第18話 王の誕生(1)

 *

「もう朝か」

 羅我の元を飛び出した伊央那は、神嶋駅周辺にある漫画喫茶で一夜を明かしていた。以前から読みたかったバトル漫画、続編を含む全巻ついに制覇した。充実の一晩で心が満たされた。だがその代償は安くない。渡されたお釣りは疲労感という名の肩こり。頭痛。目の奥の尖った痛みと充血ときてる。

 思えば一人で時間を潰すのは初めてだ。どこ行くにも、必ず羅我や雫がついてきていた。

 人を喰う怪異達に囲まれて幼少から育ったからか、不思議と悪異と呼ばれる彼らを怖いと思った事もない。十年前、愛する弟を目の前で鴉にさらわれた。その時羅我は言った。

『お前も一人ぼっちになったな』

 両親を喰った貴様が何を言う復讐してやると、幼き心に思ったがその後に続く言葉で考えなおす。

『手伝ってやるよ。弟探し。姉を探すついでだ』

 その日から伊央那は羅我の物となったのだ。後悔はなかった。血肉を捧げてでも、アルトを見つけ出すと自分に誓ったから。だからどんな辱しめを受けても、伊央那は絶望しないで生きていけた。

 昨日本屋で会ったアルトと偽伊央那を知ってる茶髪の少女。神嶋学園中等部の制服を着ていたあの子に会えれば、きっとアルトに……。

 偽者はおそらく羅我の間者だ。何故雫と争っていたかわからないが、出なければあの冷酷の怪異が助けるものか。高等部に直接足を運ぶのはリスクが高いと伊央那は判断する。用心するに越した事はないのだ。


 朝食を食べてシャワー浴びて、午前十時前に漫画喫茶を後にする。まずは昨日の本屋からだ。

 横断歩道で信号が変わるのを待っていると、隣に伊央那と同世代の少女のグループが立ち止まった。

 綺麗系や可愛い系の私服を着て、楽しそうに会話している。

 とても華やかで羨ましくキラキラと眩しい。それに比べて自分は何て地味なのか。

 髪型や流行の服アクセサリー等は勿論知っているし、それに合わせているつもりだ。外見では無く内面にピースが足りない。光輝かせる生きていくには絶対的必要なパーツが欠落していた。

 それは安らげる家であり、心の底から笑い合える家族である。

 伊央那が欲しがるものを全て持つ彼女達にユラリと揺らぐ、黒い炎。嫉妬を込めた横目でチラリと覗く。

「はうあっっ」

 伊央那は思わず変な声を出して驚いてしまった。少女達の中に一人だけ、少年が混ざっている。

 背は平均的でそこまで高くないが、足が長く小顔でバランスがいい。細身ながら引き締まる胸板と首回りから、体を鍛えてるのがわかる。

 黒い髪は綺麗な肌質を際立たせ、長くカールするまつ毛は美少女顔に映えた。間違いない。間違えるわけがない。十年前鴉にさらわれた弟のアルトだった。

 こんな近くにいたなんて。

(間違いない。これは運命よ。わたしとアルトくんは赤い糸で結ばれているの)

 ドキドキドキドキ。心臓の鼓動が凄い。カァァァと体が内側から熱くなっていく。

(そんなまだ、心の準備が……。とにかく落ち着こう。シャワーヨシッ! ハッ、しまった。下着昨日のまま着替えてないし、上と下でバラバラだしデザインも可愛くないや。いやいやダメダメ、アルトくんに見せたら嫌われちゃうよ。はうぁ、アルトくんに見られるの。はあぁぁっん)

 ぽんっと上気して、快楽の波で肉体は震え朱に染まった。

「あの大丈夫ですか? 信号青になりましたけど」

 にこっ。横断歩道を歩く少女グループの中で、アルトだけが進まず伊央那に優しく微笑む。キラキラと輝く後光は刺激が強すぎる。ぶはぁぁっ。鼻血を吹き出し倒れた。

「はぅっん。あ、あのあのあのわたしぃおなぁ」

 緊張で口が回らない。

「あんっ」

 アルトの手が額に触れる。

 カァァァ。更に体温があがり、恥ずかしさと嬉しさで下腹部が熱い。

(アルトくんがわたしの体に触れている……。手大きくなったね)

 幼い頃いつも一緒だった。泣き虫のアルトはその小さな手で、伊央那の服の裾を掴んでいた。

 涙で視界が滲む。

(もっとアルトくんを感じたい)

「失礼」

 アルトは綺麗に洗濯された白いハンカチで伊央那の涙を吹き、額に滲む汗を拭き取りだす。

「体調悪そうですね。酷く汗をかいて」

「あのっわたし……」

(言わないと。わたしが本物の黒鋼伊央那だと)

「くろがねくぅん、早く」

 状況を理解していない、少女グループが手を振って呼んでいる。

「病人救急車お願い!」

「了解!」

「ち、違う、あのわたしは」

「僕に重心を預けて下さい。今救急車来ますからね」

「は、はいっっっ」

 隣りに座ったアルトの肩に頭をのせて、伊央那は真っ赤に茹で上がる顔を両手で隠した。


 サイレンの音が近づいてきた。幸せな時間が終わりを告げる。嫌だ。夢にまで見たこの刻。アルトと再会したこの瞬間を、どれだけ待ち望んだ事か。

(言わなきゃ)

