第15話 真紅の羅我(終)
切断した右腕が元に戻る。我が強さに微笑め。勝利の女神よと、天に向かって力強く拳を突き上げた。
朧気ながらわかってきた。泥そのものに攻撃力は無く、中に何かが潜んでいる。それが対象を巻き込み破裂するのだ。体全身を改めて確認すると、左肩周辺が一番多く泥がこびりついていた。
先程の生命エネルギーを感じない。
――この中には仕込まれてないようだな。
「!」
シュルルシュルル。沼から泥が浮かび上がる。回転する泥で出来た沢山の円盤は、獅子神の周りをグルリと囲んだ。
「ほぅ」
見るからに怪しい泥の円盤だ。あの中へ入ってるのは間違いない。獅子の心臓で鞭でも生やし叩き落とすか。
「フッ」
それでは退屈だ。修業にならない。ダメージ覚悟で突き進み本体を叩く。そう考えるだけで血湧き肉躍る。
――獅子の心臓・絶対的防御。
防御力ステータス全振りの怪異力を体に纏う。
(数秒しか使えぬが、その間に決める)
次から次へと円盤が、ガードを固め本体に近づく獅子神の肉体を汚していく。絶対的防御の障壁によって守られる体は、弾け爆発する泥にも耐えていた。障壁にこびりつく泥の中から生命の息吹を感じる。小豆大の植物の種が転がっていた。
(まさかこれなのか)
注がれた怪異力で一気に発芽する種は弾け、障壁を泥で汚す。攻撃の正体に気づいた時にはもう遅い。障壁を張る以前から左半身は泥がこびりついている。
「ぐぬっっ」
生命エネルギーを左肩から感じた。泥の中で深い眠りについていた種が本体の意思により覚醒する。種はメリメリメリと音をたてて発芽し、左腕部を吹き飛ばす。
致命傷レベルの傷でさえ魂の器であるコアの部分が残ってるなら、時間はかかるが自然に治癒できる。しかし獅子神には、その基本的な事が出来ない。肉体を構成する怪異因子が異常に強い為、そのスキルが正常に作動しないのだ。
コピーしたリバースで元に戻す事は可能だが、最悪にも弾けた左肩周辺に心臓の一部が含まれていた。これでは怪異力を発動する為に必要なエネルギーを蓄積するのに、時間をくってしまう。
「まだまだ修行が足りぬか」
絶対的防御の障壁は消え、泥の中に膝をつく。
「なにへばってんだ。奴の力を奪って反撃できんだろ!」
「まだ無理だ。獅子の心臓が使えぬ」
「ふざけんな!」
羅我が怒るのも当然だ。力こそ全ての怪異の世界で立ち止まる事は死を意味する。それを覆し弱者でも生きていける世にする為、獅子神はどんな強敵にも恐れず怯まず天辺を歩いていた。
それがどうだ。今獅子神は大地に跪いている。兄の背中を追っていた羅我にとって屈辱しか無い。
「……やってやる。奴を倒して俺が選択した道が間違えてない事を、兄貴達に証明してやるぜ!」
自己再生能力で傷が癒えた羅我は立ち上がる。その瞳は昔と変わらない。獅子神が知る真っ直ぐな熱い光を宿していた。
「そこで見てやがれ。俺の強さをなッ!」
足下から紅蓮の炎が這い上がる。羅我の腐りきっていた心を奮い立たせるには充分過ぎる熱量であった。
翼を広げ一気に沼地を飛び越える。本体である頭蓋骨を直接叩くつもりなのだろう。
泥が波打ち種で出来た弾丸が羅我を迎え撃つ。
「能力解放。――九頭龍の咆哮」
九つの頭を持つ真紅の龍は無数の弾丸を切り刻む。
それでも全てとはいかない。本体の頭上に辿り着いた時、羅我の体は泥で汚れていた。
「羅我ッッ!」
「これでいい。いいか兄貴これでいいんだ」
メリメリメリッ。発芽した芽は、羅我の肉体をバラバラに引き裂き破裂する。残された頭部と胸部の一部が湿った大地に転がった。
「見事だ。羅我、それでこそ我が弟よ」
頭蓋骨が吐き出した全ての泥は底をつき、地面だけが残っていた。
――獅子の心臓・リバース。
「あとは我に任せよ」
再生した獅子神の肉体は腰を深く落とし構えた。大きく開かれた足は大地を味わう。感じる。足裏から伝わる大いなる地球のエナジーを。獅子神は鴉と羅我と同じイーター種。だが彼だけは一度も人と怪異を喰った事は無い。
