第20話 王の誕生(3)

 羅我の時間を早送りする。長命な怪異でさえ受肉している以上、この世界に蒔かれた死の呪いから逃れられない。魂という名のバッテリーの残量がゼロになるまで、水道の蛇口を全開に回し流し込む。

 押し出されるは、命。

「なに泣いてんだ……伊央那……馬鹿じゃねぇ……の」

 羅我に言われ初めて、自分は泣いている事に気づいた。

「うるさ……い。お前なんて大嫌い……」

「カカッ。我慢しないで喰っちまえばよかっ……た」

 命が尽きる最後の最後まで憎まれ口をたたき、羅我の体は真っ白な灰の柱となり崩れていく。

「仇はとったよ。ママ、パパ」


 血の誕生日から十年間、薄汚れて見えた景色がやっと綺麗に感じた。

 復讐で拘束された枷が外れ、心は自由を取り戻す。こんなにも自分の体は軽かったのか。毎日苦しめていた息苦しさ。不意に襲ってくる激しい怒りや悲しみの負の連鎖は、遂に断ちきれたのだ。

『ぎぃぃぃぃ』

 怪異の肉体を構築する子鬼達が鳴く。それはやっと見つけた居場所に住めなくなり、旅立たなければならない哀しみで満ちていた。

「力を貸してくれてありがとう。闇の王とその眷族達」

 もう伊央那に怪異の力は必要ない。それを理解してるのだろう。復讐の炎で燃えていた蝋燭は形を崩し溶けていく。元の姿に戻る伊央那の足元で溜まるコールタールから、イザナミの声が聞こえた。

「――もう君はわたしを必要としてないか。残念だよ。新しい苗床を見つけるさ」

「さよなら。もう一人の、わたし」

 泥と共に闇は扉を開き、黄泉の世界へ去っていく。


「闇は祓われたようだな、娘よ」

 後ろから渋い低音の男の声が聞こえた。

 涙をぬぐい振り返ると、そこには山があった。見上げる程に背が高く、体全身を纏う筋肉の鎧はまるで無加工の岩のよう。人間離れした胸板と肩幅の厚みは威圧感を与えるが、癖の強い黄金色のもじゃもじゃ髪と全てを優しく包む眼差しがそれを打ち消す。

「あなたは羅我のお兄さん……」

「うむ。この人の姿はかりそめ。獅子の怪異、獅子神だ。伊央那と言ったな。少女よ」

「くっ!」

 弟の敵討ちにきたか。その優しい眼差しにだまされるな。後退り身構える。

「変異!」

 変われない。当然だ。もう伊央那の闇は祓われた。鬼で出来た装甲を纏う荒神王に変身できない。戦う術を持たない伊央那は、只のひ弱な少女に過ぎなかった。

「イザナミ、わたしに再び力を。このままだと殺される!」

 返事はない。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。やっとアルトくんの元に帰れるのに。死にたくないッッ!」

 哀れみ。それとも情けか。心の底からの叫びに死の女神は微笑む。

 足元に墨色の濃霧が集まってきた。姿こそ違うがこの霧は、小鬼達だ。伊央那の呼びかけに再び応えてくれたのだ。濃霧の舌が愛おしく太股をひと舐めする。ザラリとした肌触りは、伊央那に立ち向かう勇気を与えた。

「わたしは負けない。その為に、この子達がいるんだ!」

「ぬぅ! 待て人の子よ。我に戦う意思は無し」

「……えっ」

 言われてみれば確かに、そうだ。仇討ちなら背後から声をかけず捻り潰せばいい。高ぶる気持ちは真実を隠す。落ち着き改めて獅子神と向き合うと、彼から感じるものは殺気じゃない。

