第8話 村はずれの洞窟③


 ハナの答えを聞くと、ウィラは優しい顔で微笑んだ。そして僕の方に頬を寄せると「拗ねたか?」と聞いてきた。


「す、す、拗ねないよ!」

「そうか。男の子はこういう時に拗ねるものだと思ったのだが」

「何で拗ねるの……」

「大丈夫だ。俺は誰にも取られないぞ」

「だからそんなこと思ってないって!」


 唇が当たりそうな距離で変なことを言うウィラから顔を逸らして逃げていると、ハナのクスクスと笑う声が聞こえてきた。

 ふむ。このウィラの突然の言動は、ハナの気を逸らすためだったのかもしれない。

 僕は抵抗を諦めて、楽しそうに笑うハナと目を合わせる。


「こんな人だけど、本当に良いの?」

「ふふ、良いよ。楽しそう。私、よく知った人より知らない人の方が好きなの。優しい人より優しくない人の方が好き。ウィラといるのは楽しそう」

「良かった。僕も旅の仲間が増えるのは嬉しいよ」

「ルキとはもっと仲良くなりたい」


 そう言ってハナは手を差し出す。

 僕は微笑んで握り返した。


「よろしくハナ」

「よろしくルキ、ウィラ」


 二度目の握手を緩やかに結ぶ。涙の膜で少し濡れている瞳は、今は溌剌と光っていた。



 三人で洞窟から出る前に横穴をいくつか覗いて、あの時放した二匹のゴブリンを探した。彼らは狭い道の奥で抱き合ってじっとしていた。おそらく、あの悲劇が起きた時もここで身を寄せ合っていたのだろう。

 ウィラいわく、ずっと夜の帳の中に潜ませてしまったから明るい世界が怖いのだろうということだった。


「夜になったら出てくるさ。あとは自分たちで勝手に住みやすいようにするだろう」

「ヨルって何?」

「いずれわかるよ、ハナ」


 洞窟を後にする。太陽はだいぶ真横になっていた。昇る前の陽と沈む前の陽が交錯する、一日で一番明るくない時間だ。夜を知らなかった時の僕が一番好んでいた。

 ハナとは村に入ったところで別れた。彼女もこれからの旅の準備をしなければいけない。親はおらず、お姉さんと近所のおじさんと三人で小さな家に住んでいるそうだ。旅の許可をもらえるのかと心配した僕に、ハナはかぶりを振って見せた。


「大丈夫。私がしたいと言ったことは全部できる。ウィラは知ってるだろうけど、ルキ気付いてた? お願いごとって何でも通るんだよ。だったらいちいち言う必要はないと思うんだけど、儀式だからさ」


 大人びたことを言ったハナは、じゃあと手を振って去っていった。

 ウィラは彼女の言葉に笑うと悪戯を思いついた子供のように手を叩いた。


「皆の願いが叶う世界か。……ハハッ、確かに。おいルキ、試してみよう」

「何を?」

「俺たちの願いが叶うかどうか」


 ウィラは近くのパン屋に近づいた。パンだけでなく、お菓子や薬など日常に必要なものは何でも売っている店だった。中に入ったウィラは棚に並べられている商品を一切見ずに、店主のおじさんに声をかける。


「すまないが、助けてくれないか」

「おやお嬢さん。いきなりどうしたんだい」

「路銀が切れてしまってな。今夜の宿代で精一杯なんだ。数日分の食糧を分けてほしい」


 僕はぎょっとしてウィラを見た。僕の視線を無視して、ウィラは店主と交渉している。店主は終始心配そうにしていたが、最後に大きなため息をついて頷いた。その仕草は、僕との口論を諦める時の母親のそれとあまりにも酷似していた。


「そんなに先を急ぐ旅なのか。姉弟で大変だね」

「ああ。無茶を言ってすまないな」

「良いよ、気にしないで。またお金に困ったらおいで」


 戻ってきたウィラは食料や薬が入った大きな紙袋と、いくらかの紙幣を手にしていた。そして上機嫌で僕に顔を寄せる。


「ルキ、お前は今のがおかしいと思うだろ?」

「……うん。ウィラの言うことを全部信じてた」

「ああ。本当に嘘も疑うことも知らない世界だ」


 ウィラは楽しそうに両手を広げて回る。長いスカートが踊り子のように広がった。


「素晴らしいな。この世は気に食わないが、便利なところはとことん利用してやろうじゃないか」


 良い人に嘘をついて、騙したことへの罪悪感。

 取り戻した感情に名前がついていく。

 僕は居心地の悪さと同時に、肌の内側を走るビリビリした爽快も感じていた。

 

「金など必要なかったな」


 片頬を歪めて笑うウィラは、優しく微笑み背を撫でていた時よりもずっと生き生きとしていた。

 綺麗な顔は整った表情を映すよりも、歪んでいた方が魅力的だと僕は初めて知った。

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