第10話 黒衣の鴉(4)

 切断したばかりの生暖かい左手首から温かな湯気があがる。血が滴り落ちる骨付き肉に、鴉の心は躍り出す。

 いただきます。むしゃむしゃ。バリバリ。牙を突き立て肉を咀嚼し骨を砕く。火を通さない生肉に、血のソースを絡め味わう。

 普段アルトの体液で飢えを凌ぐ鴉にとって、ほんの僅かな血肉でさえも新鮮で体に充分すぎるほど活力を与える。

「あぁ美味い」

「鴉様ァァッッッッ!」

 感情をあらわに激高する雫は、残された片腕で鎌を振りおろす。遅い。満たされた食欲により、凍傷で使い物にならなくなった右腕が完全回復する。

「シュッ!」

 クサナギを胴に叩き込むが、致命傷を与えるまではいかない。

「まだまだですよ」

 雫は傷口を押さえながら、空間の亀裂の中へ飛び込み消えた。

「カッ。面白い。儂をもっと楽しませるかや」

 空間移動からの攻撃は一見すると無敵に思えるが、そうでもない。鴉のヤタガラスもそうだが、対策を立てれば防ぐ事は可能なのだ。

 ばさり。鴉はマント状の翼を大きく広げた。次元を渡る時に発生する振動は海の満ち引きと同じで、決して隠せない。

 空間に伝わる波をマントが羽ばたき見つけ出す。

「そこじゃ!」

 足元が揺れ動き、空間に一文字の切れ目が走った。

 ギュュン。鎌が飛び出してくる。

「狙いは足か! そうはさせん」

 三日月型の刃を踏みつけクサナギで突く。

「ぬぅ」

 手応えを全く感じない。

「鎌はおとりか!」

「足元に気を取られましたね」

 雫の声が教室内に響いた。

「何故私が、この密閉された教室を選んだかわかりますか? 戦うなら影が沢山あって広い、外の方が有利なのに」

 確かにそうだ。雫の怪異力、黒雪姫は影から影へ広く移動し対象を攻撃する。日差しが充分にある外の方が、真価を発揮できる。

「何か策があるのじゃな」

 クサナギを正面に構え感覚を研ぎ澄ます。どんな作戦だろうが雫を見つけだし、攻撃を受ける前にヤタガラスを叩き込む。

(姿が見えない以上、今あやつは影の中にいる。だが何処に)

 教室には教卓。積まれた机椅子。ロッカーがあり、窓から入り込む日の光がそれぞれの影を生み出している。

(儂の体内にいない以上、あれらどれかに潜んでいるのじゃが)

「ぬんっ」

 クサナギを一降りして、学校用家具全てを吹き飛ばす。

「いないか」

「フフッ、やはり貴女ならそうしますよね」

 天井から雫の殺気を感じた。

「ぬぅ、まさかお主が乗っ取ったのは、教室そのものかや」

「その通り。私の命をかけた新奥義ですよ! 鴉様ッッ!」

 体全身を削り取る痛み。皮膚が斬れ傷口には、氷の華が咲く。

「これは!」

 天井一面にもまた華が咲いており、花びらから氷柱で出来た蜜が垂れさがっていた。

「ちぃぃぃいいいいい!」

 串刺しにするつもりか。次から次へと氷柱が降り注ぐ。

「じゃっ!」

 クサナギを投げた。降ってくる氷柱を砕きながら刃は天井に突き刺さる。予想通り脆い。個数を増やせば増やす程、氷柱の中身はスカスカなのだ。

 雫本体の手応えを感じない。天井から移動したか。もはや隠す気もない殺気が、教室の四壁からビシバシと伝わってくる。壁一面氷の手が生え無手の鴉に襲いかかった。クサナギは天井に突き刺さった状態で凍りつく。

「ぬぅぅ。これが狙いじゃったか!」

 この奥義。雫はリミッターを外している。あの無数の手全てから満ちた怪異力が溢れ出していた。掴まれば間違い無く死ぬ。やむを得ないクサナギを諦め、まだ凍結してない足場まで退き態勢を整えねば。

「逃がしません!」

 追う者追われる者。鬼ごっこは続く。始まりがあれば必ず終わりは来る。鬼に掴まった鴉は床に叩きつけられた。

「私の勝ちです。我が魂をエネルギーとし、今からこの教室全てを絶対零度近くまで下げていきます。怪異とはいえ受肉して肉体を持っている以上、耐える事はできません」

「たわけ! そんな事すれば、お主も死ぬぞ」

「ふっ。貴女の命と私の命。どちらが尽きるのが先か我慢比べですよ、鴉様ッッ!」

「うぐぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 雫の魂一滴残らず氷の腕に注ぎ込まれる。削られていく鴉の命が見たものは、走馬灯。