 獅子神のつり上がった瞳は潤んでいた。歯をくいしばり、口角から緑の血を流している。この男は弟を失い泣いているのだ。

「……憎くないの。あなたの弟を殺したのに」

「弟の悪行は聞いた。その罪は兄である我の罪である。すまぬ。苦しい思いをさせてきた」

「あなたが謝ったって時間は巻き戻らない。それをわざわざ言いに?」

 掌にはまだ羅我を殺した感触が残っている。

「そう身構えるな。我が奮うべき拳は、弱者を守り強者と戦うもの。人と戦う為ではない」

「……わたしまだ人間なの?」

「我はうぬを人に戻す為に来たのだが、その必要も無くなった」

 黄金の双眸は足元に絡む濃霧を見ている。

 張りつめていた糸は切れ、体の力が抜けペタンと大地に座り込む。

「よかっ……た」

 鼻の奥が熱くなる。ポロリポロリ。温かい涙が頬を伝う。誰にも弱味を見せたくないのに、自分の意思では止まらない。これで全ての障害は取り除かれた。

「会いたいアルトくんに」

『……ぎいっ』

 その想いに子鬼は反応し濃霧から実体化するのを止め寂しく哭くと、足元から離れ消えていった。

「では表世界まで送ろう。二度と闇に染まってはならぬぞ」

「……はい」

 素直に頷き、獅子神の差し出した右手を掴むと微笑んだ。


 黒鋼伊央那は走っていた。気持ちが軽い。体が軽い。自然と足どりも早くなる。こんなにも自分は動けたのか。

「アルトくん」

 愛しい弟。唯一残された家族の名前を呟くだけで、心にエネルギーが満ち溢れ力は無限に沸き上がる。

「今なら空だって飛べちゃうかも。うふっ」

 伊央那のテンションは最高に舞い上がっていた。

 アルトの居場所に心当たりが一つだけあった。幼き頃一度だけ会った母方の親戚が、神嶋市に住んでる事を思いだしたのだ。

 そしてそこには、伊央那に化けたイオナもいる。

「わたしに成りすましたあの怪異の目的は多分、鴉だ。アルトくんの側にいれば、奴が現れると思ったかも……」

 渡さない。鴉にも偽者にも。その為ならわたしは、再び鬼になっても構わない。強くそう決意すると、伊央那は幼い頃の記憶を頼りに叔母の家を探し求める。


 それから数時間経過して、たどり着いたのは二階建ての一軒家。街並みも景色も変わり過ぎて大変だったが、この特徴的な真四角の白い家に見覚えがあった。

「ここだ」

 筆文字のフォントで黒鋼と書かれた表札。門からでも見える庭一面に咲いた綺麗な薔薇。ここは記憶のままで変わらない。思いだした。幼いころアルトとかくれんぼして、伊央那は隠れた薔薇の中で酷い目にあった事を。

 棘が刺さり逃げ出そうと動いてまた刺さり、只泣く事しか出来なかった伊央那を助けにアルトも飛び込むものの、二人で泣き出すしまつ。

「ママとパパが慌てて助けてくれたっけ」

 くすくす。今となっては楽しかった思い出に、つい笑みがこぼれる。

「あれっ、君は?」

「ひゃい!」

 不意に後ろから声をかけられ飛び跳ねてしまう。買い物袋を持った制服姿のアルトが立っていた。

 最悪だ。選りに選って庭を覗き込むタイミングでの再会になるとは。これでは怪しさマックスの不審者だ。

「あ、あのあののわたしわたし」

 振り返り顔を真っ赤にして、両手をぶんぶんと振り回す。いけない。これじゃ本当に不審者になってしまう。そうじゃなくても真実を話して、信じてもらえるかわからないのに。

「体調良くなりましたか?」

 にこっ。微笑むアルトから後光が射し手をあわせたくなる。

(はぁぁん眩しい。アルトくんが、わたしにだけ笑ってくれる。尊い、なんて尊いの。それに食料品が入って重そうな買い物袋を、逞しい腕で抱えてるなんて。わたしも抱えられたい)

「おぬ……あなたは」

 イオナがアルトの隣で驚いた顔で伊央那を見ていた。まるで死人に遭遇したかの様で、信じられないと表情は訴えている。

(いたのね偽物…………て!?)

