最終章 黒鋼のアルト

第26話 怪異戦線(1)

 *

「ふふんふふふんふん」

 鼻歌交じりで楽しそうに美少女が裏世界の神嶋市を歩いてる。少し垂れぎみの眼をキラキラと輝かせ、まるで買い物行く様に足どり軽く歩いている。

 美少女は人型の怪異であった。いや正確には怪異へ生まれ変わった元人間だった。

 頭部には捻れた角が生え、長い黒髪の毛先は蛇が蠢く。身につけているのは薄布一枚。全裸に近い瑞々しく張りのある肉体は、少年少女特有の溢れんばかりの活力に満ちている。

 たわわに実る双つの乳房の谷間には髑髏と、なだらかに隆起する腹部から下腹部にかけて、古代文字神代に似た墨色の痣が浮かんでいた。

 美少女の名前はイザナミ。黒鋼伊央那が転生した荒神王であった。

 ズルズルズルズル。イザナミの蛇髪は何かを引きずっていた。

「うっ……うぅ」

「あっ気がついた。大丈夫殺してないよ」

 歩みを止め、毛先に絡むシロに笑いかける。下半身は欠損していた。

「この方向でいいのね。子猫ちゃん」

「伊央那の体を返せ…………にゃ。ご主人の姉……なりよ」

「君、仲間思いのいい子だね。気に入ったよ――ふんふふんふんふふん」

 シロを軽々と引きずり、再び鼻歌を歌い歩きだす。その先には、神嶋高校があった。


 *

「君とは戦えないのかい。獅子神」


「伊央那お姉ちゃん」

 今、目の前にいるのは伊央那の体を依り代にして、転生復活したイザナミ。外見は同じでも全くの別人だ。

 相手をイラつかせる軽い口調。自信に満ち溢れた性格。人懐こい笑顔から滲みでる、隠しきれない邪悪な雰囲気。伊央那とはまるで違う。

 頭ではわかってるのに、それでも姉の名前を呼んでしまった。

「うふふ。まだワタシをそう思ってくれてるのね。アルトくん」

 弾んだ声で嬉しく話しかけるイザナミの表情に姉をダブらせてしまい、首を振ってアルトは否定する。

「違う。お前は姉さんじゃない」

「酷いわね。伊央那の記憶はデータとしてワタシの中に残ってるのに。君と姉弟になって過ごした、楽しい毎日を知ってるよ。それともあれかな。その偽者が本命か」

 魔眼が怪しく紅に輝き、屋上から飛び降りる。その視線はイオナの姿を捉えていた。


 なんだこれは。自分は悪夢を見ているのか。アルトは自分の目を疑った。救いたい彼女が、大切な友を手に掛けているなんて。何故無邪気に笑っている。何故下半身を欠損してるシロを髪の毛でひきずっていて、笑っていられるのだ。

 体が一気に熱くなる。視界が怒りで真っ赤に染まる。

「退くのよ。アルト!」

 無策のまま飛び出そうとするアルトを退け、イオナは上段からイザナミに斬りかかった。

 にいっっ。口角を吊り上げて、イザナミはシロを突きだした。

「くぅっ!」

 イオナの呻き声と共に、刃は皮膚一歩手前で停止する。

「ひゅうぅ。凄い凄い。君は余程剣技に長けているみたいだね」

「今からたっぷりと味あわせてあげるわ」

「残念ながらワタシが戦いたいのは、獅子神なのよ」

「シロをそこまでされて、許すと思うのかしら?」

「酷いなぁ。先に仕掛けてきたのは、子猫ちゃんなのに」

 そう言ってあざとく頬を膨らませ、左右の掌をシロに触れた。

 ――キングオブキングス・リバース。

 まるで動画の巻き戻しを見ている様だ。シロの欠損していた下半身が失う前に戻っていく。

「……わが輩は……」

「さぁこれでいいかい?」

 状況を理解しアルト達の元に逃げていくシロを、イザナミは笑みを浮かべて見送った。


「おバカね。無茶して」

「イオナに何かあったら……アルトが悲しむにゃ……」

「いいね。その仲間のために命を賭ける。素晴らしいよ子猫ちゃん」

「兄様に何の用?」

「復讐だよ。王復活の為に食料を集めていた子供達を殺されたからね。ねぇ子猫ちゃん、ワタシの眷属にならないかい? この世界を破壊するの手伝ってよ」

「それが荒神王本来の目的なのね」

「うん。この世界は間違ってるよ。真面目で心優しい子たちが努力しても報われず、毎日命を落としている。魂という寿命を使い切るまえにね。ワタシはその子たちから産まれた一番新しい八百万の神(怪異)」

