第9話 黒衣の鴉(3)

 イオナは雫の怪異力、黒雪姫によって裏世界に引きずりこまれていた。表世界でいた教室と、景色は変わらない。

 違うのは、愛する弟と人懐こい猫の怪異がいない事だ。

「あらっ困ったわね」

 その口調には怯えもなく恐れもない。自分が今何処にいるか理解しているのにだ。困ったと言って全く恐怖に怯えていない。寧ろテーマパークに来た子供の様に、瞳をキラキラ輝かせ教室を見回している。

 教卓の上に黒い色した黒雪姫がいて、目尻を下げてこちらを見ていた。

「うふふ。恐怖のあまり気がふれたかな。あるある」

 黒雪姫は喜び笑い、ふわふわと柔らかい体を揺らす。

 なんて美味そうな綿飴なのかしらと、イオナは恍惚した表情を浮かべた。



 そんなイオナの気持ちを知らない黒雪姫もまた食欲に支配されていた。

 少女特有の柔らかい肉質。ほんの少し力を込めれば折れてしまいそうな白い首筋。重力に逆らいし乳房の下の肋骨がたまらなく食欲をそそる。

「うふふ。雫様から人を喰うなと言われてないし、いただきまーす」

 黒い雪だるまの口が、三日月を真横にした形に大きく開かれる。歯を輝かせイオナに襲いかかった。

「はぐっ!」

 ザクリッ。血の味がする。粘つく体液が喉にからみつくが、この味に違和感を感じた。

「まさかこの血はボ、ボクのぉ」

 口内から緑の血が滴り落ちている。顎下から黒い歪な形した刃が突き刺さり、頭部を貫いていた。



「やれやれだわ。貴方の敗因は、アルトに手を出した事。わたくし残酷ですわよ」

 黒い刀を握るイオナの瞳が、真紅に輝く。

「呪い使い……いや貴女様の正体はまさかぁぁぁ」

 目に見えない不可視の刃で、体はバラバラに切り刻まれ塵となり消えていく。

 ふわふわと黒い羽毛が舞い落ちる。マントを翻し、そこに立っていたのは黒衣の鴉であった。

「……アルト」

 天井を見上げ表世界を覗きこむと、断罪の刃を鎧として纏い武装化したアルトが白い黒雪姫に支配されたシロと戦っていた。

 加勢するには、まだ早い。それでは彼の為にはならない。

「十年前アルトを助け伊央那を見捨てた儂を断罪するには、まだまだ小僧の力は足りぬ。強くなれアルト、誰よりも」


「覗きとは感心しませんね。鴉様」

 アルトの戦いを見守る鴉の前に、背が高く細身の青年が声をかけて近づいてきた。身につけてる服は全て黒く、そこから覗く素肌は病的に青ざめている。

 人に化けているその姿に見覚えがあった。

「随分と美味そうな匂いを漂わせてるな。雫」

「お久しぶりです。ここにくる前、少女が声をかけてくれましてね。援交と言いましたっけ。美味しく魂を頂きましたよ」

 にいっと嬉しそうに口角をつりあげて、手入れされた綺麗な白い歯を輝かせた。

「一部始終見てました。まさか人間に化けていたとは見つからないわけだ……フフフ」

「何用じゃ。神嶋は儂の領域じゃ。去れ。今なら見逃してやる」

「いえね、あの鴉様が負けたと噂を聞きまして。ご挨拶に。それにしても貴女といい羅我様といい化けた姿が……流石は姉弟ですね」

「なぬっ?」

「アルトさんでしたっけ、あの少年」

 雫はうっとりとした表情で、全身に蛇腹を纏うアルトを見ていた。

「十年前、羅我様が貴女に邪魔されて喰えなかった男の子。実に美味しく育ちましたね」

 かつての配下からの安い挑発だ。他の者からすれば買う価値も無い。だが鴉にとってそれは、絶対的に買わねばならぬもの。

 シュッッ! クサナギで雫の顔を突き刺す。

「フフフ。怖い怖いなぁ」

 雫はそう言うものの、まばたきもせず傷一つない綺麗な顔で、無邪気に笑う。

「見切られたか」

 手を抜いてない。殺そうと本気で刺したのだが。十年前よりも腹心は腕を上げている。

「そんなにアルトさんが大事ですか?」

「小僧に手をだすというなら、今日がお主の命日となる」

「望むところです。――変異!」

 綺麗な花は変色し干からび枯れていく。雫の美しい姿は、本来の醜い異形なる姿を取り戻す。

 痩せ細る枯れ木となった肉体は黒色のロングコートに覆われ、深く被るフードから白い球体の頭部を覗かせる。白色した極細の手には身の丈よりも長い三メートル近い漆黒の鎌が握られていた。

「参りますよ。鴉様ッッ!」

 空中に舞い、鎌を一回転すると雫の体が消えた。

「ほぅ。初めて見る技じゃ」

 ――儂と同じ次元属性か。

 背後で大気の流れが、微弱ながら変化したのを感じた。

「そこか!」

 振り返りざまにクサナギを叩き込む。横一列に裂けた空間から鎌を持つ雫の上半身が飛び出ていた。

「アサシンプレイやりたいなら、まずはその殺気を隠す事じゃ」

 キンッッ! クサナギと鎌はぶつかり合い、互いの領域を浸食する。

「ほぅ。儂の一撃を弾くかや」

「フフッ、攻撃は成功しました」

 雫の左親指が持ち上がり見えないスイッチを押す。

「なぬっッッ!」

 刃に白煙があがった。走り抜けた蒼い流星が残した置き土産は鋭く尖る氷の柱。刀身は氷柱に浸食される。

「派手な技を使いおって」

「流石に刀身全て凍結は、無理でしたか。でもこれで貴女の奥義、ヤタガラスを封じました」

 流石は元腹心というところか。これでは刃を振動できず次元を斬りさけない。

 雫は笑い声をあげ、上半身出したまま空中を動きまわる。

「ちょこまかと」

 妙だ。何故姿を隠さない。あれでは的に当てて下さいと、言ってるみたいなものだ。奥義封じ以外にも目的はあるのか。何を企んでるかわからないが、強くなった雫に正直喜ぶ自分がいた。

