第10話 滞在②


 それから、ハナと合流した僕たちは馬に乗る練習をした。幸いこの村の周縁には開けた道が多くある。『木陰亭』に何泊かしながら、ウィラいわく「森の中を走れるほど」に馬を操る技術を叩き込まれた。


「上に乗ったまま馬の横腹を蹴れば前に進む、強く蹴ればもっと早く進む。これが一番簡単な命令だ」

「馬を蹴るの? ……可哀想じゃない?」

「人間の力で蹴ったところで大した痛みじゃない。それに馬と人では使う言葉が違うんだ。意思を伝えるには体を使うしかないだろう」

「じゃあ言葉を教えれば良いんじゃないの」

「ある程度はできるだろうが、時間がかかるぞ」

「少しくらい……」


 僕たちの反論に、ウィラは大きくため息をつく。


「別にお前たちのやり方で他の調教方法を編み出しても良いが、この世の大多数の馬は『蹴られたら進む』という命令を叩き込まれている。もしお前たちがこの二頭以外に乗ることになった時、あるいはこの二頭がお前たち以外を乗せることになった時に、また一から合図を教え込むよりは共通の方法を最初から教えておいた方が効率が良いだろう」


 ウィラの言葉に僕たちは納得し、そして恐る恐る馬の腹を蹴る練習をした。当然のことながら、思う通りに進まない馬に二人とも大苦戦した。止まれの命令が効かず、あまりに遠くまで走りすぎてしまい、ウィラが馬で迎えに駆けることもあった。

 その日の練習が終わればハナは家の手伝いに戻る。ハナは村に入った時に話しかけた果物屋さんの娘だったようだ。この村に来たばかりの僕に親切にしてくれたのは彼女の姉だった。お腹に子供がいるのに働きたがるお姉さんを、家族はいつも心配しているらしい。


「心配してるのに、姉さんが店に出ると言えばそのまま行かせるし、私が出ていくと言えば許可を出すの。そもそも私は家にいてもいなくても同じだもの。行き先が遠くなって、寝に帰らなくなるだけ」


 そうしてハナは肩を竦め、馬と僕たちに別れを告げて村の中へと走っていくのだ。


 ハナがいない間、僕は少しだけウィラから魔術を習うことになった。


「ルキには魔術の素養がある。お前を連れ去ろうとした大魔導士の指摘は、あながち間違ってもいなかったということだ」

「ずっと聞きたかったんだけど、魔術の素養って何?」

「感受性とか、精神力とか、想像力、あとは体力だ」

「体力」

「物事を広く受け止められて、気が強くて、元気な子供に鍛錬を積めばある程度は伸びる。才能なんてものは大した違いにならない。大事なのは継続と努力だ」

「……案外誰でも魔導士になれるんだね」

「魔法を使うくらいなら誰にでもできるぞ。魔導士となり、それを生業とするには修行と覚悟が必要というだけだ」


 ウィラから習ったのはまず浮遊呪文だ。この世の法則を変える、最も単純なもの。

目の前にある小さな小石を浮かせるために必要な言葉と、それを行使する際に世界が使用者へかけてくる圧……ウィラが『抵抗』と呼ぶそれをいなすやり方を反復して練習する。魔法を使う際に魔導士が手を動かすのは、この『抵抗を流す』イメージをつけやすいからだったのだと僕は身を持って理解した。


「強い魔導士だの、ベテランだのと言われる者は手を動かさないでこれができる。手や体を動かすのが悪いというわけではないが、体の補助なく頭だけでイメージできた方が発動が早いのは分かるだろう?」


 ウィラはそう言って、手のひらを上にして空中で何かを持ち上げる動作をした。すると小石は宙へ浮かびあがる。

 小さな石を浮かせようとすれば、上から大きな圧がかかる。この世界を元のままにしておこうとする力だ。それを掬い上げ、横へ置くイメージで流してやれば、抵抗がなくなった石は浮く。理論としては子供でも理解できるほど至極単純だった。

 僕は何度か練習し、拍子抜けするほど簡単にそれを習得した。習い始めてすぐにこれができるようになるなんて、もしかして才能があるのではないかと嬉しくなった。


「できた! 見てウィラ! 浮いてる!!」

「ああ、上手上手。でもそれは一番効率の悪い方法だから覚えるなよ」

「……ええ?」


 予想外の言葉に振り向いた拍子に石は落ちてしまった。


「これ効率悪いの? じゃ何で教えたの?」

「基礎だからだ。大体の者に教えやすいし、そして応用も効く」

「なら悪くないじゃん」

「このやり方は初心者の上達があまりに遅いんだよ」


 そう言うとウィラは、さっき僕が浮かせた小石を拾い上げて手のひらの上に浮かせる。


「このやり方を使い続けるには、いちいち全ての物理法則を覚えないといけない。これをこうしたい時はこう圧がかかる、というパターンを全て叩き込み、そうすることで初めて新しい魔法を使えるようになる。要するに地道な暗記だ。覚え、そして使えるようになるまでも鍛錬が要る。魔導士は大体爺さんか婆さんだろう。中には若い見た目の者もいるが、彼らも結局見た目を魔力で変えているだけの老人だ。お前にはもっと早く上達してもらいたい」


 そこでとウィラは石を弾き、空中で何かをつまむ動作をした。

 どこかに沈んだ指がその空間をまさぐり、そしてずるりと何かを引き出した。それは細い鎖が輪になって、滴型の赤い宝石を通したペンダントだった。


「これをつけていれば、お前には夜の精霊の加護がかかる」


 そう言いつつ、彼女は僕の首にそれをかけた。長いペンダントは僕の腹のあたりで重そうに揺れた。実際すごく重い。肩を凝りそうだ。


「夜の精霊と昼の精霊は、そんじょそこらの精霊たちよりよほど強い。それに精霊の魔法と人間の魔法は全く異なる。お前は俺の魔法、夜の精霊の魔法を身に付けろ」

「なんか格好良いね」

「だろう。じゃあこれを持った状態で、そうだな、分かりやすくするために手を前に出せ」

「……はい」

「そして念じろ。"俺の言うことを聞け”。その後に"浮け"と」


 僕は言う通りに手を前に出し、目の前の小石に念じた。

 俺の……僕の、言うことを聞け。


「浮け!」


 小石は凄まじい勢いで空へとすっ飛んで行った。あまりの勢いに僕は思わず笑ってしまった。


「すごい! すごいすごい!」

「だろう。このやり方は心の強さが必須になる。強気で行けよ」


 ウィラははしゃぐ僕の背中を叩き、そして強く肩を掴む。その瞬間、今までで一番強く彼女の存在を感じた。

 それはとても心地よく、体の内側が満たされていくような気分だった。

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