第8話 黒衣の鴉(2)
伸ばした手が掴むのは絶望。アルトの見てる前でイオナが地獄に落ちていく。
呪いの影響で怪異と同じ体質になっていても彼女に戦う術は無し。待ち構えるは魑魅魍魎。人喰い鬼が闊歩する怪異の巣窟、裏世界。
「うわぁぁぁぁッッ!」
嫌だ。これは夢だ。信じない。イオナしかいないのだ。世界中で只一人、アルトと同じ痛みを共有できるのは。
敵の前で、頭を抱え膝から崩れ落ちていく。それがどんなに危険な事か分かっている。それでも悲しみに満ちた心はもう動けない。
いらない。イオナのいない世界なんて。
――ギチギチギチギチ。
ゾクリ。アルトの魂に何かが触れ鳴いた。それはドロドロしたコールタールで出来た薔薇の蔓。
怒り。恨み。憎しみ。悲しみ。負の感情で蒔かれた呪いの種が精神を汚染し黒く塗りつぶそうとする。
魂に薔薇の蔓が絡み棘が憑き刺さる。この薔薇は憑依型の怪異なのか。アルトの肉体を欲している。
もういい。疲れた。抵抗する気力もない。これ以上無理して生きていて何になる。わずか十六年でと大人は笑うかも知れないが、なら両親と姉を惨殺されたことがあるのか。同じ目にあっても貴様らは笑えるか試してやろうかお花畑の人間共と、アルトの中の闇が囁く。
「諦めるにゃッ!」
「し、シ……ロ」
「落ち着くなり。イオナは怪異を認識し、裏世界へ引きずり込まれたにゃ。わが輩が今すぐ助けにいくなりよ」
「何故だ。何故そこまで君がする?」
「理由いるか? ほんとお前ら人間は面倒くさいにゃ。わが輩も家族を失う痛みを知ってるからなり」
「!?」
そうだ。シロもクロを羅我に殺されたのだ。同じ痕を持つ者が、こんな身近にいたではないか。
「うん。そうだったね。シロ」
アルトはシロでシロはアルトだ。自分が自分を救うのに理由なんていらない。
アルトは再び仮面を被り涙を拭う。そこにはもう泣き虫はいなかった。
――ギチギチギチギチ。
耳元で寂しそうに薔薇の蔓は泣いた。心を救えず呪いの種は巣くうのを諦め枯れていく。魂を浸食していたコールタールの塊は砕けた。
「うふふ、裏世界に行かせないよぉー」
雪だるまは机の影から移動すると、シロの影に飛び込む。
「にゃあぁぁんッッ」
びくんびくんと、シロは激しく痙攣を起こし猫耳少女の姿に変わる。
「……こいつの体は奪ったよぉ。凄いでしょボクの力さ。うふふふ。」
顔をあげたシロの表情に、いつもの愛くるしさは無い。瞳を金色に不気味に輝かせ、裂けた口角を耳までつり上げ邪悪に笑う。
これが雫の怪異力、黒雪姫であった。黒雪姫は対象の影から取り憑き体を奪う能力なのだ。
「なら力づくで、裏世界に連れていってもらおうか悪異ッッ! 断罪の刃ッッ!」
蛇腹を躊躇なく叩きつける。体は奪われてもそのステータスに変化は無く、怪異猫特有の素早さで攻撃をかわされた。すれ違いざまシロの瞳は黄金に輝き、針が突き刺さる刺激を舌先に感じる。
これはシロの怪異力、スリーピング・キャットだ。
「うげぇぇぇ」
舌から砂が溢れだし一気に気管まで埋まりだす。黒雪姫はとりついた相手の怪異力を使えるのだ。
このままだと窒息する。蛇腹で舌の先端を切断し吐き出した。
「はぁはぁはぁ」
恐ろしい。これが本来の使い方なのだろう。前回の戦いでシロが本気なら、アルトは生きていない。
「うふふ、迷いもなく舌を斬ったかぁー。凄いね、羅我様の喰い残し」
「!」
羅我。こいつは配下か。ついに羅我に一番近づけた。
にいっ。血まみれの口内で歯を剥き出しにして、アルトは笑みを見せた。
「……武装龍牙」
しゅるるるると蛇腹の一部が欠損した舌先に埋め込まれ、残りは外皮装甲となり体を纏う。
「どうやら意地でも、君に勝たなければならないようだね。シロ」
アルトは重心を低く下げ、両腕を大きく広げた。
あの目だ。あの黄金の瞳が輝くとスリーピングキャットは発動する。そして睨まれた部位からチリチリと痛みだし、砂を吐き出す。
何秒だとアルトは思った。輝く。痛み。砂。この三つのプロセスを何秒で処理して、発動するのだろうか。
そこに反撃のチャンスはある。
蛇腹を幾重にも重ね合わせ、蛹を連想させる姿へ形状を変えた。防御に特化したこの装甲で、タイミングを覚えるしかない。
「うふッ!」
黒雪姫はシロの肉体を自分の思うがまま器用に操り、綺麗な脚線美を惜しげもなく晒す右足から蹴りを放った。
「計算外だ」
怪異力を使う予想に反して、まさかの肉弾戦。よけることは叶わず攻撃は当たるが厚みを増した蛇腹装甲が防ぐ。間髪をいれず黄金の瞳が輝く。フェイスガードの左目部分が窪み、そこから砂は一気に溢れだす。
