第17話 ヴィンセント・ロックハートの出生の秘密

 肖像画を再び見上げたローザマリア様は、懐かしむようにその瞳を細めた。

 

「クレアのお母様も、なかなか子に恵まれなかったそうよ」

「……お子が授かれないというのは、とても、辛いことなのですね」

「立場は違いますが、アーリック同様、貴族も血を大切にしていますからね。気持ちを分かってくれたのでしょう。……何もかもが無駄に終わり、落胆していた私に、クレアのお母様が仰られたわ。という重圧が、受胎の邪魔をしているのだろうって」


 重圧という言葉に、ドキッとした私は無意識にお腹のあたりを擦っていた。脳裏をかすめるのは、継母の言い放った私の役目──。

 侯爵家ともなればその責務と重圧はなおのことだろう。ロックハート家ともなれば、どこぞの骨とも知らない養子を迎える訳にもいかなかったのだろう。それと比べて、私に課せられた役目は、なんてだろうか。

 私はどんな顔をしてローゼマリア様を見たらいいか分からず、視線を肖像画へと移した。


「一人でも良いから、跡継ぎが出来れば気が楽になるのではないか。養子を受け入れてはどうかと言われたのよ。でも、それは難しかった」

「……諸侯から魔力の強い子を迎え入れたら、跡継ぎ問題に発展すると、考えられたんですね?」

「ふふっ、ヴェルヘルミーナは本当に頭が良いわ。そう、その通りよ。跡継ぎは嫡子と決まっています。養子や庶子に侯爵位を渡すことは出来ない……。養子を迎えたとして、私がその後に子どもを授かったら、魔力の高い息子を養子に出した家は、どう思うかしら?」


 おそらく、嫡子をうとんじるだろう。最悪、暗殺まで企てる者が現れてもおかしくないだろう。

 侯爵家ともなれば、その出産も仕事の内ということか。この方は、その重圧に打ち勝ったのだろうか。子どもを授かることが幸せと言えるようになったのだろうか。

 手を握りしめて息を飲んだ私は、涙でかすむ視界の中、ローゼマリア様を見た。

 

「……ローゼマリア様、お辛かったのですね」

「本当に、優しい子ですこと。泣かないで、ヴェルヘルミーナ」


 バラの刺繍の施されたハンカチが、そっと私の涙を拭った。その先には、優しく微笑むローゼマリア様がいる。この方は、聖母なのかもしれない。


「あなたと同じように、クレアも涙を流して私に言ったのです……『許されることなら、旦那様の子を産ませてください』と」

「クレア様、が?」

「あらっ。驚いて、涙が引っ込んだわね」

「えっ……冗談、だったんですか?」

「まさか、そんなたちの悪い冗談を言ったりしないわ」


 上品な微笑みの中、少しだけ悪戯の成功を喜ぶような、子どもっぽさを見せたローゼマリア様は、私の手を取ると優しく握ってきた。


「クレアは、ひそかに夫を慕っていたそうよ。でも、アーリックが一族以外の子を産むことは許されない上、相手は交易相手である侯爵の配偶者」

「許されない恋心だったんですね……」

「秘密にしておくつもりだった。でも、クレアは私のことも慕ってくれたから、長いこと悩んだ末……導き出した答えだったの」


 許されることなら、一夜の思い出を。

 私にはその感覚がよく分からないけど、いつぞや、屋敷の若い侍女が流行りの恋愛小説の話をしていて、そんなことを話していた記憶がある。恋というのは叶わないと思うものほど燃え上がるのだとか。

 それにしても、そうまでして産んだ子をローゼマリア様に預けたクレア様は、どんな思いだったのだろうか。それに、旦那様はどんなお考えでクレア様と夜を過ごされたのか。

 私には、何もかもが想像のつかない世界だわ。


「夫は私以外を抱くなど無理だと言って、泣いてくれたの。あの人、泣き虫で弱虫で……」

「……ローゼマリア様」

「その言葉で、十分でした。私は侯爵としてこの家を守らなければならないのですから」

 

 だから、クレア様との間に子どもを作るよう言われたのだ。それが、ヴィンセント様の出生の秘密でもあるのね。

 ローゼマリア様たちの気持ちは、私に理解することは難しい。

 きっと、この短い会話の中で話せることは数少ないし、ここにはいないクレア様と旦那様の気持ちを知ることは出来ないのだから、尚のことだわ。だから私には、ローゼマリア様の手を握りしめることしか出来なかった。

 その優しい手に刻まれたシワは、長年、侯爵として闘ってきた証のように思えた。

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