Sid.52 お嬢さまと初キス

 父親の言い分に従えば障害はない、のだろう。

 強制的に椅子からベッドへと移動させられ、並んで座る状態なのだが、隣で服のボタンを外してみたり留めてみたり。

 何がしたいんだよ。

 いざ事に及べるとなっても、恥ずかしさもあるんだろうとは思うが。

 本来ならば俺がリードするものなのだろう。できないけどな。俺だって何も知らない童貞だし。


「佑真君。体の関係から愛って芽生えるのかな」


 知るわけがない。


「もし、そうなら今すぐでもいいんだよ」


 鴻池さんは俺の愛を欲しがっているそうだ。今は一方的に想いを寄せてる状態で、完全に片想いに等しいとつくづく思い知らされたと。

 同級生とキスして家庭教師と仲良くなっていて、それなのに自分とは何ひとつ進展がない。日を追うごとに俺が離れて行っている、そんな感覚なのだそうだ。


「あたしじゃ駄目なのかな」


 俯いて胸元のボタンを弄りながら、すっかり元気を無くす鴻池さんが居る。

 でもなあ。やっぱり俺だと分不相応なんだよ。同級生の可もなく不可もない、当たり障りのない女子くらいが丁度いい。いや、それすらもなんて思うこともある。

 遠巻きに見ているだけなら、憧れる存在ではあっただろう。

 でも、こうして傍に居る状態になると、気持ちは付いてこないし好きにもならない。


 これはあれか。


「たぶんだけど、恋愛対象にするにはハードルが高過ぎるんだと思う」

「なんで? 普通の女子なのに」

「それは自分でそう思ってるだけで、俺から見たらエベレストみたいなものだ」


 素人如きが登頂できる山ではない。富士山くらいならば可能であっても。

 俺にとって登頂しやすい山は高尾山だよな。しかもケーブルカーで途中まで行って、残りの行程をハイキング気分で。


「身分差?」

「身分もそうだけど、育ちも金の有無もステータスも」

「あたしが持ってるわけじゃない」


 そうなんだけど、背後に控えるものが巨大過ぎるんだよ。

 何も考えずに逆玉だ、なんて能天気に思える奴なら喜ぶだろうけど。

 やっぱ、考え過ぎなのか。もっと気楽に考えれば、気にせず付き合えるかもしれないけど。


 校内随一の美少女って売り文句もある。

 多くの男子が憧れて非公認のファンクラブもある。嫉妬する連中にとっては、俺たちのアイドルに手を出した不届き者、なんだろうなあ。勝手に祀り上げて神格化してんじゃねえ、とは思う。

 つくづく気持ち悪い連中だ。


「佑真君。お父さんも言ってたけど、考え過ぎだと思う」


 こうして一緒に居て話をしていて、どこか他の人と違いはあるのかと。

 特別なオーラでも放っていて、近寄り難い存在と思うのかどうか。触れたら火傷しそうな程の存在なのかと。

 まあ、確かに普通に女子だ。本人だけを見ると、容姿を除けばクラスの女子と大差無いし、可愛らしい面もあるのは分かる。


 ボタンを弄る手が止まると、俺を見て顔を近付けてくるし。

 キスか? キスをしろと。

 目を瞑り近付いてくる艶のある唇。互いの唇が触れれば少しは納得するのだろうか。

 俺のファーストキスは既に奪われたけどな。


「佑真君」


 目頭から流れるひと筋の涙。

 本気なのは理解するけど、その気も無いのにいいのかって思う。ああでも、その気も無い女子とやってるんだよなあ。

 目を開けて見つめてくる。


「してくれないんだ」


 告白してきた子とはしたのに、と。頬を流れる涙は、少しも振り向かない俺に対する悲しみの結果か。

 泣かせて喜ぶ趣味は無いんだが、これ、どうすればいいんだろう。


「あ、そうだ」

「何?」

「押して駄目なら引いてみろ」

「何それ」


 押し捲るから引く。引けば気になり接近してくることもある。


「そんなケースもあるんじゃないのか」

「佑真君は押されると逃げるの?」


 逃げるのか、と言えば鴻池さん以外なら逃げないな。ならばこれも違うのか。

 同級生の女子とのキスだって、拒絶できたはずなのに拒絶しきれなかった。あのくらいの女子だからと気分的に楽だったんだろう。

 やっぱり背後にあるもののせいだ。それが俺を委縮させる。


「やっぱり背後にあるものが巨大過ぎるんだよ」


 髪結いの亭主でも目指すなら、願ったり叶ったりだろうけど、俺はそんなものを目指してない。

 何もかもおんぶに抱っこなんて、是とすることはできないし、かと言って今は足元にも及ばないし。自分自身のステータスが向上しないと、たぶん恋愛対象として見ることができないと思う。


「ってことかも」

「佑真君。屁理屈は要らない」

「いや、屁理屈じゃなくて」

「キスしてみればいい」


 再び目を瞑り唇を近付けてくる。

 さっきより少し勢いがあり、あっと言う間に顔が近付き、ああ、きれいな肌してんなあ。ニキビだの吹き出物だの、何かしらありそうなのに、張り艶の良さそうな肌だ。


 急に腕を背中に回して密着状態になると一気に迫る唇が。

 仰け反って逃れようとしても抱き着かれてるし、逃れられずに柔らかい感触が、俺の唇に触れると更に押し付けてきてる。

 いや、これ、まじで口をこじ開けようとしてるし。

 舌まで入れようとしてるだろ。


 ファーストキスがディープとか、鴻池さんって変だ。

 ぐいぐい押し捲られ頭を動かし、開かない口を開けようと藻掻くが。

 ここまで来て拒絶するのも違うか。

 腹を括ってしまえば、たかがキスだ。なんてことは無い。俺にとっては二度目だし。


 口を開けると動きが止まるが、すぐにゆっくりと鴻池さんの舌が入って来た。

 ぬるぬると絡む舌がな。なんて言うか、妙な興奮状態になって股間が熱くなるし。


 少しして口が離れると「したいな」とか抜かすし。

 既に元気いっぱいの俺だが、これ以上は無しでお願いしたい。まだそこまで腹を括れないし、愛情があるわけでも無い。

 ただの交尾になるくらいなら、もう少し気持ちを醸成してからにしたいし。


 だから、服のボタンを外すなっての。

 思わず見ちゃうし、止めたいけど煩悩が邪魔をするし、見たいし。


「鴻――」

「名前で呼んでよ。キスしたんだよ」


 陽奈子さんと呼ぶのに自分は今も名字呼び。これも距離を感じさせるから名前で呼べと。

 覆いかぶさるように押し倒され、またも唇を奪われた。

 離れると「呼んでくれるまで何度でも繰り返す」とか脅しかよ。


 こんなことを何度か繰り返すと、さすがに俺も折れるしかない。たかが呼び方ひとつだ。拘る意味も無いし、呼ぼうと思えば呼べる。


「名前、なんだっけ?」

「佑真君。ふざけてる?」

「綾乃」

「うん、佑真君。愛してる」

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