「いやだにゃ。わが輩はお前が嫌いだ。イオナを泣かし、アルトを泣かすお前が大嫌いなり」

「残念ね」

「……イザナミよ。うぬや眷族が殺してきた者の中に、真面目に生きてきた者もいた筈。どの口が言っているのか」

「あらワタシは、まだ誰も殺してないわよ。獅子神。君がかつて戦った阿修羅と一緒にしないで。そしてこれからも悪意あるもの以外殺さない」

 両手を大きく広げ邪悪に笑う。

「さておしゃべりはお終い。敵討ちよ、獅子神」

 にこやかに話していた雰囲気から一転。一気に殺気が膨れ上がる。


「変異・荒神王」

 人型の姿から異形の姿へ体を造り替えていく。

 真紅の薔薇型頭部に、漆黒のウェディングドレス型の肉体。背中から無数の蔓がうねっていた。

「ごめんなさい、アルト、兄様。シロをここまでされて大人しくできないわ」

 黒い羽毛が舞い、イオナは鴉の姿に変身する。

「わたくし、残酷ですわよ」

「いい目だね、鴉。食べちゃいたいよ」

 一瞬で互いの鼻先が触れた。

「しゅっ!」

 鴉の鋭い呼気と共に、柄でイザナミの顎を打ちあげる。ふらつき後退する彼女目掛け、鴉は力強く踏み込み刀を振り抜く。

「くっ!」

 初めてイザナミは苦痛の声をあげた。攻撃が当たり刃は胸元を斬りつける。

 胸の谷間から流れ落ちるは怪異特有の緑の体液では無く、赤い滴。それは紛れもなく人間である証であった。

 転生し姿を変えても、伊央那はそこにいるのだ。

「姉さん」

 いけない集中だ。せっかくイオナが作ってくれた時間だ。この間に体力と気力を回復させなければ。

「肉体の痛み。慣れないな」

「あらっ。心配しないで直ぐに慣れるわ!」

「へぇ。それは楽しみだよ」

「えっ!?」

 地中から伸びた蔓に足をとられ鴉はバランスを崩す。イザナミの右掌が腹部に触れた。

「ミイラになっちゃいなさい」

 キングオブキングスが発動する。

「……なるほど考えたね」

 掌が触れた部分から腐っていくが肉片の代わりに、黒い羽根がゴソッと抜け落ちた。

 アルトが蛇腹を纏い鎧とした様に、鴉も翼の一部を体へ巻きつけ体を守っていたのだ。

「ならこれは、どうだい? 鴉」

 今のアルトでは反応出来ない高速拳が次から次へと、鴉の体に叩き込まれていく。

 鴉は防御を固め、暴風雨が去るのを待っていた。

 超高速と引き換えに攻撃は弱く、発動時間も体感で一秒から二秒と短い。

 その時間内で致命傷を与えられるほど、鴉はやわじゃなかった。

「タフだね。手痛くなってきちゃったよ」


「流石、獅子神の妹ってわけね」

「幼い頃から受けた兄様の修業の成果よ。筋肉は努力を裏切らないわ」

 鴉の気が変化した。クサナギを天高く突き上げ、足の爪が大地へ突き刺さる。

 新技か。初めて見る構えだ。

「へぇっ」

 鴉から発する殺気に、イザナミも気づき口から笑みが消えた。蔓を両腕に巻きつけ身構える。

 大地に食い込む爪先から鴉は地球の生命力を吸う。それは赤子が母から乳をもらう行為そのものであった。今、鴉の体内は地球のエネルギーで満ちていた。

「覚悟しなさいイザナミ!」

 クサナギは螺旋を描き黄金色に輝く。

「兄様直伝。秘奥義、螺旋斬りッッ!」

 光の刃を振り下ろす。

「んっっっ!」

 鴉は喘ぐ。両足、脊髄、両腕、両肩、眉間。八つの部位が内側から引き裂かれ、全身の穴という穴から熱く沸騰する血液が噴き出した。

 強力過ぎる母の愛を受け止めきれないのだ。無償の愛情を注がれて平気でいられるのは、最強の怪異獅子神しかいないだろう。

 肉体の負荷が激しい。母の子守唄で意識を失いそうになるのを、必死に鴉はこらえていた。

「倒れてなるものか。気絶するわけにはいかないの。イザナミの両手を吹き飛ばすところを見届けるまでは!」

「へぇ。獅子神直伝と聞いたから楽しみにしてたけど、残念」

 螺旋を描く光の刃は、両手に咲いた巨大な薔薇の花弁の中へ呑み込まれた。

「エナジードレイン。君が両足なら、ワタシは花から食べようか」

 にいっっっ。口角をつり上げイザナミは、姉の顔で無邪気に笑う。

 獅子神と同じ様に、地球のエナジーさえも喰らい自らの糧にできる。鴉は本能で敗北を悟った。張りつめていた気力の糸が千切れ、プツリと音を鳴らす。

「ワタシの勝ちだね。知ってたかい? 野性の薔薇って雑草の中でもかなりしぶといのさ」

「次は僕が相手だッッ!」

 鴉が殺される。アルトは意識をこちらへ向けさせる為に叫んだ。

「断罪の――……!?」

 気づくとアルトは大の字に倒れていて、紫色の空を見ていた。

「痛ッ」

 遅れてやってくる痛み。胸には拳サイズの穴が空いている。超高速の一撃が胸部を貫いていたのだ。

「はい、ワタシの勝ち。これで君が相手してくれるよね。獅子神」

「フッ。立てるな我が弟子よ」

「勿論です先生」

 諦めてたまるか。死んだら二人の姉を救えない。

 蛇腹が穴を縫い再び装甲となった。

「イオナを頼みます」

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