池さんには相応しい相手が必ず現れる。全てを手にした白馬の王子様って奴がな。

 ホームに下り立つと向かいに、やっぱり俯いたままの鴻池さんが居た。

 かなりショックだったか。


 俺なんぞに惚れるからだけど、多少のフォロー、なんて甘い態度をとるから勘違いするのか。

 このまま関係が消滅する方がいいと思う。


 家に帰り昼飯は昨晩の残り物で済ませ、自室で勉強をするが最後に見た表情がな、脳裏にこびり付いてるわけで。

 やっぱり少し言い過ぎた。さすがにあんな表情させたいわけじゃないし。鴻池さん自身は分かってるんだよ。自分で得たものじゃなく、与えられたものに過ぎない。だから自分には俺と同じく何も無いって。

 そこらの金持ちのドラ息子やバカ娘とは違う。


 スマホを手にしてDMを打ち込む。

 送信すると間髪を入れずに返信が来た。


『本当にいいの?』


 まあ家に来てもいい、と送信したわけだが。

 まだ半信半疑なようだ。それも当然と言えば当然か。あの断り方じゃな。

 まじで来てもいいと返信すると「今からは駄目だよね」と控えめだ。スマホの時刻を見ると午後二時を少し回ったくらいだ。

 一緒に勉強する時間は充分にあるわけで。

 自宅最寄り駅を伝え、改札前で待ってるから来てもいい、と返信すると「十四時四十五分到着予定」とだけ。


 文字だけのやり取りだから、どんな感情を抱いているかは分からない。

 ただ、すぐに出てくるってことはだ、それなりに期待してると見ても良さそうな。


 到着予定時刻の五分前に家を出て、駅に向かい着くと駅舎内の窓際に立つ。

 既に電車は到着していることで、下車した人が改札まで向かってくる。その中にひと際目立つ存在が居て、すぐに鴻池さんと認識できた。

 俺を見て駆け出すと改札を勢いよく、いやだから、落ち着けっての。スマホのタッチが後回し気味になり、自動改札のドアに阻まれて、前のめりになってるし。

 なんか泣きそうな表情だけど、嬉しそうな感じで改札を抜けると、勢い抱き着いてきて「凄く寂しくて悲しくて、でも来ていいって、凄く嬉しかったんだからね」だそうで。


 抱き着かれてると地元だから恥ずかしいんだが。周りの目がな。

 お互いに見つめ合うと、キスしてこようとするが、この場所では駄目だ、と言って歩き出す。

 しっかり腕を絡め指も絡むと、しっかり肩を寄せて実に歩き辛い。

 でも、やっぱり本気で愛されてるのかもしれん。例え今だけの感情だとしても。


 駅前の横断歩道を渡り階段を下りて、道幅が車一台分の狭い通りを歩く。

 背中にはバックパックを背負ってる。たぶん中にタブレットとか入ってるんだろう。一応勉強する予定なのだから。


「ねえ。なんで急に来ても良くなったの?」


 あんな表情されたらな。幾ら俺に気が無くても胸が痛む。

 自分で自分の表情なんて分からんから、疑問に感じるんだろうけど。


「来たがったから」

「勉強するんだよね」

「当然」

「あ、ご両親に挨拶とか」


 どっちも居ねえ。母さんはパートに出ていて十八時頃の帰宅で、父さんは二十時以降の帰宅だ。


「六時頃じゃないと母さんは居ない」

「今家に誰も居ないんだ」

「共働きだからな」


 鴻池さんの母親は専業主夫なんだろう。生活に困ることも無いし働く必要も無い。

 日中はセレブ御用達の店で高級ランチとか、家のことはハウスキーパーにお任せとか。


「じゃあ、帰って来たらご挨拶」

「しなくていいって」

「しないと。将来の夫だよ」


 こいつ、結婚まで視野に入れてるのかよ。極貧生活に耐えられるのか? 絶対無理だろ。ストレスから逃げ出すのが目に見えてるぞ。

 いつまで、そんな気持ちを持ち続けられるのやら。大学が別々になったら、気持ちも冷めると思うけどな。


 凡そ五分程歩くと進行方向左手におんぼろ我が家だ。


「ここだけど」


 家を見て「昔風の家だね」じゃねえっての。本音で言えって。茶色のトタン張りの壁と屋根だ。まさに「小屋」だ。家、と呼ぶのもおこがましい。

 玄関ドアを開けて室内に入ると「お邪魔します」とか言ってるし。

 狭い三和土から家に上がり靴を揃えてる。さすが、所作が美しい。

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