「うぐわぁぁぁ」
装甲に守られている為目玉に異常は無いが、バイザーごしで見る大量に溢れていく砂を見るのは、正直気持ちいいものじゃない。
それでも理解した。体感で三秒。反撃するには充分過ぎる時間だ。発動前に狩る。背中の蛇腹を八又に展開して、身構えた。
「その諦めない目、気に入らないよ」
黄金色の輝きが、左足の甲を刺激する。
「ウラッ!」
甲がへこみ砂が沸き上がる瞬間を狙い、蛇腹で払いのけた。床に散らばった砂はそれ以上増える事もなく、砂煙をあげて沈黙する。
「すごーいねぇ呪い使い」
シロの体を操り、教室の壁や天井を四方八方に走り出す。
「でもこの場所では怪異猫の方が有利だよ。物陰に潜み攻撃する蛇と違ってねぇ」
流石羅我の配下だ。特性を理解している。空き教室では潜む場所も死角も限られていた。残像が目の前を横切る。
「――右か」
「残念上だよ」
天井に鉤爪でぶら下がるシロと目があった。左肩がへこみ砂が溢れだす。
「今回は間に合わなかったねぇ。うふふふ」
口角をつりあげ、唾液交じりの牙を見せて嬉しそうに笑った。
「うぐぅッッ」
濡れた毛髪の様に砂はまとわりつき離れない。量が増え続け重量が増していく。このままでは体を支えきれず潰れてしまう。
「ぐっ!」
左肩装甲の一部を切り離す。
「考えたね。その為に蛇腹を重ねたのか」
攻撃を弾き攻撃を受ける。成功と失敗を繰り返し砂は舞う。その度に分厚かった装甲は薄くなり、今や体を守る為の最低限の厚みしかなかった。床周辺には、砂交じりの装甲達が落ちている。
「ここまでだね。鴉様に勝った呪い使い」
「僕が鴉に? その冗談笑えない」
「うふふ、まだまだ余裕があるみたいだねー」
アルトは窓際まで追い込まれていた。戦闘で削られた集中力はもはや機能しておらず、凡ミスが続く。後半は攻撃を受け続け、体力も激しく消耗している。
外気が吹き込んでくる。戦闘で熱くなった体を冷やし心地いい。背後にはガラスが割れた窓があった。シロが飛び込んた時に割れたものだ。
「あれあれあれ。まさかそこから逃げ出すとか。そんな事したらこの学校にいる者、全て殺しちゃうよ。うふふふふ」
「僕には優先順位がある。その為なら犠牲者が出てもかまわない」
「さっきから、この教室ドスドス煩いね。ガラスの割れた音もしたし」
扉の外から生徒達の声が聞こえた。
「うふふふ待っていたよ、コイツらを。その信念揺るがないか、試してやる」
シロは扉の引手に手をかけた。
「クスッ。そうだ。それでいい。待っていたのは、僕も一緒さ」
「ええっこれはッッ」
扉は開かない様にガッツリと、蛇腹で固定されていた。
「これで、鍵をかけたつもりかぁ」
シロが扉を睨みつけた瞬間、ぐさりと肉を突き抜ける音が聞こえた。
「ぎゃぁぁぁあ」
「室内から悲鳴聞こえたよ。誰か、先生呼んできて!」
「一体何がぁッッ」
シロの背中に、蛇腹の欠片が深々と突き刺さっていた。
「何処から飛ばしたッッ」
攻撃を仕掛けたのは理解できたのだろう。緑の血反吐を吐き散らしながら、アルトに襲いかかる。
「扉でスリーピングキャットを使用した今、君はそうするしかできない。僕の体感で三秒。その間、力を使えない」
「!」
シロの中の黒雪姫は見た。床に散らばる装甲達が動きだし、蛇腹に戻っていくのを。
「うっぎゃぁぁぁ、最初からこれが狙いだったかぁ」
鋸刃を生やした蛇の顎が、両足を噛み砕く。
「痛てぇぇぇこいつ、シロの体を攻撃しやがったぁ」
「やはり痛覚も、君が引き受けるんだね」
思った通りだ。その結果、相手の体を自由に操れるのだ。
「良かった。これで遠慮なく狩れるよ」
嘘である。冷酷の仮面を被り演じてるだけ。
(シロごめんね。もう少し我慢して)
「まってまって、シロは仲間だよ。こいつは人間大好きなんだぞ」
「先生ここです! 中から鍵かかってて」
アルトの注意が扉にそれた瞬間、シロの影から雪だるまは飛び出す。
「羅我様に報告の義務が、ボクにはある。死んでたまるか」
捨て台詞を残し、身近な影にダイブすると黒雪姫は逃走した。
意外だった。てっきりアルトの影に飛び込むと思い、蛇腹を潜ませていたのだが。
「痛いなりぃぃ、ばかアルトぉぉ」
「ごめんシロ。見た目は酷いけど急所外してるから、舐めて治して」
羅我の情報を聞き出せなかったが、仕方がない。
猫の姿に戻ったシロを抱きあげ、窓からその場を後にした。
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