3章 黄金の獅子

第16話 シロとクロ(前編)

 休日の昼下がりアルトの後輩、朝比奈旭は神嶋市で一番大きい本屋に来ていた。ずっと楽しみにしていた作家の新作が、今日発売なのだ。この日が来るのをどんなに待ち望んだ事か。

 最高だった。空は晴れ穏やかな日差し。まるで今日という日を、天気の神様が祝福してくれてる。そんな風に旭は感じていた。店に入るまでは。

「むぅっ」

 手早く本を買って、ジャンクフードと炭酸飲料を片手に楽しいひとときを味わいたいのに、新刊コーナの前で運悪くクラスメートに見つかってしまった。

「朝比奈もこれ好きなのか。僕もこれ好きでさぁ」

 メガネを輝かせニキビ面の少年は、もの凄い早口で語ってくる。

「へぇぇ」

 同じ作品を愛する同士に会えたのだ。熱く語りたいのは、充分理解できる。旭も夢月に同じ事するし。それでも今はダメだ。下手すればネタバレを聞く危険性があるのだ。

 この新作は本になる前からネットで公開中。紙媒体で読みたい旭はネット版をスルーして内容や評判等一切遮断している。このクラスメートがもしネット版もチェックしていれば、間違いなく旭にネタバレをぶちこむだろう。

(そういう人種なのだアタシ達は)

 どうやってこの場を穏便に去るか、ふと視界に入るのは、真紅の派手な髪色の美少年。

 一瞬少女と勘違いしてしまう程に色白で整った顔立ち。特徴的なのはバサバサの長いまつげに、吸い込まれそうな漆黒の瞳。それは哀しみに満ちていて異性からするとたまらなく母性本能をくすぐるのだ。

 その少年は先輩の黒鋼アルトであった。

「ごめん。彼氏来ちゃった」

 渡りに船とはこの事か。旭は両手を合わせてあざとくウィンクすると、名前を呼びながら店の外に向かったアルトを追いかけた。


「先輩! 待ってぇぇ」

 旭が後ろから大声で名前を呼んでるのに、アルトの足は止まらない。


 機嫌でも悪いのか。いつもならどんな状況でも手を振り、キラキラした笑顔で微笑んでくれるのに。それにあの真っ赤な髪。もしかしてヤンキー漫画の影響受けた。いやいや先輩に限ってそんなキャラじゃない。ならアタシ何かした。酷いそれならそれで直接言ってよ。ぷんぷん。何か腹たってきたと、次から次へと顔色と表情を変え旭は頬を膨らます。


「もぅシカトするの酷くない、アルト先輩!」

 やっと捕まえた。細身だが見た目より引き締まっている腕を掴む。

「誰だお前……。チッ、そんなに俺はアルトに似てるのか」

 目の錯覚か。瞳の色が真紅に見えた。

 違う。顔も体格も似ているが全くの別人だ。隠そうとしない攻撃的な雰囲気は抜身の刀だ。背中を見せれば殺されると、本能が察し強ばった表情で後退る。

「ご、ごめんなさい。人違いでした」

「羅我。わたしの前で他の子口説くなんて、たいしたもんね」

 そう言って購入した単行本を持った黒髪のイオナが眉毛をつり上げて、本屋から出てくる。

「イオナ先輩、髪黒く染めて短くしたんだ。可愛いぃ」


「重ね重ねすいません」

 二人が別人と分かり、旭は深々と頭を下げた。

「そこまでわたし達に似てるの?」

「うん。雰囲気違うけどね、超そっくり。写真見る?」

 手提げバックから携帯電話を取り出し、顔をあげると二人は姿を消していた。

「あれれ。せんぱいたち……何処?」


 *

「離して。せっかくアルトくんの手がかりが見つかりそうだったのに」

 話途中で裏世界に移動したので、伊央那は不満そうだ。

「……イオナって、この前助けた怪異でしょ。何故わたしに化けてるの?」

「――それは――」

 正直に言えるわけない。言えばアルトの元に戻ってしまう。

(姉貴の様に俺を捨てて、伊央那は去っていく)

「もういい。わたし一人で、鴉にさらわれたアルトくんを探す」

「待てよ」

「触らないで! 人喰いの化け物。わたしから家族を奪ったお前達姉弟を、絶対に許さない!」

 伊央那の足元が泥に汚れ、小鬼の集団がまとわりついていた。

「伊央那お前は……」


 *

「にゃんにゃん」

 猫又のシロは子猫の姿で尻尾を振り、民家の屋根上から空に浮かぶ星を見ていた。いつも一緒に眺めていた姉クロはもういない。羅我に殺されたからだ。あれから十年不確かな情報を元に街を彷徨い、ついに東関東の神嶋市で手がかりを掴んだ。

 シロは今屋根の上から隣の家を見張っている。ある少女が家から出てくるのを、シロは毎夜毎晩待っていた。細い蜘蛛の糸だが、その少女なら自分を羅我の元へ導いてくれるかもしれない。


 数時間が経過した。今夜も家から出てこない。

(諦めるかにゃ……んん!)

