異世界行ってもニートはノート

雨川 流

第1話 ニート、死す!①

 

 深夜二時。草木も眠る丑三つ時。そんな、普通の社会人ならとっくに寝ているであろう時間にも関わらず、俺は今日もこうして何とはなしに、ただ起きていた。

 暗闇の自室の中、だらしなく開かれた水晶体に映し出されるのはPCモニターからの光。その画面の中では何かしらの映像が目まぐるしく移り変わっていく。

 そうだ、俺は普段通りネトゲをやっていたんだった。

 呆けていたためか、一瞬飛びかけていた意識が慌てたように覚醒へと戻る。

 平日の真夜中だというのに、目的もなくただネトゲをして怠惰に時間を浪費していた最中だったことを思い出した。

 明日の仕事を気にする必要もない。誰かと待ち合わせがあるわけでもない。朝日が昇ればまた一日、家から一歩も出ない変わり映えのない日常がやってくるだけなのだから。

 

 ご機嫌よう。ニートです。皆様お察しの通り、社会の役立たず、ニートです。働いていません。外にはまぁ、出ようと思えば出られます。

 他人とは、世間話程度であれば会話もできるので辛うじて引きこもりではない。と思いたい。彼女は当然いませんが。

 

 三十二歳という、もう人生の修正がおよそ効かなくなってくる年でありながら、働きもせずこうして夜な夜なネトゲで人生そのものを溶かしている。

 けれどそんな許されざる背徳的な時間の過ごし方も一年、二年と過ぎ去るうちに罪悪感などまるで無くなってしまっていた。

 

 「ふあぁぁぁ、少し休憩だな。」

 リクライニング付きのゲーミングチェアにもたれかかると、しっとりした素材のヘッドレストが疲れた頭部を優しく受け止めてくれる。かつて五年ほど勤続したために一応出された、なけなしの退職金で買ったそれなりにお高いお気に入りのチェアだ。


 「あ〜怠いなぁ。流石に肩が凝った。この歳になると夜中に連続してゲームをやり続けることさえきついぜ。」

 中高生くらいの頃は夜通しゲームをやり続けることなんてなんら苦ではなかったはずなのに、いつの間にかこうして休憩を挟みながらでないとゲームもできなくなっていることを自覚すると、自分が緩やかに老いてきたことを否応なく肌身で感じさせられた。

 社会人として働くことをやめて、こうして半分自室に籠もったままのような生活を続けてもう何年が経つんだったっけか。

 毎日が変わり映えのない日々の繰り返しではっきりと思い出せいない。

 いつの間にか自分のことでさえ考えることもやめるようになって、ただこうして人生を浪費するだけの生活を起こるようになっていた。

 思考しない。後悔しない。悲壮しない。ただ無で有り続ける日々。日が昇ったら寝て、差し込む日差しが眩しくて寝ていられなくなったら起きる。そんな無価値な日々。


……


 「俺...いつになったら死ねるんだろうな。」

 ふと、そんな感情が脳裏をよぎる。なんというか、別に死にたいわけじゃない。希死念慮を抱き続けているというより、ただ今更生きることに意味が見いだせないのだ。

 死にたいわけじゃなくとも、特別生きていたいとも思わない。きっと明日も明後日も、どうせ力ない目でただなんとなくネトゲをするだけなのだから。

 寝て、起きて、親が作った飯を食って、適当に外ぶらついて、コンビニ行って、帰ってネトゲをする。また飯を食ってネトゲをして夜が明けたら寝る。ただそれだけの生活。そんなものに意味を見い出せって方がどうかしてる。


 「やめやめ。風呂でも入るか。」

 思考を停止して余計なことは何も考えないようにしてきたが、夜中というのは何故か時々こうして無意識的に負の思考に陥ってしまう。

 そしてそれは一度考え始めるとどんどんエスカレートし、自己嫌悪の感情をより強くする。そしていつの間にか俺に僅かばかり残された自尊心さえ犯されていくのだ。

 脳内から沈んだ感情を振り払うように頭を左右に振る。そしてゆっくり自室のドアを開け、廊下へ出るとまずリビングへと向かった。親が起きていないかどうかを確認するためだ。

