第22話 継ぐもの(1)

 ずりるぬちゅりずりるぬちゅり。粘つく音が鳴った。夜道、手足頭も見当たらない泥の悪異は雨水で濡れ歩いている。そのギラつく無数の瞳は獲物を探していた。母であり主である荒神王へ捧ぐ生贄を。

 ――完全復活の日は近い。


 夢月の目の前でラビがカウンター席に座り、頬杖をついていた。

 夢月は今、彼の店に客として来ている。

(本当に綺麗だなラビさん)

 うっとりと芸能人を見る眼差しで眺めていた。

「ずいぶんとキナ臭い。美しくないわね」

「えっわたし?」

 あれ以来すっかり常連となった夢月は慌てて鼻をつまむ。

「んもぉ。キナ臭いよん夢月ちゃん」

 笑いながらタブレットをこちらに向けてくる。そこには最新のネット記事が更新されていた。

 ラビが綺麗な指先で指差したのは神嶋市内でこの一ヶ月間、行方不明者が続出している記事であった。

「おそらく悪異の仕業ね。今この街には、イータ種と呼ばれる物騒な連中が集まりだしているのよ」

「そうなの!?」

 夢月は悪異に襲われた事をあまり覚えてない。ラビの力で現実感が薄れ、怖い夢見たな程度の認識になっている。自分達と違う生き物である怪異は正直怖いが、それでも嫌いにならなかった。人間だっていろんな人いるからだ。

「しばらく落ち着くまで、あまり出歩かない方がいいわねぇ。夢月ちゃんみたいに霊力の強い人間は、奴らにとって力の源だから」

「えぇつまんないな」

「ちょっとの辛抱よん。アタシ達が何とかするから」

「頼もしい! ラビさん超男前!」

「んもぉアタシは乙女よ」


「家まで送るわよん」

「まだ昼前だし、店もその間誰もいなくなっちゃうから大丈夫」

 そう言って夢月は店を後にした。

「おぉ夢月。うぬを探してた」

 歩き出すと後ろから最近出来た友人に呼び止められる。

「獅子神さんどしたの? ラビさんの言ってた怪異関係?」

 詳しい事は聞いてないが、この黄金髪の勇者ならきっと何とかしてくれる。そんな信頼と安心を夢月は獅子神から感じていた。

「安心するがいい。その件は我が解決したわ」

「凄い!」

「うぬに聞きたい事があるのだ……が」

 夢月と獅子神は見た。真横にある建物のガラス面から波紋が浮かぶのを。

「ひっ」

 引きつった声で悲鳴をあげ獅子神の広い背中へ避難する。

「どうやらまだ一体生き残っていたか」

 ガラスから泥が滲み出てくる。それはイザナミが産み出した子供であった。

「ぬんっ!」

 ナイフに変化させた右手がコアを貫く。

「母の完全復活はちか……ぃ」

 捨てセリフを残し灰となり黄泉の世界に泥は消えた。

「フッ。忙しくなりそうだ。怪我無いか夢月よ」

「うん。ちょっと驚いたけど平気だよ。それで獅子神さん、私に聞きたい事って?」


 *

「ア、アルトセンパイ。もしかして機嫌悪い」

 休日アポなしで家を訪れた旭に外へ連れ出されたのだ。不機嫌に決まっている。

「そんなことないよ。学校に行くんだよね」

 全く自分らしくない。後輩に気を使わせてしまった。アルトは仮面を被りなおす。

 正直今は現実を受け入れる為、出歩きたくない。しかし困ってる人がいれば出来る範囲で手を伸ばしたいと思うのも正直な気持ちだ。

 親戚中たらい回しにされた姉弟を受け入れてくれた黒鋼のおばさんの様に。


「ここだよセンパイ」

 学校裏にまわると森が広がっていた。植物特有の蒼い匂いはまるで優しい母親だ。その腕に抱かれアルトは仮面の下で涙をこぼす。

 摩耗する心はもう限界突破。受け止められない現実に精神がもたない。

 イオナが側にいたアルトの十年と怪異の群れで過ごした伊央那の十年では意味が全く違う。

 偉大なる母に抱かれながらアルトは気持ちを持ち直す。

 ――僕が必ず姉さんを闇からすくってみせる。


「アルト先輩」

 私服姿の夢月が恥ずかしそうに手を振り、こっちに近づいてくる。

「どうしたの夢月さん。急ぎの用事かな?」

「はい。先輩に会いたいって人がいて。確認したくて携帯の方に何回か連絡を……それでその旭に」

 なる程。だから旭がアルトの家に来たのか。

「そっかごめんね。最近ずっと電源オフにしてるんだ……よ!?」

 一人の男がゆっくりと近づいてくる。背は二メートル。体重は百キロ近くありそうだ。見るからに鍛え上げた肉体の内側から暑苦しい熱量を放出していた。

「えっ誰? 知り合いなの夢月」

「獅子神さん。いきなり来たら二人がびっくりするよ」

「うぬが黒鋼アルトだな」

 黄金のたてがみを揺らし、つりあがった眼は紅に染まる。

「我が名は獅子神。最強を目指す、獅子の怪異だ」


「稽古をつけてやろう。少年」

 突然現れた男、獅子神は笑顔でそう言った。

 一体何者だ。悪異特有の首筋にチクチクと鋭く突き刺さる針の様な不快感は特に感じなかった。

「場所を変えますか」

「先輩、獅子神さんは……」

「夢月さんと旭さんはこのまま帰るんだ。いいね」

 これ以上彼女達を巻き込んではいけない。アルトは獅子神と共に歩き出した。

 浮遊感を感じる。昼と夜が曖昧な紫色の空。怪異の領域、裏世界に転移したか。

「それで稽古ってのは?」

 真意が読めない。手合わせする理由がわからない。それに今のアルトは……。

「稽古と言うのは方便だ。少年怪異力使えぬのだろ」

「さぁ、どうでしょう」

 夢月と親交があっても正直に言う必要はない。動揺を仮面で隠す。

「ほぅ。たいしたものだ。敵か味方かわからない相手に手の内を晒さないか。気に入ったぞ」

「はぁ、どうも。それで僕に何か?」

「うぬの姉、伊央那が両親の仇をとった。それを伝えにな」

「姉さんが羅我を……」

 だから呪いが消えたのか。しかしそれでは、荒神王と戦えない。

「そして羅我は我が弟だ」

「くっッッ!」

 自分らしくない。なんて馬鹿だ。

 悪異じゃないからと気がゆるんだか。みすみす敵の罠に飛び込むなんて。

 ここは裏世界。怪異のテリトリー。逃げる場所なんてない。それでも全力で走り出した。

 姉を置いて、殺されるわけにはいかない。

「気持ちはわかるが、まぁ待て。まだ話は終わってない」

 なんて速さだ。後ろにいた獅子神が目の前から飛び出す。避ける暇なく赤子の様に持ち上げられた。

 動けない。絶妙なバランスで丸太に挟まれ無傷。だが少しでも振動を与えれば動きだし体が壊れてしまう。そんな緊張感がアルトを襲う。

 そんな状態でも獅子神から殺気をまるで感じない。逆にそれが怖い。

 一陣の風が吹き黄金の髪は揺れた。

「ぬぅっ」

「その子に傷一つつけてみなさい、怪異。わたくし残酷ですわよ」

 気づくとアルトはイオナの胸の中にいた。


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