「て、て、て、手ッッッ!」

 繋いでいる。がっつりと手を繋いでいる。アルトとイオナが指と指を絡ませた恋人繋ぎをしているじゃないか。

 羨ましい。いやけしからん。弟と姉がそんな。待て。待つのよわたし。冷静にクールに考えるの。姉はそもそもわたし。するとアルトくんが繋いでるのは、わたしなのよ! と、伊央那は全身真っ赤にして、鼻をおさえた。

「イオナ姉に似てるよね」

 そんな伊央那の気持ちを知らず、アルトはイオナに自然な笑顔を見せた。

 伊央那は気づいてしまった。自分や他の人に見せる笑顔と、イオナに向ける笑顔は全く別のものだ。

 そうか。自分の居場所なんて最初から無かった。

 ――わたしって本当に馬鹿だ。

「わたし暁伊央那です。さよなら御門アルトくん。幸せにね」


 心がざわめく。嫉妬の鑢は無慈悲に伊央那を削り出す。早くこの場から消えないと。

 ――わたしは壊れてしまう。

「まって! 何故君が僕と姉さんの旧姓を知ってるんだ」

 ――あぁ。我慢したけど駄目だ。心を偽る事はできない。

「だってアルトくん。わたしが伊央那なんだよ」

 呪いの言葉を吐き魂が再び犯される。

「わたしからアルトくんを奪うものは、誰であろうと許さない」

 溢れだす涙は泥へと変わり、心の奥底に秘めていた夢さえも飲み込む。

 世界は引き寄せる闇により、紫色に染まった。

『ぎぃぎぃぎぃぎぃ』

 子鬼たちは歌う。

 ――王よ王よ。我ら闇に蠢くモノたちの魔王よ。

 新たなる闇の王の誕生を祝う。

「あぎぃぃぃぃる」

 産声をあげ、真の荒ぶる神の王が今誕生しようとしていた。


 *

 伊央那。アルトの聞き間違えでなければ、目の前の少女は暁伊央那と名乗った。でも姉は隣にいる。一体どういう事なのだ。

 イオナそっくりな顔で涙を流す彼女の泣き顔を見ると、何故か心が痛む。他人の空似。家族じゃないのに。

 再婚前の旧姓を言ったからか。でも調べれば直ぐに分かる筈。

 五歳まで伊央那は暁。父が亡くなり数年後再婚。アルトと姉弟になり御門の姓となる。そして遠縁の黒鋼に引き取られたと。

 それでも懐かしさと愛おしさを彼女に感じてしまう。

「イオナ?」 

 イオナはアルトの隣から離れ涙を流し立ち尽くす伊央那と対峙していた。右手には見覚えのある歪な黒い刀を握っている。

「あの刀は……」

「アルト助けるわよ。貴方のお姉さんを」

「えっ?」

 思考がついていけない。だが伊央那の身に危機が迫ってるのは理解した。彼女の涙から泥が吹き出し、足元から霧に覆われていく。

「寄生する怪異よ! 彼女を解放しなさい!」

 イオナは黒い刀を上段に構えた。あの構えをよく知っている。

「あれは……」

「わたくし残酷ですわよ」

 振り下ろされ消えた刀の刃先が泥を貫く。

「……奥義ヤタガラス……何故イオナが……そうか僕と同じ【呪い使い】に」

「違う。違うのよアルト」

 イオナは眼鏡を外した。少し垂れた優しい眼は、真紅に輝いている。

「見なさいアルト。これが、わたくしの正体よ」

 ――変異。

 黒い翼を翻し、黒衣の鴉はアルトの前に降臨する。

「これが儂の本当の姿じゃよ。アルトの小僧」

 鴉は悲しそうにそう言った。


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