獅子神が食するのは地球。全ての命を産み出した偉大なる母のエナジーを喰らうのだ。
「ギィッッ!」
頭蓋骨は不利をさとり、逃走用の泥を吐き出す。
「逃がさぬッッ! 燃えあがれ。我が黄金の闘気よ」
こおおおおっっ。呼吸を練り、新鮮な酸素を肺に取り込む。
「一撃必殺、螺旋突きッッッッ!(ギカンテック・インパクト)」
怪異の標準スキルすらまともに使えない。落ちこぼれであった獅子神にとって、唯一誇れるものが有るとすれば努力だ。
強者から学び、鍛練し地道に技を磨きぬく。それによって生み出されたのが、この奥義。螺旋突き。地球のパワーを借り、鍛えあげた筋力で必殺技が唸りをあげた。
「ぬんッッ!」
螺旋状に回転する右拳が、空間を切り裂き距離を超越する。
泥の中へ逃げ出す頭蓋骨に亀裂が走った。手応えはあった。拳はコアの芯を捉えている。
ピシッピシッ。コアの破壊と共にヒビ割れは瞬く間に浸食する。
「王の復活は……ちか……い」
恨めしそうにそう呟くと、本体は消滅し灰となり消えた。
「フッ。また忙しくなりそうだ」
大地にポツンと寂しそうに残された羅我の瞳は、虚空を睨んでいた。
「意識はあるようだな」
「この十年何処にいた」
ふてくされ、決してこちらを見ようとはしない。
「全国武者修行の旅よ」
「筋肉馬鹿が」
「それよりもだ。勝負は我の勝ちだ」
羅我の頭部は、自らの蛇腹で傷つけた大地のラインを越えて転がっていた。
「チッ」
「荒神王阿修羅の強さは、欲望ではない。怒り憎しみ怨み。負の連鎖、憎悪だ」
「……くそがっ……殺せ。俺にはもう何もねぇ」
悔しさで涙を滲ませる。
努力する方向を間違え沢山の屍を築いた。許される事ではない。だが獅子神はその流れ落ちる涙を不快とは思わなかった。
「そうは見えぬがな」
人の気配を感じた。
羅我が裏世界まで連れてきてたのか、少女が近づいてくる。黒く肩までかかる髪。少し垂れた眼には、闇が宿っていた。
「伊央那。どうやって裏世界に」
「いい気味だよ羅我。このまま死ねばいいのに」
伊央那と呼ばれたこの少女と羅我の関係性はわからないが、少女は本気で殺意をこめて死ねと言っている。
「でもまだだ。わたしからアルトくんを奪った彼女を殺るまて、楽にさせない」
懐からナイフを取り出すと、躊躇なく手首を切った。真っ赤な血で羅我の顔を真紅に染める。
「はぁはぁはぁはぁんっんん」
辛そうに呼吸は乱れ、顔色がどんどん青ざめていく。
そろそろ止めるか。彼女の気も済んだろう。
「それ以上は、うぬが死ぬぞ。少女よ」
「触らないで。怪異なんて大嫌い…………あれっ、わたしなんでナイフを」
慌てて無傷な手首と染み一つない綺麗な刃を、元の場所にしまいこむ。
「少女よ。事情はわからぬが、我と共に来るか? 家に帰してやる」
「嫌よ。わたしに帰る場所なんてない」
「そうか。なら弟を頼む」
驚異は去り、ここでの自分の役目は終わった。少女のおかげでリバースを使う必要もない。あとは自己再生で大丈夫だ。
獅子神は二人に別れを告げ、急いで表世界に移動した。
店に戻ると店内は荒れていた。机やソファーは切り刻まれ壊れている。
二人は絨毯の上にいた。勇敢にも立ち向かったのだろう兎の額には緑の血が滲み、夢月は彼女の膝枕で寝息を立てていた。
「むにゃむにゃ。アルト先輩おかわりぃぃ」
「待たせたな」
「アンタ無事だったのか良かった。この子を治せるかい? アタシの怪異力で眠らせてるから、精神的なダメージは緩和されてるわ」
「獅子の心臓・リバース」
黄金色の輝きは二人を照らす。兎が負った傷も消え、夢見る眠り姫が静かに目を覚ます。
「……んんっ、あれっ寝ちゃってた。怪異は?」
「……アンタ、いつのまに帰ってきた?」
二人はリバースの力により、この数分間起きた出来事を覚えていない。
「安心するがいい。全て片付いた」
わはははっと、豪快に笑い気持ちいい笑顔を二人に見せた。
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