第18話 バラの庭園に現れる魔法陣

 アーリック一族は、王国とは異なる秩序の中で生きている。当然だが、爵位に興味など持っていない。それでも、ロックハート家に養子として預けることを山のおさが許したのは、長年の交易を結んできたおかげだった。

 そう話しながら、ローゼマリア様は執務室を後にして、静かな廊下を進んでいく。

 

「……つまり、ヴィンセント様を跡継ぎに選ばなくても、異を唱える家門はない、ということですね?」

「ふふふっ、ヴェルヘルミーナは本当に賢いわね」

 

 実に楽しそうに仰られるローゼマリア様は、私を振り返った。

 

「ヴェルヘルミーナ」

「はい、ローゼマリア様」

「ヴィンセントが私の後を継ぐことはありません。それでもこの結婚は、あなたにとって、とても魅力的ですよ」

「え……?」

「ロックハート家は、有能な魔術師を輩出してきただけでなく、交易によって財を成してきました」

「……存じ上げています」

「本邸のあるシェルオーブは、アデルハイム王国の交易の要──」


 春と夏、秋に行われるシェルオーブの定期市には、国内外から商人だけでなく、両替商や高利貸し、商売や金融に関わる人がこぞって集まる。その活気は、王国随一とさえ云われている。


「ペンロド公爵領のトリメインにも引けを取らないでしょう」


 その名を聞いた時、心臓が跳ねあがった。

 この方は、どこまで私のことを見抜いているのだろうか。


 立ち止まったのローゼマリア様は、一枚の絵に視線を向ける。そこに飾られていたのはアデルハイム王国を中心とした、周辺諸国の地図だ。


「レドモンド家が誇る魔法繊維と織物を、あのに牛耳らせるのは、勿体ないと思いませんか?」

「……この結婚で、ローゼマリア様が望んでいるのは、レドモンドの魔法繊維……ですか?」

「それだけではないのですが、レドモンド家の大切な財産を守る手助けをしたいと思っています」

「それだけでは、ない……?」

「あら私の本心は、とっくに伝えていますよ」


 まるで謎かけのように言って笑うローゼマリア様は、再び私の手を引いて歩き出す。


 出会ってから、どんなことを言われたかしら。

 やっと会えたと喜ばれ、着せ替え人形遊びよろしく着替えさせられ、ヴィンセント様の出生の秘密を聞かされた。その一連の流れを思い出しながら、私は首を傾げた。


「ふふふっ、私、娘が欲しかったのよ。こんなに可愛くて賢い子が私の娘になるだなんて……この上ない、幸せですよ」


 朗らかに微笑みながらそう言われたローザマリア様は、中庭に面するガラス張りの廊下を指さした。

 そこには、初夏の花々が咲き誇っていた。


 中庭に出ると、そよぐ風が前髪を揺らして抜けていった。

 バラの蔦に彩られる中、カモミールやラベンダーなどのハーブも、植えられているのが目についた。風が甘く優しい香りを届けてくれるのは、その花々の芳香なのだろう。

 美しい庭園に、何もかも、嫌な気持ちが持っていかれるような思いがした。

 

「花は好きかしら?」

「え?……はい」

「とてもいい笑顔ね」


 花が嫌いな人なんていないと思うんだけど、そんなに見とれていたのかしら。

 少し恥ずかしくなって俯いた時だ。

 強い風が舞い上がり、庭園の中にある美しいモザイクタイルの上に、魔法陣が浮かび上がった。


「ヴェルヘルミーナ様!」

 

 声を上げたダリアは、私たちの前に飛び出し、魔法陣に向かって身構えた。

 一瞬、緊張が走ったが、ローゼマリア様は特に焦りを見せることもなく、ダリアの肩に手をそっと置いた。

 

「心配には及びませんよ。お下がりなさい」


 穏やかな声に命じられたダリアは、私に視線を送って来た。それに頷くと、彼女は少しばかり眉間にシワを寄せて後ろに下がった。

 花びらが舞い上がり、風が渦巻く魔法陣の上に人影が浮かび上がる。

 息を飲んだ直後だった。風が霧散して、長身の男性が現れた。


 身に着ける濃紺の外套の肩に、赤い薔薇の花びらがのっている。その人は、長い指でそれを摘まむと、こちらを振り返った。


 揺れた銀髪は腰まで長い三つ編みで、どこかで見たような気がした。

 すらりと長い足が踏み出され、その指から赤い花びらが、ひらりと離れていく。

 差し込んだ陽射しを浴びて、彼の襟元の徽章きしょうが輝いた。それは、国の魔術師団に所属していることを意味している。つまり、この方が私の結婚相手の──。



「ただいま戻りました、義母上ははうえ

「待ちくたびれましたよ、ヴィンセント」

「申し訳ありません。仕事を放り出すわけにはいきませんので」

「可愛いお嬢さんを待たせるほど、重要な仕事とは思えませんけどね」


 近づいてくる彼を見上げ、私は唖然とした。

 身長は一九〇センチ近くあるだろうか。肩幅もとても大きくて、お父様よりも威圧感を感じる。とても美しい顔をしていらっしゃるのに、見下ろされた私は思わず委縮していた。


「お初にお目にかかります。ヴェルヘルミーナ・レドモンドです」


 精一杯の淑女の挨拶カーテシーを披露した私の指は小刻みに震え、心臓が激しく鳴っていた。だから、彼が小さく何かを言ったのを、聞き逃してしまった。

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