第7話 村はずれの洞窟②
「すごい……こんな大きな空間を岩の中に掘ったんだ……」
僕の声が高い天井に反響する。奥の巨大な椅子には誰が座っていたのだろうか。子供が十人は乗って遊べそうだ。
ハナはそれら全てを見慣れた様子で、巨大な椅子へと駆けていく。椅子の脚にある装飾を使って器用によじ登り、そして王様のように座って見せた。足を組んで座る様子は堂々として、まるで彼女の顔の右半分を覆う赤色のペイントが為政者の証のように見えた。
「似合ってる」
「うん、ルキも来なよ。簡単だよ。崖を登るよりも簡単」
「崖登ったことあるの?」
「ない。正確には試したけど無理だった。二人ならできるかもしれないけどね。この椅子は一人で十分。ほら、まずはそこに足をかけるの」
彼女の手を借りて、指示通りに足を飾りの上に置いて登攀する。どうにか登った椅子の上からは、この空間全てが見下ろせた。やっぱりこの椅子には、ここに住んでいた者たちの王様が座っていたに違いない。
ウィラはしばらく歩き回っていたが、何かを見つけたのか僕たちを手招きした。二人で椅子から飛び降りて近づいてみると、岩に隠れた場所の地面に黒ずんだ何かが飛び散った痕があった。それを見つめながらウィラが尋ねる。
「これはハナの絵具か?」
「違う。私のは液体じゃないもの」
「ならば血だな」
「……血?」
ウィラの言っている意味が分からなかった。血が、どうしてここに?
「ここで暮らし、この広間を使っていた者たちが殺されたんだろう」
「……何で?」
「人間と対立したからだ。あの村の人々か、あるいは彼らから依頼を受けた勇者の一行がここにいた種族を皆殺しにした」
おそらく勇者の方だろうな、とウィラは言った。
そして僕たちの方を振り向いて首を傾げる。
「何だ、意外に怖がらないんだな」
「怖がるべきなの?」
「それが自然な反応だろう」
「だって、殺すなんて……どうやって?」
僕とハナは顔を見合わせて、こちらの方が不思議な顔をした。単語として知ってはいるが、それがどのように行われるかは知らなかった。知らないものを怖がりようがない。
その様子を見て、ウィラはため息をついた。
「……はあ、忘れていた。お前らは命が失われることを知らない子らか」
ウィラは僕たちの頭に片手ずつ置いて、顔の前に帳を下ろすように掌を動かした。
途端、目の前にヴェールがかかったように景色がぼやける。
薄布を隔てた視界の中で、銀色の剣の煌めきとそれが振り下ろされた後に飛び散る鮮血を見た。剣を握っていたのは体の大きな人間で、血を流していたのは人間の腰ほどまでしか背丈のない小人だった。
彼らは肌の色が人間とは違っていた。森の中に溶け込むような樹木の色。緑と茶色が混ざった肌をした彼らは、木を切り出したままの棍棒を握って鋭利な刃に立ち向かっていた。しかしその棍棒はいともたやすく半分に切られる。返す刃がそれを持っていた本人の体も半分にした。
それは蹂躙の光景だった。悲鳴と肉が千切れる音、血が吹き出す音が混ざり合い、耳障りな異音が幾重にもこだまする。
やがて地面が揺れる。人間も小人も一点に視線をやった。僕もそちらに視線を向ける。巨大な椅子に座っていた巨大な王が、怒りの咆哮を上げていた。
そこで眼前のヴェールが消える。
心臓がドクドクとうるさい。
初めて見たこれが「殺された」ことなのだと理解した。
それは到底僕の想像など及びもしない事象だった。真っ二つになった小人の体は痙攣し、赤い血の海に溺れていた。そうしていずれ動かなくなる。
死とは人の手によってもたらされるもの。
ここで行われた悲劇は、間違いなく人間の手によって引き起こされた。
喘ぐように呼吸をして、それでも立っていられずウィラの服を掴む。
隣でハナが声をあげて泣いていた。
僕たちを抱き寄せ、落ち着くまで撫でてくれていたウィラは一言「すまなかった」と告げた。
「言葉で説明するのは苦手でな。子供にとって刺激が強すぎることまで考えが及ばなかった。……大丈夫か?」
僕は首を振る。ハナはまだ泣いていた。僕も泣きたい。でも、衝撃が感情に追いついていない。
ウィラは困ったように僕たちを抱え、岩壁に背中を預けて座り込んだ。
「……お前たちは知っておくべきだと思ったんだ。忘れ去られ、消された歴史を」
僕たちの背中をさすりながら、ウィラが静かに話す。この洞窟で暮らしていた種族『ゴブリン』のことを。人の村と関わりを持たず、離れて生きていたうちは良かった。だが、人と関わり、対立し、そして全滅させられた。
「彼らの命はここにあった。彼らだけじゃない。人間の暮らす世界が平穏であるために、消された種族がいくつもある。お前たちが生きているのは、こうして殺されて死んだ者を、いや、"死ぬこと"自体を厭い、全て隠してしまった世界だ」
ウィラはそう言って、そして僕を抱いていた方の腕を伸ばす。長い袖をめくって、二足歩行の何かが二体おずおずと姿を現した。
それはさっきの映像で見たのと同じ、樹木色の肌をした生物だった。赤ちゃんほどの小さな頭、硬そうな肌に小さな目が二つ。平らな胴体から枯れ木のように細い腕が伸びている。目が小さすぎて黒目の部分しか見えないその生き物は、とても幼い印象を残した。まるで赤ちゃんのような。
それは僕たちの方を見ると、歯を剥き出して威嚇した。姿形は人に似ているけれど動物だ。警戒を表す声は甲高く、脳の中を直接引っ掻かれているようだった。
僕は驚いて息を飲む。
「この二匹だけが生き残ったんだ。俺はそれを保護していた。ここに返すために」
「……子供?」
「そう。横穴の奥に隠されていたから殺されずに済んだ子たちだよ」
行け、とウィラは彼らの背中を押す。二匹は戸惑った様子を見せながらも、ぺたぺたと小さな足音を立てて歩き出した。僕たちがそうだったように、この広い空間を物珍しそうに眺めている。
いつの間にか泣き止んでいたハナが、動き回る小さな彼らを凝視していた。
「…………」
「ルキと俺の旅はこれが目的だ。世界から失われたものを少しずつ世界に返す。お前たちが知らないことも知ってもらう。だがきっと、お前の持っている世界への違和感は解消されていく。……どうする? 着いてくるか?」
「行く」
ハナは涙声でそう断言した。
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