 こんな情けない息子に対して、両親がなにか小言じみたことを言ってくることはない。いや、正確にはもう無くなってしまった。しかしそれが逆に今の俺にとってはバツが悪い。


 「やべ、だいぶさみぃぞ...」

 二月の冷気が身体を蝕む。暖房のついていない廊下に一歩踏み出ると、刹那強烈な寒さに襲われた。真冬の、それも深夜の冷気はあっという間に暖房で火照った身体から根こそぎ熱を奪っていった。

 スマホのライトだけを頼りに、まるで空き巣のように音を立てずにリビングまで歩く。当然ながら電気は全て消えていた。どうやら既に寝室で寝ているらしい。それを確認してなぜだか僅かな安堵感を得ると、今度こそ浴室へと向かった。三日振りの風呂だ。


 「しかし風呂ってなんでこんな面倒なんだろうな。」

 風呂が嫌いというわけではないのだが、どうにも面倒だと思ってしまう時点で俺は色々と終わってんだろうな。

 しかもうちは死んだじいちゃんが若かりし頃に建てた築60年を越えるボロ家だ。ところどころ床は軋んでいるし、窓の隙間から虫は入りたい放題だし、何よりこの時期は脱衣所がシベリアなのではなかろうかと思えるほど寒い。まあシベリアなんて一度も行ったことないんだけど。

 さすがにこれから湯を沸かすのは給湯器の音が近所迷惑なのと、何より待っている間この寒さを真っ裸で耐えるのはあまりに現実的でないので辞めた。適当にシャワーだけで済ませることにして眼鏡を外し服を脱ぐと、なんとなく洗面所の鏡に映った自分と目が合った。


 「なんか...老けたな...」

 三日も経つとおっさんの顔は随分と脂ぎっていた。髭は放置されたグラウンドの芝生のようで、乱雑に生え散らかしていたし、目の下にはデイゲームで野球選手が目の下につける黒いアレのような、どす黒いクマがしっかりと刻まれていた。ちなみにアレの正式名称はわからない。

 は?誰だよこの小汚いおっさんは...あぁ俺か。そんな短い自問自答をすると、じわりと目尻に涙が浮かぶ。

 やだなーおっさん。別に若く居たいとか、老いに抗いたいわけじゃないが、自分がおっさんになっていくのを感じて清々しい気分になる奴はいないだろ。

 生まれ変わったら北欧生まれの美少女にでもなりたいもんだ。そんで、一体あとどれだけ徳を積めば来世で北欧美少女になれるわけ?もし死んだ時に人生で行った善行と悪行を査定されるようなことがあるとしたら、俺は間違いなく印象悪いだろうな。というか現在進行形で善行とは程遠い生き方をしている。


 「現世も来世も詰んでるじゃねぇか...」

 そんなくだらないことを一人呟きながら、疾く疾く身体を洗ってさっさと風呂から出たその時だった。


 「うっ?!」

 風呂場のドアを開けた途端、胸を貫かれ、そのまま心臓を握りつぶされたような痛みが駆け巡ってきた。


 「??!っ、はっ」

 呼吸ができない。心臓だけではない。肺まで握りつぶされているような感覚に襲われ、その後全身を鈍い痛みに包まれた。おいおい冗談だろ何だこれ?!身体が...動かねぇ!

 立っていることすらままならず、膝が折れるとその場に崩れ落ちる。段々と遠のいていく意識の中、何かの鼓動が聞こえた。機械のように規則正しい一定のリズムから徐々に激しく高鳴っていく。あれ?これってもしかして...俺の心臓の音か?!


 「俺...もしかして、し、しn、しぬ、のか?」

 視界がぼやける。駄目だ、もうこうして床に這いつくばっていることすら怠惰だ。徐々に薄れゆく視界、停止していく思考、さっきまで聞こえていた心臓の音も徐々に聞こえなくなってきた。とにかくだるい。息も吸えているのかどうか自分でもわからない。






 ― 死にたくねぇな



 消えゆく意識の中で、願ったのは生への渇望だった。死にたくない。生きたい。

 しかしそんな願望とは裏腹に、無情なゲームオーバーのシーンのように目の前が真っ暗になると、俺の意識はそこで途絶えた。

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