第7話 黒衣の鴉(1)

 *

 アルトが渾身の一撃で鴉にダメージを追わせてから一週間が経過した。

 呪い使いとはいえ只の人間に、怪異最強クラスであるイーターが敗れた。そんな噂話の種は蒔かれ裏世界で一気に花開く。

 勿論蒔いたのは二人の戦いを間近で見た猫又のシロであった。

 彼女には目的があった。怪異なら誰でも盛りあがる話題に鴉が敗北したとほんの少し嘘を混ぜ、猫又のコミュニティで語ったのだ。

 全ては鴉の弟である羅我を帯びき寄せる為に。


 にゃんにゃんにゃん。シロは肉球で気配を殺して速やかに移動している。噂話は想像以上に、裏世界を刺激した様だ。

 真偽を知りたいと顔馴染みの情報屋怪異ナメクジが、コミュニティを通じて連絡してきたのだ。

 東関東最強と呼ばれる三兄弟の怪異がいる。その一人、長女の鴉が人間に敗れたと聞けば十年間均衡を保っていたパワーバランスは崩れだす。


 そろそろか。もう少しで待ち合わせ場所の成神につく。

「ニャッ!?」

 ピリピリと体に電気が走り、白銀の毛が一気に逆立つ。これは殺気だ。臆病だからわかる事もある。アンテナを高く張り、誰よりも早く感じとれる。

 猫又特化のスキルで誰にも気づかれず静かに近づく。

 待ち合わせ場所には見知った顔のナメクジがいた。ギョロリとした特徴的な目玉は忙しなく動き、来客を待っている。彼が情報屋の怪異であった。

 死角となる家の屋根の上に身を潜め、シロは気配を消したまま近づかない。未だ逆立つ毛が危険を知らせている。この皮膚をナイフで切り裂かれたと感じてしまう程に冷たい殺気は、情報屋のものじゃない。


「貴方が情報屋ですか」


 男の声が聞こえた。そう言って姿を現したのは、色白い肌をした青年であった。緩くウェーブした黒い髪は肩までかかり同じ色した服は、細身だが引き締まった体にフィットしている。

(こいつ怪異にゃ。)

 プンプンと肉と血の臭いを纏わせている。隠そうとしても隠しきれない殺気がこの男から放たれていた。

「あ、アンタが成神を餌場として仕切る羅我さんかい」

 それは情報屋も感じているのか。震えた声から明らかな怯えを感じる。

「いえ私はあのお方の側近、黒雪雫です」

「上手く人間に化けてる様で」

「人喰いイーターにとってこの姿はとても便利でしてね。手を伸ばせは直ぐにでも、食事にありつける」

(ナメクジめ。何を企んでるにゃ)

「鴉様が敗れたと聞きましたが。本当ですか」

「それは直ぐわかる。お、俺は見逃してくれ」

「答えなさい!」

「し、真偽はわからない。ここに提供者を呼び出したから。奴とは長い付き合いだ。へへっ。お、俺が聞き出すから……だから、なっ頼むよ」

 ナメクジは自らが助かる為、シロを生贄として悪異に捧げるつもりなのだ。

「ほぅ。貴方と情報提供者はそれだけ仲いいと」

「そ、そうだ仲間だ。俺が聞けば喜んで教えてくれる」

「そうですか。貴方は仲間を裏切るクズなんですね。鴉様のようにッ!」

 その選択に黒雪雫と名乗った悪異は激怒する。導火線の先端は十年前から伸びていて、今も火種が消えることは無い。

「ひ、ひぃぃぃ」

「能力解放。――黒雪姫」

 発動する男の怪異力は、ナメクジの体を瞬時に凍りつかせ氷山を築く。

(な、なにが起きたにゃ)

 氷を操る異能なのは理解したが、どんな技を使ったのか見えなかった。あそこまでの力だ。必殺技クラスと言ってもいい。その分派手で目立つ筈。

 シロは幻を見せられたか。いや氷の墓標に閉じ込められたナメクジはリアル。冷たい殺気に背筋は震え、恐怖で吹き出す汗が毛先から流れ落ちる。

「さて何者か知りませんが、盗み聞きとは感心しませんね」

「な、なぜバレたなり」

「うふふうふふ」

 シロの足元で米粒サイズの雪ダルマ数体が不気味に笑っていた。いつの間に近づいたのか。全く気づかなかった。気配を完全に消す等ありえない。いきなり足元に存在していたのだ。

