Sid.10 偽装から本気の交際
正面に立ち「うー」とか言って唸ってるけど。
泣いてたと思ったら今度は頬を赤らめてるし。何かと忙しない表情をするものだ。
「そ、そこまで言うなら」
ひと呼吸置いて。
「本当に付き合えばいい」
あ、いかん。
一瞬、思考が途切れた。
「何を言ってる」
「あたしと付き合えばいい」
「えっと」
「もう! 付き合っていいって言ってるの」
ああ、いかん。
またも思考が飛んだ。
「笑えないジョークだ」
「ジョークじゃなくて」
頬を膨らませ顔を真っ赤に染め上げて、少々お怒りモードのようだが。
正面に立つ鴻池さんが顔を寄せてきて「き、キスはまだ駄目だけど」とか言ってるし。顔近いのにキスは駄目とか、何の話をしてるんだよ。付き合うって話じゃなかったのか?
それが何でキスにすり替わってるのか。
「あのね、そのね、佑真君が良ければ、本当にお付き合い」
急にもじもじし出すと、手を繋ぎながらも体を左右に振って、下を向きつつ「メリット、あるでしょ」とか言い出す。口先尖らして、なんか可愛い。
顔を上げるが。
「幻聴」
「違うから」
「幻覚」
「手、繋がってるんだから、幻覚のわけ無いでしょ」
そうだよな。
い、いや。これ、まじで。でもなんで俺?
「あとね、綾乃だからね」
さっき名字で呼んだ、とか言ってる。互いに名前呼びをする、と決めていたのに、名字呼びをした罰が必要だとか。
どんな罰だっての。
絡まる指先が離れると、鴻池さんの唇に自分の指をぎゅっと押し当て、離すと今度は俺の唇に指先が押し付けられた。
えっと、これって。
「間接キス」
ま、まじか。不意打ちを食らって思わず狼狽えるしかない。
また名字で呼んだら次は学校内でやるからね、と言われた。そんなことされたら、不純異性交遊で最悪停学処分食らうぞ。
「名前で呼んで。あと返事」
おかしい。狐に抓まれた気分だ。もしかして目の前に居るのは、鴻池さんに擬態した狐か。それか狸とか。
疑問しかない。あれだけ校内の男を振り続けた人だ。それが俺と付き合って、なんて口が裂けても言えない言葉じゃないのか。それを軽々しく、ってわけでも無いが、言ってのけられるってことはだ。
「狸に化かされてる」
「お腹出てない」
「狐が」
「い、言わないと駄目みたいね」
耳の穴をかっぽじって聞け、と。
「好き、なの。嘘じゃないからね」
どこでどう間違えると、俺を好きになれるのか。
本来は名誉なことだと思うし、飛び上がって喜ぶべきことだろう。だが、俺、と言うことを考慮すると素直に喜べない。そもそも俺の何が良くて、好きになれるのか、全く分からん。
「な、なんかね、声聞いてたら、ふわふわって感じで」
なんだそれ。
「意味分からんけど」
「だからね、声を聞いてると、あの、そのね。じわって」
変態か?
あ、待てよ。これって。
「声フェチ」
「あ、う。そ、そうかも」
最初、声を掛けた時は偽装のつもりだったらしい。そこまでは気持ちも無く、単純に口止めも兼ねての偽装恋人。弾除けになってもらえれば、告白を受けることも無くなるだろうと。
しかし、声を聞いてるうちに、もっと聞いていたいと思うように。
とは言え、元々気にはなっていたとかで。時折聞こえる俺の声が気になって仕様がなく、部活に参加したくなってきて、AL室に足を運んだら台本があったと。思わず読み上げていたら遭遇し、恥ずかしさもあったが、千載一遇のチャンスかもと思ったらしい。
声に惚れたって言うなら。
「俺の顔とか他のパーツ要らないじゃん」
「声だけだとね、やっぱあれでしょ、感触が」
スキンシップも好きなのだとか。
スケベな奴なのかもしれない。
「あたし、外見に拘り無いのは本当。そんなのどうでもいい」
声が良くて触り心地の良さがあると、それで嬉しくなるとかで。ついでに、ぞくぞくするのがいいとかで、耳元で囁いてくれたら倒れそうになる、じゃねえ。
とんだ性癖の持ち主だった。
もしかして、声優部に入ったのも。
「気に入る声を探してたとか」
「もともと推しの声優さん居るから」
「でも俺、素人だしセリフも棒読み」
「普段の声がいいと思った」
ぐいっと体を寄せてきて「耳元でお願い」とか言ってるよ。こいつまじで変態だ。
俺の目の前に鴻池さんの耳がある。ここに息を吹き掛け、じゃなくて話し掛けるのか?
それをする俺も変態になるだろ。
早く、と急かされ何を言えばいいのか、と思ったら「愛してるって言って」じゃねえよ。
そんな言葉口にできるか。
懇願する目付きで見てるし、頬を赤らめつつも耳に手を当て「ここ」とか言うし。
「あのね、台本のセリフだと思えばいいの」
悪役令嬢が艱難辛苦を乗り越え、鬼退治を果たし、無事に愛する勇者と結ばれるラストシーン。そこで勇者が囁く。その時のセリフが「愛してる」とかで。
勝手にストーリを作り上げてるし。まだラストまででき上がってない。
それでもねだる鴻池さんが居て、耳を差し出し「早く」と言って譲らん。
「あ、ねえ。佑真君って触り心地のいい指だよね」
「変態」
「違うから。滑らかで柔らかくて、少ししっとりしてるの」
じゃなくて、早く言え、だそうだ。
しっとり、って手汗だよな。そんな程度じゃなかったと思うが。あの時点では相当緊張してたから、びしょびしょ、の間違いだろ。
仕方ない。これも本読みと思えば。この手のセリフはどこかで出てくるものだ。
顔を耳に近付け、そっとと思ったら「ひゃあああ」とか言って、しゃがみ込む鴻池さんが居る。
「どうした?」
「耳に息が吹き掛かって、ぞわぞわって」
どうやら鼻息が耳に触れたらしい。俺の興奮が鼻息を荒くしたようだ。
だってなあ、女子の耳元に囁くなんて、過去に一度も無いんだから。未経験ゆえの焦りと緊張ってのもあるんだよ。
やり直しってことでリトライ。
再び耳に顔を近付け、今度は鼻息を抑え、そっと囁いてみる。
「あ、あい、ししし」
「バグってるよ」
「すまん。もう一度」
「うん」
鼻息を抑え気持ちも落ち着かせ、そっと耳元に囁きを。
「あ、愛してる」
へなへなと力なく座り込む鴻池さんが居る。
表情、ヤバくないか? 恍惚としてだらしない感じだし。まじで変態だな。
こっちを見ると、にたぁって感じで涎まで垂らしてそうな。
「アンコール」
「は?」
「もう一回」
変態行為に付き合えと。
だが、愛してる、なんて言葉以上に恥ずかしい状況だと気付く。
「ここ、路上」
「知らない。もう一度」
通行人がな。
それでも結局言わされた。
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