第30話 「衛兵! ケリーアデルを捕らえよ!」
手紙に押されるのは、我がレドモンド家の印章に見えた。だけど、違うの。
「封を開けようとしたとき、貴女はお父様から預かった証拠だからと、封蝋が砕けないように開けるよう進言されたそうですね」
「当然でしょ! それがなかったら、中身が夫の書いたものと認めないって言われかねないわ。亡くなる前、あの人は字を書くのもやっとだったのだから!」
「……お父様に無理やり、書かせたのですね」
「違うわ。あの人は自分の意思で書いたのよ!」
こんな、
私の頬を、冷たい雫が落ちた。
「よく書かせたものだ。しかし、それがお前のしでかした過ちだ」
「何よ……私は夫の遺志を守ってきただけ──」
「もしも、この封蝋が砕けるように開けられていたなら、気付かなかっただろう」
そう、当時は誰も気づかなかった。
私はまだ幼かったから見せてもらえなかったし、お姉様やダリアのお父様ですら気付けなかった。それくらい丁寧に作られた印章だわ。
「これが偽造されたものだとはな」
「……偽造……そ、そんなこと、私は……知らない! 知らないわ!」
「当時、受理した役人の目を誤魔化せるほど、精巧に作ったものだが、本物と並べれば一目瞭然だろう」
「ほん、もの? 本物って……」
「本当によく似ていますね。でも、紋章を飾るバラの葉が少し違うんですよ」
これを作らされた職人が誰かは分からない。おそらく、脅されて作られたのだろう。その方が、わざと微妙な違いを作ってくれたのかもしれない。偽の印章を作ることへのせめてもの罪滅ぼしだったのだろうか。
よく見なければ気づきもしない、小さな切れ込みのあるバラの葉から、懺悔の声が聞こえてくるようだ。
「バラ? バラの葉……だって、私は
困惑した顔でぶつぶつと言い出したケリーアデルが、ゆらりと体を揺らした。
警戒したヴィンセント様が、咄嗟に私の前に一歩出たが、彼女はこちらを見ていない。そのまま体を揺らして歩を進めたかと思えば、突然、崩れようにペンロド公爵様の足に
その時、ケリーアデルの全身から、ゆらりと黒い陽炎が立ち上がったように見え、私は息を飲んだ。それは禍々しく、侯爵の足へと絡みついていく。
あれは何なのかしら?
「公爵様! 信じてください。私は娘を折檻などしておりません。印章の偽造など、身に覚えのないことばかりでございます!」
「だ、だが、鏡に映っておった。そ、それに
気弱そうにおろおろとするペンロド公爵様は、夫人を振り返って助けを求めるようなそぶりを見せた。
「全て、愚かで無能な娘の妄言。それにロックハート家の皆様が騙されただけのこと! それに……私は、夫を愛しておりました!」
「嘘よ! 私は知っています。父がいない時に、貴女が勝手にレドモンドの家財を売り払い、散財してきた。その度に、私に罪を擦り付けてきたことを。……あなたが愛したのはお父様ではない。レドモンドの財産よ!」
私の叫びに応えるように鏡が輝く。
絵画に陶器の飾り、彫刻、様々な美術品を売り払うケリーアデルの姿が、鏡に映し出される。それを見た瞬間、ペンロド夫人の表情が険しくなった。
さらに映し出されたのは、父が私を怒鳴りつけて「美術品に触れるなと言っただろう!」と説教する姿だ。
そう。私が美術品を壊した、汚したから破棄せざるを得なかったと、ケリーアデルは嘘を並べ続けて、家財を少しずつ売却していたのだ。その中には、亡き母の宝石もあったわ。
「嘘です。こんな……これは、私に化けた誰かでございます。偽りです!」
しなだれて、ふくよかな胸を揺らしたケリーアデルは、まるで男を誘うような眼差しをペンロド公爵様へと向けた。
その瞳に飲まれるように、公爵様は押し黙って動かなくなる。
さっきまで、おろおろと夫人を振り返って助けを求めようとしていたのに、どういうことだろう。まるで、操り人形になったように、ぼんやりとした目をケリーアデルに向けていた。
ケリーアデルの赤い唇が弧を描く。
よく見れば、
「信じてください。私は、ずっと、ずっと
「お黙りなさい、ケリーアデル!」
「……ドロセア様?」
「誰が、私の夫に触れて良いと言いましたか?」
「えっ……そ、それは……」
「しかも、卑しい目で夫を見ていましたね。そのようにして、亡きレドモンド卿にも取り入ったということですか」
「ち、違います! 私はドロセア様の──」
ケリーアデルが何かを言いかけた時、ペンロド公爵夫人──ドロセア様の扇子が、彼女の頬を殴りつけた。
「こうして、ヴェルヘルミーナ嬢を躾けたのですね。では、貴女の躾もそうすることにしましょう」
「ドロセア様! 話を聞いてください。私は──!」
「お黙りなさい!」
ドロセア様の一声で、ケリーアデルは黙った。まるで、声を失ったように。その直後だ。フォスター公爵様が声を上げた。
「衛兵! ケリーアデルを捕らえよ!」
こうして継母ケリーアデルは、あっけなく捕らえられた。
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