第6話 村はずれの洞窟①


 石の落書きは所々に点在していた。どれも小規模で細やかで、僕は体を丸めた小さな子供が短い絵具を握りしめている様子を思い浮かべた。

 いくつかのそれを追っていれば、やがて目の前に岩崖が現れた。一段高い場所に森が茂っているのがわかる。上へ繋がる梯子などもなく、森へ行くには余程大回りをしなければならないらしい。周囲を見渡したウィラが声を上げる。


「見ろ。あれだ」


 指差す方を見てみれば、少し入り組んだ形になっている岩陰に、崖の中へ入る入り口が隠されていた。


「あそこが洞窟の入り口だろう」


 言いながら二人で近づいた岩陰を覗き込む。

 小さな女の子と目が合った。


「わっ」

「わっ」

「おっと」


 驚いて後ろに下がった僕の体をウィラが受け止める。肩にかかる手をそのままに、僕は目の前で尻餅をついた女の子を呆然と眺めた。

 体が小さい彼女は、僕よりも年下に見えた。くすんだ金色の髪の毛をおさげに結って垂らしている。しかし何より奇妙なのは、彼女の顔の右半分が絵具を塗りたくったように真っ赤であることだ。薄暗い洞窟の中で、それは僕の度肝を抜くに十分な不気味さをしていた。

 しばらくそうして見つめ合って、そして気がつく。彼女は本当に顔に絵具を塗っていたのだ。すっかり乾いた赤色は、小さな目とすっきりした頬を歪に彩っている。彼女の周りには、青や黄色の筆も転がっていた。


「なるほど。美術家は君だな」


 ウィラは笑い、女の子を助けおこした。顔の違和感は全く気にしていないようだ。

 女の子はハキハキした声でお礼を言うと、「何しに来たの」と好奇心に満ちた視線を向ける。


「村の人じゃないでしょ。ここ、私しか知らないのに。村の人も誰も来たことない」

「奥に用があるんだ」

「何にもないよ。空洞があるだけ」

「中を良く知っているようだな。ちょうど良い、案内してくれ」

「いいよ」


 彼女はパンパンとスカートの裾を叩くと、転がっていたカバンに絵具を放り込む。手早くそれを済ませると、きちんと足を揃えて立って手を差し出した。


「ハナ。よろしく」

「よろしく。こっちはルキだ」


 ウィラは彼女と握手をしながら、先に僕の紹介をした。僕は顔への戸惑いが抜けないまま続いて握手をした。ハナは思いがけない力でぎゅっと握って、そしてウィラに目を向ける。


「あなたは?」

「ウィラ」

「花の名前ね。図鑑に書いてあった。見たことはないけど。ねえ、ルキはどうして黙ってるの?」

「え」


 ハナは普通の人の二倍くらいの速さで喋った後、不意に僕へ視線を戻した。黙っているつもりはなかった。口を挟めなかっただけだ。

 でもまさか初対面の女の子にそんな喧嘩腰で当たるわけにはいかないだろう。考えた結果、僕は頭の中にあった疑問をそのまま口にすることにした。


「あ、ええと、……何で顔を赤く塗ってるのかなって、考えてて」


 ハナは合点が行ったと言うように一つうなずくと、そのまま洞窟の奥へと歩き出す。僕は慌てて弾むおさげ髪の後を追った。


「早く行こう。奥は深いし、あまり遅くなるとあなたたち困るでしょう。こっちの方が落ち着くから塗ってるだけ」

「え? そ、そう……」


 彼女の話し方は独特だ。それでも、話すことに無駄がない。淡々とその時に必要な説明をしてくれる。


「半分赤く塗ってない顔は私の顔じゃない気がするの。花の描いてない石は石じゃない気がするし、人がたくさんいるあの村はおかしい。だから赤く塗って、絵を描いて、村の外を散歩してる。村の皆が気持ち悪いの。本当は人に話すなって言われてるけど、村の人じゃないし良いよね」


 僕ははっと息を飲んだ。彼女も何かの違和感に気がついているのだ。

 ウィラを振り返れば、かろうじて外の明かりで照らされるだけの薄暗い洞窟の中で白銀の瞳が頷いた。

 きっと彼女は僕と同じ、気づいてしまった子供だ。


「あのさ、ハナ」

「こっちにも道はあるけど行き止まり。そっちは大きめの空間がある。その奥に井戸水があって、壁にいくつも細い道と空洞があるの。アリの巣みたい。ルキはアリの巣見たことある?」

「え? ないけど……」

「私もない。図鑑で見ただけ。何?」

「な、何って?」

「呼んだでしょ」


 数秒遅れて、ハナが僕の呼びかけに答えてくれたのだと理解した。彼女は口だけでなく脳みそも僕の数倍のスピードで動いているらしい。彼女との会話は耳に神経を集中させ、気を引き締めて行わなければ。


「ハナは昼間の明かりが眩しすぎるって思うことある?」

「ない」


 会話が終了してしまった。おかしい。ハナは洞窟を歩む足を止めないで進む。

 後ろからウィラが苦笑混じりで話に混ざる。


「ルキは君に、一緒に旅に出ないかと聞きたかったんだ」

「え?」

「そうなの?」

「そうだ」


 どうしてウィラが僕の代わりに僕の会話をしているのか。

 でも頭が追いついていないだけで、確かに最後はそう言いたかったのかもしれない。本当に? でも、旅の仲間ができるのは歓迎だ。

 僕はぽかんとした顔を引き締め直し、そしてハナに再び向き直る。


「僕とウィラはこの世界のおかしいところを直す旅をしてるんだ。……まだ始めたところだけど。ハナもおかしいと思うことがあるんだよね。多分、僕と同じだと思う。だから良ければ一緒に行かない?」

「…………」

「もちろん、家族や村から離れることになるけど、食べ物もお金もあるから大丈夫だ。ここまで何日か馬で旅してきたんだけど、楽しかったよ」

「………………」

「あの、もちろん断ってもいいから」

「後で答える。それでいい?」


 よく回る口を閉じてしばらく考え込んでいたハナは、僕の言葉を遮ってぱっと答えを返す。そして立ち止まった。


「洞窟も終わり。この広い空間が最後。何もないけど、何かの巣みたい」


 彼女に倣って見回した空間は、岩でできた広間と言っても差し支えなかった。岩壁をくり抜いただけとは思えないくらい天井と壁がしっかりと補強され、この空間に人が集まってお祭りもできそうだ。

 一番奥には、石でできた巨大な椅子が置いてあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る