第21話 王の誕生(終)

 アルトの見てる景色が音をたてて壊れていく。目の前に存在する世界は、全て嘘で塗り固めたまがい物。

 真実と嘘が絡み合い、もう誰を何を信じていいのかわからない。今こうしてる自分は偽りで、羅我に喰われたアルトが生と死の狭間で見てる悪夢なのか。

「夢なら覚めなきゃ。家族が僕を待っている」

 一人は嫌だ。寂しい。家族がいる死の国へ旅立とう。嘆き悲しみ蛇の呪いが宿主を蝕む。アルトの願いを叶える為に具現化し頸動脈へ絡みつく。

 ――キンッ。

「しっかりするのよ! アルトッッ!」

 変身したあともイオナの口調そのままに、鴉がそれを許さない。クサナギで弾き、繋ぎ止めるは命。

「鴉ッ! お前だ。お前達怪異が僕達を殺したんだ!」

 母を喰われた。父を喰われた。家族は殺された。

「殺してやるッッ!」

「この命いつでもアルトにやるわ。だけどその前にやらなきゃいけないことあるでしょ!」

 アルトからどす黒い感情をぶつけられても鴉は乱れない。毅然とした態度のまま、クサナギの切っ先を伊央那に向ける。

「彼女を闇から救えるのはアルトだけ。その為わたくしはあなたを鍛えてきたわ」  

 アルトを事ある毎に挑発し戦ったのも鍛える為。そしてアルトが負けても殺されず生きてるのも、鴉の気まぐれではなかったのだ。

 全てこの日の為だと鴉は叫ぶ。

 その一言一言が重い。アルトの心を大きく揺さぶる。嘘、偽り。ハリボテじゃない。その言葉には想いが込もっていた。

「……姉さん」

 正気に戻ったアルトの自然と溢れたその小さな囁きは、誰に言ったものなのか。

「あぎぃぃぃる」

 目の前で伊央那は黒い泥の濁流に呑み込まれていく。

 ――また繰り返されるのか。

「嫌だ……嫌だッッッッッッ!」

 目の前で家族を失うなんて、二度とごめんだ。必ず救ってみせる。今のアルトには、その為の力が宿っているのだから。

「――断罪の刃ッ」

 泥は反応し円陣の防衛壁を築く。一撃で吹き飛ばすと蛇腹を叩きつけた瞬間、蛇が消えた。

 泥の力じゃ無い。アルトは直ぐに状況を理解する。

「呪いが使えなくなった?」

「……羅我の身に何かあったようね」

 あと一歩で姉を救えるというのに、憎き怪異の力が無ければアルトは只の人でしかない。

「わたくしが行くわ」

 今まで気づかなかった。鴉のフェイスガードから覗く真紅の瞳は強さと優しさに満ちている。それを見つめるアルトの心に飛来したのは、辛くて封印した虫食いの記憶。


 ――たわけがッッ。


 うっすらと思い出すのは、鴉が怒声をあげて羅我を刺した時だ。

 どっちが伊央那を喰うかで揉めてるとあの時思っていた。だが今ならわかる。姉弟として暮らして来たから理解出来る。鴉は人を襲わない。少なくてもあの日からイオナはアルト以外を求めない。

 それが真実なのだ。


「姉さんを頼むよ。鴉」

 ここにアルトがいたら鴉は戦えない。足手まといにならない為、後ろへ下がった。


 泥で出来た円柱が渦を巻き、伊央那の姿は見えない。

「ジャッ!」

 ――キンッ。

 斬りつけるが、泥は想像以上の強度を保ち刃を通さない。ヤタガラスを使うか。しかし伊央那が柱の何処にいるかわからない以上、危険すぎる。

「助ける? へー誰がそれを求めたんだい」

 柱の中からくすくすと無邪気な少女の笑い声が聞こえた。

「伊央那さんなの」

「違うワタシの名は……」

 柱が崩れていく。泥は津波となり容赦なく二人の足元を汚す。コールタールの海が割れ、現れたのは闇からの来訪者。

「荒神王イザナミだよ」

「まさか……そんなことって」

 先代の面影が残ってない。三面六腕の阿修羅とはまるで違う。

 イザナミは真っ赤な薔薇の頭部をしていた。それ以外人の姿と変わらない。

「荒神王はね、選ばれし人間を器に受肉して産まれるんだよ」

「……伊央那さんはどうなったの?」

「眠ってるよ。おかげでこうして自由に体を動かせる」

 最悪だ。イザナミと戦う。それは死を意味する。助ける為なら、この命幾らでもかけよう。しかしその場合、宿主の伊央那も無傷ではすまない。

「目覚めの準備運動だ。少し遊ぼうか。鴉」

 伊央那の記憶を共有しているのだろう。鴉と名を呼び、イザナミは動く。

「その仮面から覗く君の瞳。真紅で綺麗ね」

 見えなかった。いや正確に言えば、近づく寸前までは見えていた。

 両手が伸びる瞬間生まれた空白。フィルムに例えるなら一コマ抜けた違和感か。気づくと鼻先が触れていた。

 いつの間にか攻撃を受けている。左手で頭部を掴まれ、唇からは緑の血が流れている。腹部には真新しい打撃痕が出来ていた。遅れて痛みがやってきた。

「今の技はジエドだよ。怖いよね、いつキングオブキングスを使うか。でも心配しないで今日は只の遊びだから」

 イザナミの頭部から香り漂う甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。薔薇の花弁は開き粘つく透明な蜜を絡ませ、触手が伸びて鴉の口内に浸入してくる。