 それは十年前の記憶。弟の羅我が雫達配下を連れて、最狂の怪異、荒神王阿修羅に戦いを挑んだ光景であった。


 *

 何処だ。羅我達はまだ生きているのか。裏世界に広がるはドロドロに溶けた肉の塊。

 鴉の目の前で広がるは戦い敗れた怪異達で築きあげられた道であった。鼻につく腐臭とぬかるみが足元へ絡みつく。

 これが情報屋から聞いた王の怪異力か。恐ろしい。自己治癒力が間に合わずコアと共に溶けている。

『ここは地獄じゃ。荒神王め。次は成神を破壊する気かや』

 神話の時代から一定周期で出現する正体不明の怪異、荒神王。決まった姿はもたずサイクルごとに体や形。現れる場所も違うという。

 全てを破壊する為に産まれた怪異の王は、自然災害そのもの。通り過ぎるのを待つしかない。

 それなのに羅我は戦いを挑んでしまった。日本各地を旅する長兄の指示を待たずに。

 いた。額に四本の角と六本の腕を生やした鬼型の怪異、荒神王が屍の道を歩いている。

 ――羅我は何処だ。

『邪魔だ雑魚共。僕の怪異力、キングオブキングスの前に、貴様らは勝てない』

 何がそんなにイラつくのか。荒神王阿修羅はそう言って、まとわりつくハエを追い払う。

 その六本腕に触れた怪異達の肉体から、水蒸気が噴き出す。体内の水分が蒸発したのだ。潤いを失いカラカラに皮膚は干からび、腐臭を放つ肉もろとも骨から崩れていく。

 あれが荒神王の怪異力、キングオブキングスか。サイクルごとに姿形名は変われど、怪異力は変わらない。


 見つけた。死体の山の中で蛇腹刀を握った羅我と、複数の黒雪姫で身を守る雫がいた。

『たわけが。あれほど王にかかわるなと言ったはずじゃ。逃げるぞ二人とも』

 荒神王の怪異力でわかっているのは、近距離型であり攻撃を受けたものは腐るということ。

 この距離なら攻撃を受けずに逃げられる。冷や汗を流し恐怖に支配された弟の羅我と雫に、鴉は手を伸ばす。

『助けにきてくれたのですね。鴉様』

『離せ姉貴。アイツらを置いてくかよッッ!』

『お主が配下達を殺したようなものじゃぞ羅我! 王には勝てぬ。獅子神兄様以外誰にもな』


 

『無益な殺生をするなと、言ったはずじゃぞ』

 阿修羅との戦いで敗北してから、羅我は変わった。それは味わった恐怖から逃れる為にもがいているのだと、鴉は感じていた。

 今夜もまた、霊力が強い人間の家族を無駄に殺した。四人家族だ。男の子と女の子はまだ生きているが、両親はもう……。

 気絶している子供達の頭部を、羅我は鋭い爪でつかんで離さない。

『子供達を離すのじゃ』

『チッ、またお説教かよ姉貴。いい子ちゃんじゃ強くなれねぇんだよ』

『その結論がこれかや。羅我お主は間違っている。弱き者は守り、強き者に挑み喰う。それがイータの正しき道』

『うるせぇ! 姉貴達のルールを押しつけるな。うんざりなんだよッ! 俺はもっと強くなりてぇんだ。荒神王に勝つために』

 王は欲望のままに生きている。喰いたいときに喰い、空腹でなくても気まぐれで殺す。

 それが荒神王の強さだと、羅我は信じたのだ。

『今日から俺が成神を仕切る。姉貴は俺の下につけ』

『愚か者が』

『怒るなよ。ほら一人喰え。それで仲直りだ』

 羅我は男の子をつきだした。そこまで堕ちたのか羅我よ。鴉の心に宿るは怒りよりも悲しみ。

 許せない。鴉は思った。絶望を与えた荒神王がではない。圧倒的な力を見せられ恐怖で壊れた弟を救えない自分自身がだ。

『……お願い……します』

 か細い声が聞こえた。

『弟を……アルトくんを助けて』

 意識を取り戻した女の子が、鴉を見て懇願する。こんな小さな子供が泣きわめく事も無く弟を心配しているのだ。

 ――あぁ。駄目じゃ。儂はこの姉弟を見殺しに出来ない。

『ハッ! ならアルトを先に食べてやるわ』

『この大たわけがッッ!』

 ――ヤタガラス。

 それは決別の刃。弟との縁を切り裂く涙。刃先はアルトを抜け羅我の胸に深々と突き刺さる。

『マジか姉貴ぃぃ、本気で俺を殺そうと。弟よりも人間のガキを選んだのかよぉぉ。殺せ! お前達裏切り者鴉をッッ』

 家の中に羅我に賛同した配下達が集まってくる。その中に雫もいた。

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