「随分と楽しそうですね、鴉様」

「カッ。お主もな」

 懐に飛び込むと、鎌が上段から振り下ろされる。

 ――必殺、三連打。

 電光石火の一撃はタイムラグ無しで三つの攻撃を放つ。

 鎌を受け止め。刃を弾き、雫の上半身にクサナギを叩き込んだ。

「ガフッッ!」

 胸部に刃傷を負うも雫は退かない。にいぃぃ。緑に染まる口角を吊り上げ笑い、再びスイッチを押した。

「ぬっ!」

 僅かに残された刃にも蒼い流星が走り、クサナギと右腕は氷柱に呑み込まれる。

「利き腕を頂きましたよ」

「カッ。その代償、高くついたようだが」

「骨の一つや二つ、安いものですよ」

 雫は血反吐を掌で拭った。

(あの鎌、厄介じゃな)

 右腕の感覚が鈍い。間違いなく雫の怪異力、黒雪姫の仕業だ。どうやって影に飛び込んだ。戦闘中とはいえ、黒雪姫に気づかないほど耄碌はしていない。それに一定時間静止した影でないと、ダイブ出来ない筈だったが。

「カカッ。強くなったのう、雫」

「ありがたきお言葉。十年かけて生み出した奥義です。たっぷりと堪能してください」

 鎌を構え、横一線に振り抜く。

「ちぃ」

 左手一本で攻撃を防ぐには、力が足りない。右足を刀身に添え鎌を受け止め、その攻撃力を利用して流れる様にそのまま後方に跳ぶ。

 妙だ。絶好のタイミングなのに雫はスイッチを押す気配が無い。それにダイブして体を操ればいいのに、何故わざわざ危険を犯してまで凍らせる。

「まぁいい。どんなカラクリがあろうと、小僧の命を狙うものは容赦しない」

「十年前もそうでしたが、何故あの子を守るのです?」

「カッカッカッ。随分とおしゃべりになりおって。あの日、羅我に命じられるまま儂に謀反を起こしたお主らがのう。やっと思考するようになったかや」

「……あの日を境に色々と思うことがありましたからね」

 会話しながら意識を内側に集中させる。黒雪姫は体内で見つからない。しかしほんの僅かだが、ナメクジがはったような形跡を見つけた。

(成る程のう。そういうカラクリかや)

 バラバラだったピースが埋まり、一つの答えを導きだす。あとは実戦での答え合わせだが、ヤタガラスは封じられ右腕も使えない。

 ――やれやれじゃ。奥義が使えない刀と利き手じゃない左腕で、どう攻略するかのう。

 そう愚痴りながらも、命のやり取りに喜び体は震える。

(実戦で見極めるかや)

 頭上高くから鎌を振り下ろす雫と目が合う。攻撃を受け止めるものの、片手では踏ん張りが効かない。

「これなら逃げ道はありませんね」

「カカッ!」

(やはりな。コイツはあえて刀を狙っておる)

 ヤタガラスが使えない今、クサナギは脅威でなくリーチのある鎌で刀と打ち合う理由もない。空間を移動できるのだ。いくらでも戦い方はあるのに。

(それがわからないほど、愚かではなかろう)

 故に導き出した答。それは打ち合う事で、相手の動き(影)を止める。先程の攻撃では、一定時間止まらず動いたからダイブ出来なかった。

(ここまではいい。さて黒雪姫は、何処から来るのじゃ)

 刃を寝かし鎌を後方へスライドさせ力を逃がす。

「ほぅっ」

 鴉の目が細くなる。散らす火花の中から、極小の黒い塊が影に落ちていった。

「気づきましたね。貴女に小細工が何度も通じないのは、わかってました」

「限りなく縮めた黒雪姫を影に忍び込ませるか。しかしサイズに比例し体を操る力は欠け、凍らせるにも回数がいると言ったところかや」

 パチパチパチパチ。

「その通りです。流石鴉様。あとは、こうして合図を送れば……」

 ――今だ。

 一瞬の隙を見逃さない。親指が突き上げる左手に、クサナギの刃が喰い込み手首を吹き飛ばす。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ、私の左腕がぁぁ」

「油断大敵じゃぞ、雫」

「凍らせなさいッッ黒雪姫!」

「無駄じゃ。黒雪姫が影から進入したと儂は認識した。認識した怪異には触れられる。どんなに小さくてものう」

「まさか……」

「腹の足しにもならぬ」

 ゆらりと体外に小量の灰が排出され舞った。

「ぐうぅぅ、これで片腕同士ハンデ無し。これからが真の勝負です鴉様!」

「カッカッカッカッ。片腕? 儂の右腕はここにある」

 クサナギを鞘に収め、鴉が左手で握っていたものそれは……。

「私の左手首」

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