「アルト以外誰にも触れさせないわ」

 ガリッ。鋭い牙で舌にからむ触手を噛みちぎった。口の中に広がるトマトケチャップは雑草の味がした。

「苦い。腹の足しにもならないわね」

 エナジードレイン。吐き出した触手は塵となって消えた。

「言うね鴉。ついうっかり食べちゃいそう」

「鴉! どうしたお前なら今の攻撃かわせるだろ」

「……アルトには見えてるの」

「よそ見なんて随分と余裕だね」

 キングオブキングスだけじゃない。力も桁違いだ。掴まれた頭部から砕けた音が鳴る。

「鴉ッ!」

「近づいてはダメよ。それよりも教えて。さっきの攻撃わたくしに何が起きたのか」

「……まるで時間が止まったみたいに硬直してた」

 意識が空白したあの時か。

 必殺技ジエド。一見、超加速の連打に似てるが全くの別物だ。人であるアルトが攻撃を目視出来ている。

 ――時間が止まったみたい。

「さすがね。アルト」

 荒神王の怪異力。その秘密に鴉は気づいた。

「駄目だぞ、アルトくん。お姉ちゃんの遊びを邪魔したら」

 いたずらする弟に姉は優しくほほ笑む。豊満な肉体を覆うウェディングドレスが、薔薇の蔓に変化しアルトへ伸びていく。

 もの凄い速度で襲いかかる厄災を今のアルトに防ぐ手段は無い。額。肩。太股が傷つき吹き上がる鮮血の噴水は、裏世界に血の匂いを充満させる。

「アルトォォォォッッッッ!」

 戦闘中じゃと鴉が言い、だから何とイオナは言う。

 イザナミを振り払い黒鋼イオナに変身するとアルトの元に駆け寄った。


「うっ……っ」

 よかった生きている。だが頸動脈を切ったのか出血は激しく止まらない。

 赤い血。アルトの温かな血。

 ――美味しそう。

 キュウウウ。喉が鳴り、唾液が溢れて止まらない。

 こんな時に何を考えている。イータ種の本能が憎い。自分が怪異なのが嫌だ。人喰いの化物なのが大嫌いだ。

「鴉、我慢は体に毒だぞ。食べなよ」

「うるさい!」

 ゆっくりとイザナミが近づいてくる。逃げなければ殺されてしまう。それでもイオナにアルトを置いて逃げる選択肢など無い。

 イザナミの動きが止まった。

「――わ、わたしなんて事を」

「……残念。刺激強すぎて、伊央那が目覚めたか。続きはまた今度だね、鴉」

 薔薇の頭部とウェディングドレス型の装甲が泥になり崩れ落ちる。中から現れたのは一対の角を額から生やした伊央那であった。

「姉さ……ん」

 アルトは意識朦朧としながらも手を伸ばす。

「アルトくん」

 伊央那は泣きながらその手を握ろうとするが届かない。アルトはイオナの手を握ったからだ。

「……鴉、退いて」

 伊央那の周囲に小鬼が集まってくる。

「どうする気なの?」

 伊央那はアルトを傷つけない。だがその眷族はそうじゃない。それでも信じたい。

「リバースを使う」


「僕はどうして倒れている……戦いは……」

 白濁する意識の中、アルトの彷徨う視線が伊央那を捉えた。

「姉さん」

「アルトくん」

 掠れた声で弟の名を呼び、伊央那は震えながら背中を向けた。

「今まで何処に……」

 そこでアルトは気づいた。転生した伊央那の外見に。

 額から捻れた一対の角。腰まで長く伸びた墨色の髪には蛇が蠢いていた。怪異化した全身をアルトに見られたくないのだろう。決して振り返ろうとしなかった。

「それ以上来ちゃダメ。わたしは汚れている。あの日から今日まで、わたしは汚されてきた生き残る為に。アルトくんに再び再会する為、心を殺してきた」

「僕は……復讐する為に生きてきた。その仇と思っていた鴉が、まさか伊央那に化けてるなんて気づかずに……」

「そっか……アルトくん今幸せ?」

「……うん……」

「よかった。本当に。それが一番の願いだったから」

「お姉ちゃん、今僕はおばさんの家にいるよ。一緒に帰ろう」

「伊央那さん。あそこはアルトと貴女の家よ」

 悲しそうに嬉しそうに、そして困った様に、伊央那は首をふる。

「アルトくんとイオナの家よ。わたしの居場所はない」

 涙声で振り向き怪異となった姿をアルトに見せ、寂しそうに微笑む。 

「もうすぐわたしの意識は消え、荒神王イザナミは完全復活する。だからそうなる前に殺しに来て」

 足元から泥が涌き出てくる。

「お姉ちゃん! 嫌だ行かないで」

「鴉。アルトくんをお願いね」

 イオナは伊央那の覚悟を受けとめる。知っているのだ完全体が目覚めればどうなるか。それでも彼女は、王を抑え込もうとしている。命尽きるまで。

「約束するわ、伊央那さん。必ず救いにいくアルトと共に」

 イオナは子供の様に泣きわめくアルトを強く掴んだ。

「しっかりしなさいッッ! アルトの夢は何ッ!」

「……そうだ……僕には夢がある。姉さんと穏やかな日常を取り戻す。だからもう少し待ってて、伊央那姉さん」

「うん、待ってるから。だってわたしの夢は……」

 伊央那の顔は涙でぐしょぐしょだ。アルトに触れた手を愛おしく胸で抱きしめ泥の中へ消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る