「能力解放――スリーピングキャット!」

 小さいため取りこぼしはあるが、砂の重みで雪ダルマ達を潰す。そのサイズに比例してあっけなく脆い。だが逆に不気味だ。こいつらの底が見えない。

 臆病者しか生き残れない。白銀の体毛をハリネズミの如く逆立て、シロは一目散に走りだす。

「逃げられませんよ。私の黒雪姫からね」

 パチンッ。指を鳴らすと氷山に無数の亀裂が生じ、閉じ込められていたナメクジと共にバラバラと音を鳴らし砕け落ちていく。

「追いなさい。子供達よ」

 砕けた氷と砂の中から黒と白の色違いの一メートル程ある雪ダルマ二体が飛び出し、主の命に従い動き出す。


 *

 ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 昼休み。施錠された空き教室から淫靡な音がする。そこにいるのは腹を空かせたイオナと食事を与えてるアルトの姿であった。

「あぁん、美味しいわぁぁ」

 ぷはぁぁと、アルトの人差し指から血を啜るイオナは頬に手を添えて喜ぶ。普段大人の女性を演じているイオナも、この時だけは年相応の少女に戻る。

 美味しく食事する姉を見てアルトも心の底から嬉しく感じた。世間の恋人達もきっとこんな気持ちなのだろう。大好きな人と一緒にいて同じ時間を共有し仲を深めていくのだ。

 アルトの肉、体液を欲するイオナと外食は流石に無理だが、世話になっている叔母が留守の時や今のこの状況の様に二人でいる時は、誰にも気を使わずにこうして食事を楽しめる。

「姉さん、口汚れてるよ」

「あらっ大変」

 拭き取ろとするイオナの手に触れ指を絡ませ、唇を重ねた。

「くすっくすっ。デザートかしら随分大きいわね」

 頬を染めうっとりとした表情で、イオナはアルトを押し倒す。白い指先が熱を帯びるアルトの下腹部へ伸びていく。

 義理とはいえ姉弟。だがそんなものは関係ない。例え血の繋がりがあっても、アルトはイオナを異性として一人の女性として愛していた。

「愛してるわ、アルト」

「うん。僕もだよイオナ」

「助けてにゃぁぁごしゅじーん」

 バリィィン。外側に面する窓ガラスが割れた。大量の砂を引き連れて、シロはやってくる。

「し、シロ。どうしたの」

「にゃっ。ご主人、その女がイオナなりか」

「あら、あなたがシロね。アルトから聞いてるわ」

 乱れた着衣を気にせずに、イオナは立ち上がる。表情が険しい。美しい顔に宿るは鬼。無理もない。十年前の事がある。いくらアルトからシロは人に味方する怪異で悪異じゃないと聞いていても、気持ちは複雑。そうですかと分かり合えるものではない。人とはそういう生き物なのだ。

「呪いかにゃ。可哀相に。すまんなり、同じ怪異として謝るにゃ。わが輩の血も呑むか」

 耳とヒゲがしょんぼりうな垂れる。

 アルトは知っている。シロはそんな生き物が大好きな事を。その気持ちがイオナにも伝わり、鬼は消え表情が和らぐ。

「ありがとう。でもわたくしの欲求は、全てアルトが満たしてくれるわ」

「うふふ追いついた」

 甲高い声が教室内に響く。アルト達以外にも誰かいるのか。

 声の主を探すと隅に積み重なる机の影の中から、白い雪ダルマが見ていた。

「しまったにゃ。逃げきったと思ったのに」

「逃げるのよ、二人とも」

「ウルサイな、お前」

 イオナの影から黒い雪ダルマが現れ、足を掴み裏世界に引きずり込む。

「うふふ、全員殺す。それが主、雫様の命令」

「うわぁぁぁぁ姉さんッッ!」


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