「あの……わたし」

「んっ……恥ずかしいよね。ごめんね。鼻から血出てたから横にするわけにもいかなくて、つい」

 慌てて離れようとするアルトに、強く抱きつく。やっと会えたのだ。ずっと再会出来る事を夢見て、修羅の道を歩いていた。アルトだけなのだ。悪意だらけの世の中で唯一彼女を繋ぎ止めていたのは。

 もうとっくに伊央那の魂は摩耗し限界を超えていた。だが聞こえるのはアルトの無関心の声とサイレンの音。アルトにとって他人は道端に転がる小石。全く気にも止めない存在なのだ。

「あっ……」

 気づいてしまった。弟は仮面を使い分け被っている。十年前、あの刻からアルトも既に……。

 

 ――王よ。

 突然幻聴が聞こえた。何かが語りかけてくる。伊央那を振り向かせようと耳元で囁く。

「違う……わたしは」

 救急車が停車し、救急隊員が近づいてきた。

「あとはお願いします。お大事にね」

 そう言ってアルトは心配する仮面を被り、遠巻きで見ていた少女達のグループと合流して能面な笑顔で去っていく。

「待ってアルトくん……わたしが本物の伊央那よ……」

 その声が届くわけもなく、こちらを一度も振り向かない。

「アルトくん!」

 ストレッチャーにのせようとする隊員を振り払い、後を追いかけた。

「嫌だ嫌だよ。また一人になるのは、嫌だぁぁ」

 不意に地面が消え落下する浮遊感を味わう。これは裏世界へ強制的に移動させる羅我の仕業だ。


「何処に言ってた馬鹿。お前は俺と敵対する悪異にとって、絶好の標的なんだぜ」

 厳しい口調だがそれは心の底から心配しているから。長い付き合いだ。伊央那もそれは理解している。

「……のせいだ」

 それが余計に彼女を追い込む事も知らず、アルトの仮面を被った化物は二人の時しか見せない安堵の表情を浮かべた。

「伊央那?」

「誰のせいだッッ! 全てはお前のせいだろッッ!」

 体が怒りで熱い。羅我がいなければ、両親は喰われなかった。羅我がいなければ、アルトは鴉にさらわれなかった。

「今わかった。偽物もわたしを苦しめるためお前が用意してものなんだ! 何故わたしが、こんな目にあわなきゃならない。お前がいなければわたしは今頃、優しい両親と愛する弟に囲まれ、学校の友人達と遊びに行ってるんだ!」

「落ち着けよ。アイツは俺の」

「うるさいッッ! 悪異め! お前がわたしを鴉の代わりとして、見てるのはとっくの昔に気づいてる! だけどわたしは鴉じゃない。もう姉弟ごっこはたくさんだよッッ!」


 ――あぎぃぃぃぃる!


 血反吐を吐く魂の叫びに呼応し、不気味な獣の声がこだまする。

 ぎちぎちぎちぎち。空間が激しく軋み出し、染みだす泥は紫色の空を犯す。

 獣の主が羅我のテリトリーに無理矢理侵入してくるのだ。あり得ない。羅我の力は最強レベルの特級。それに入り込む事が出来るものなんて限られている。

 この泥は闇で出来ている。伊央那は何故か理解した。

 怒り。恨み。妬み。嫉み。

 あらゆる負の感情で創られた人の悪意が産みだした闇が、羅我のテリトリーに侵入してきたのだ。


 ――ぎぃぎぃぎぃ。

 空から落ちてきた泥は固まり小鬼の集団となると、伊央那の前でひざまづき哭いた。耳障りが悪い鳴き声だ。人によってはノイズに聞こえ、不快感を催すかも知れない。

「この子達だ……」

 先程耳元で囁いていたのは大小さまざまな墨色の小鬼達で、額には角、口から鋭い牙を生やしている。

 ――王よ。我ら闇に蠢くモノは、貴方の力となろう。

「何者か知らねえが、ソイツから離れろ!」

 本来の醜い猛禽類型怪異の姿になると、羅我は蛇腹で小鬼達を吹き飛ばす。

「伊央那、こっちに来い」

 真紅の外皮骨格の腕を伸ばしてくるが、首を振り羅我を拒絶する。

 ――お前なんか死ねばいい。

 泥はその心に反応を示し、再び子鬼となり足元に集まっていく。

 ――なんで俺だけが。

 ――誰も私を見てくれない。

 ――真面目に生きてるのにどうして。

 壊れた心に次から次へと刻まれるは、血の涙を流し叫び訴えかけてくる真面目で心優しき人間達の声。

 それは呪い。この世界に住む者全てが持つ、理不尽に対するやり場のない怒りであった。

 伊央那はその言葉に共感する。それが罪を犯した罰ならば、自分が悪いと諦めもつく。だが一体伊央那は何をしたのか。両親を殺され弟を奪われた。それは何に対しての罰なのだ。

 ――許さない。真面目に生きても報われない世界なんて、壊れてしまえばいい。

「そうか、そうだったのか……」

 ――理解した。この子達はわたしだ。

 羅我が悲しそうに、顔を歪めていた。

 闇が伊央那の肉体を覆う。身も心も墨色に染まり、とても心地いい。

「変異」

 身も心も鬼に全てを捧げた。

「我、目覚めたり」

 闇はニィィィと、口角をつり上げて邪悪に笑った。最狂最悪の鬼の怪異。荒神王が伊央那の体を器として、十年ぶりに受肉したのだ。

「あぎぃぃぃぃる」

 殺戮が始まる。

 


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