第32話 「まだ、花は枯れていない」

 ベッドの上で姿勢を正した私は、ヴィンセント様に向かって深く頭を下げた。


「どうした。ヴェルヘルミーナ?」

「ヴィンセント様のおかげで、ケリーアデルを捕らえることが出来ました。ありがとうございます」

「それは、君が能力で成したものだろう」

「その能力も、ヴィンセント様のおかげでアーリック族に会えたため、知ることが出来ました。そうでなければ、私は気付くことなどなかったでしょう」

「結婚の条件を守っただけだ。そう畏まることはない」

「私、これからはヴィンセント様の妻として、ロックハートの為に──」


 大きな手が優しく頭を撫でている感覚に、じわりと涙が込み上げてきた。

 そう。私はこの人に嫁いだのだった。もう、レドモンドの娘ではない。


「これからは、ヴェルヘルミーナ・ロックハートとして、セドリックが成人するまで後見人として領地を見守ればいい」

「……え?」

「リリアードの女主人になり、さらにレドモンドの再興を続けるのは骨が折れるだろうが、君には頼りになる侍女もいる」

「ヴェルヘルミーナ様、私も、両親もお嬢様とレドモンド家が大好きです。セドリック様の成人まで、しっかりとお守りいたします」


 すぐ横にダリアの気配を感じ、そっと顔を上げると、湯気をくゆらせるカップを銀のトレイに載せた彼女が立っていた。

 渡されたティーカップを受け取ると、指先にじんわりと熱が広がった。柔らかなハーブの香りが鼻腔をくすぐり、胸の奥に広がっていく。


「私……これからも、レドモンド家を助けて良いのですか?」

「何を言い出すんだ。私は君と結婚したが、ロックハート家はレドモンド家と繋がったんだ。簡単に衰退されたら困る。あの家を守ってきたのは君だろう」


 振り返ると、ヴィンセント様は琥珀色の瞳に優しさを浮かべていた。

 嫁いだら私の人生は終わるような気持ちでいた。セドリックのためにレドモンド家を守る以外、私には何もないから。


「今まで通り、レドモンド家を守ることが、延いてはロックハート……いや、国のためになるだろう」

「それは、どういう意味ですか?」

「まだ、花は枯れていない」

「……え?」


 静かに呟いたヴィンセント様は、ちらりとセドリックを見た。

 花って、もしかしてアーリック族で聞いた闇の花のことかしら。それが枯れていないということはつまり……


「……セドリック。悪いが少し席を外してもらえないか」

「分かりました。姉様、お祖母様も心配していました。お話が終わりましたら、顔を見せてあげてください」

「うん。後で行くわ。お祖母様に、そう伝えておいてくれるかしら」


 頷いたセドリックがダリアと共に部屋を出ていくと、ヴィンセント様は自らの手でお茶をカップに注いだ。

 その姿を見ながら、私は少し冷めたお茶を口に含んだ。


「ヴェルヘルミーナ……残念な知らせだ。ケリーアデルはではなかった」


 唐突な言葉に、私は動きを止めた。


「それは、本人が否定しているということですか?」

「いや……ケリーアデルは、死んだ」

「……死んだ?」

「あぁ。衛兵の剣を奪って自害したそうだ。罪から逃れられないと思い、潔く死を選んだのだろう」


 ケリーアデルが死んだ。

 にわかには信じられない言葉に、私の思考は真っ白になった。

 彼女は、ペンロド公爵様に助けを乞うていたわ。夫人にも、必死に訴えていた。あんな姿を晒した人が、そんな簡単に死ぬだろうか。

 そもそも、幻惑の魔女なら、その能力を使って逃げ出すことだって簡単でしょう。

 私には、ケリーアデルが自ら死を選ぶなんて信じられなかった。

 

「すぐに、ウーラのもとへが、闇の花は枯れていないと言っていた」

「……幻惑の能力を持った者は、まだ生きている、ということですね」

「あぁ。ケリーアデルのやっていたことが、幻惑の魔女の手口とあまりにも似ていたから、てっきりそうだと思っていたが」


 深いため息をついたヴィンセント様は、カップのお茶を飲み干すとベッドに腰かけてきた。


「私のように能力を発現できずにいることは考えられませんか?」

「だったら、見つけ出して保護しなければならない。能力を謝って使わないようにな」

「……保護?」

「あぁ。第五魔術師団は、魔獣討伐の他にも、能力を得たものの保護をしている」


 私の手から、空になったカップが取り上げられ、ベッド脇のテーブルに置かれた。


「能力は人に現れるとも限らないから、見つけ出すのも一苦労なんだが……幻惑の能力は厄介だからな」

「……あの、でしたら……私が……」


 ヴィンセント様の妻になったのも、もしかして保護するため、だったのだろうか。そう考えたとたん、心に冷たい風が吹いた。

 

「ヴェルヘルミーナ?」

「いいえ、何でもありません……」

「心配はいらない。師団でも調べさせている。難航しているが、必ず見つけ出す」


 ヴィンセント様の大きな手が私を包み込んだ。

 規則正しい心音が耳に届いてくる。それを聞きながら、私はそっと瞳を閉じた。

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