 二階、少女の部屋の窓が静かに開かれていく。

(やっと出てきたなり)

 遠目からでも誰かはわかる。鴉の気を纏う美少女。黒鋼イオナをシロは見張っていたのだ。

 イオナは動きやすい様に髪型をポニーテールにして、黒いジャージを着ている。眼鏡はかけていなかった。

 こんな真夜中に運動でもするのか。それなら堂々と玄関を使えばいい。二階から出る必要なんて全くない。

(やはりあやしいにゃ)

 イオナは星空を舞い、シロのいる真逆の屋根に軽々と飛び移る。呪われているとはいえ、その動きは人間を超越していた。

 追いかけよう。この時を待っていたのだから。一定以上の距離さえとれば、猫又標準スキル忍び足で見つかる事もない。


 イオナは移動中、路地裏や街灯がない暗闇の道を見つけると、キョロキョロと周囲を見回していた。

(まるでパトロールでもしてるみたいなり)

 ピクン。シロの猫耳が、遠くから伝わる命の揺らぎを捉えた。

(人間が死にそうになってるにゃ!)

 事故か事件か病気か。この揺らぎは、命が危ない時の波動だ。これを感じる事ができるのは、怪異の中でもごくわずか。人であるイオナは当然、感じる素振りを見せない。

(助けにいかないと)

 迷わず追うのをやめイオナから背中を向けると、シロは走り出した。


 シロがたどり着いたのは、数年前火事で半壊した遊技場。ここから命の揺らぎを感じていたが、今は何も感じない。

「間に合わなかったなり」

 立ち入り禁止の看板を飛び越え中に入ると、直径一メートル程の蒼く燃える火の玉が地表でユラユラと揺れていた。

「ケッケッケッ。猫又か。今夜はツイてる。また一匹喰えるぞ」

 侵入者に気づいた火の玉型悪異が、こちらを向く。

 炎の中心に歪な形した球体が浮かび、つり上がった目は愉悦で喜びに満ちている。

「命を奪って何を喜ぶにゃッッ!」

 ――スリーピング・キャット。

 激しく燃え広がる炎の壁に砂は阻まれる。

「球体を直接狙うしかないなりか」

 指先から爪を伸ばす。争い事は嫌いだが、これ以上被害者も増やせない。

(わが輩や、ご主人の様な人達を増やしてはならないにゃ)

「行くなり!」

「ケッケッケッ」

 人の姿になり炎の壁を飛び越えたシロが見たものは、笑いながら怪異力を発動する蒼い炎。大きく揺れ動きシルエットは人の形に変化する。

「にゃんだと……お前……」

 爪は頭部ギリギリで止まった。

「よかった。攻撃中断してくれて、アタイは嬉しいよ、シロ」

 あり得ない。彼女は死んだ。羅我の手によって殺されたのに。

「クロ!」

 それでもシロは目の前にいる敵を、姉の名前で呼ぶ。


 十年前、シロとクロの住むある街にも、荒神王は降臨した。悪異を中心とした武道派の怪異軍団でも倒せず、力無き者達は暴風雨が去るまで耐えるしかなかった。

 王の怪異力キングオブキングスによって、身体を持つ怪異は腐り戦場となった裏世界の草花は散り大地は渇き、黄泉津の国を作りだす。


 数ケ月がたち少しずつ日常を取り戻して来たシロとクロの前に奴は現れた。真紅の悪異が。

 突然の侵略だった。二人のテリトリーに侵入して、クロを蛇腹刀の一撃で斬り刻んだのだ。

「カッ。弱っちいな。食事前の運動にもなりやしねぇ」

「わが輩達が、一体何をしたッッ!」

 シロの腕の中でクロは絶命していた。死んだら、舐めても治せない。

「殺してやるッッ!」

「寝言はあの世で言え、弱者が」

 スリーピングキャットを発動するよりも早く、蛇腹刀が頭上から振り下ろされる。キィィン。金属音が鳴り響き、刀は弾かれた。

「たわけがッッ! また貴様は勝手に」

 助けてくれた見知らぬ黒衣の怪異は、歪な形をした刀を構えていた。

「うるせぇよ! 姉貴の餌は、まだ生きてるだろが」

 甘かった。この怪異も悪異だったか。

(クロ……ごめん)

 生きてなければ復讐は出来ない。姉弟が言い争う間にクロを置き、シロは猫の姿に戻ると一目散に逃げ出した。

 後に知る。この二人の名前は羅我と鴉。悪異のイータである事を。


「クロ」

 シロは首にぶら下げている姉の形見の鈴を握った。

「お前は誰なり!」

「アタイの顔を忘れたの」

 姉の顔で柔らかく微笑む。その笑顔は正しくクロそのもの。

「忘れた事なんて、一度もないにゃ」

 これは幻覚。火の玉悪異の怪異の力だ。頭ではわかっている。それでも迫る感情の高波からは逃げられない。決壊する防壁から流れ出す濁流に溺れてしまう。

 涙で汚れたシロを、クロは微笑みを浮かべ力強く抱きしめてきた。

「よしよしっ。今まで一人で大変だったね」

 背中まで回された手はシロの体を逃がさない。皮膚が水ぶくれをおこし、煙を吐き出し爛れていく。

「このままじゃ、わが輩は炎に……」

「あの世でもずっと一緒よ。ケッケッケッ」

 クロの口角が耳までつりあがる。慈愛に見えた優しい微笑みは、今や邪悪。

「あの世には、お主一人で行くのじゃ」

 斬撃と共にクロの両腕が吹き飛び、夜空に黒い翼が舞った。

「儂のテリトリーで、好き勝手やってくれたのう三下悪異」

 満月の光を背に受けて、黒衣の鴉はやってくる。

「儂、残酷じゃぞ」

 にいっと、仮面の下で口角をつり上げ、鴉は凄惨な笑みを見せた。

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