第2話 未来の村①
それから。
ひたすら馬の背に揺られて同じ道を進んだ。ただ馬に乗るのも楽じゃない。最初は慣れない高い目線やウィラとの会話を楽しむ余裕があったけれど、固い鞍に乗り続けるとお尻は痛いし、常に揺れる足場で気持ち悪くなるし、ずっと同じ姿勢でいる体が強張って、休憩の時も自力で降りられなくなった。
ウィラは平気で「慣れろ」と言う。ただ彼女の前に座っているだけでこれなのだから、僕が馬に乗れるようになる日なんて一生来ないんじゃないかと思った。
それでも、道端の岩に座ってかじるパンとチーズはこれまで食べた中で一番美味しかったし、休む時はウィラが作る小さな帳の中で眠った。世界と隔絶されたその草原には、小川と山、そして木の葉をそよがせるわずかな風以外何もなかった。
夜の帳の中はいつも静かで少し肌寒い。毛布に包まって空を見上げれば、そこには綺麗な星と月がある。帳に入る度に月の形が変わっていることに気がついたのは三度目の夜だ。ウィラは月と同じ色の目を同じ形に細めて「よく気がついたな」と笑った。僕の隣で岩に体を預け、月の形をなぞるように指を動かす。
「真円がゆっくりと削られて、消えて無くなり、それからゆっくりと満ちていく。それを幾度も繰り返す。全から無に、無から全に。月とはそういうものだった」
「"だった"?」
「今は俺の気分次第だ」
ウィラはそう言うと、ぎゅっとこぶしを握った。再び開くと月は消えていた。窓を拭くように彼女が手を動かすと、両端が尖った鋭い形の月が現れる。まん丸い月が大口にかじられた後のような形だ。
「これは"三日月”。良い形だろう」
「うん。好き」
「気が合うな」
ウィラと目を合わせて笑う。
こうして月明かりの元で話をしているうちに、いつの間にか僕は眠ってしまう。目覚めると帳は消えていて、聴き慣れた小鳥の声と共に太陽が上から差しているのだ。
ウィラの目算は外れ、僕らの進行方向に集落が見えてきたのは旅を始めてから五日後のことだった。
その村は全体を仰々しい柵が取り囲んでいたが、入り口であろう両開きの木扉は開け放たれていた。入り口の看板には「フィアスト」と刻んである。きっとこの村の名前だろう。
馬でその扉をくぐれば、中は随分と殺風景だった。その印象の理由を考え、すぐに思い至る。通りに並ぶ家に色がないのだ。建物はほとんどが切り出した木をそのまま使っている。丸太同士を縄で縛っただけの柱や布を垂らしただけの壁など、簡単に作れそうな家ばかりが並んでいる。
「ルキ、ちょっと降りてその辺の人に宿の場所を聞いてこい」
「あるの?」
見たところ僕の住んでいた村と大きさはそう違わない。訪問者もそう多くないようで、先ほどから僕たちに数人の村人が視線を寄越している。
「普通はある」
彼女の言葉を信じて、僕は馬の背から飛び降りる。同い年くらいの子供を探したが、なぜか一人も見当たらなかった。仕方なく一番近い店の店番をしている人に声をかける。果物の籠を運んでいるのは優しそうな若い女の人だった。
「すみません、この村に泊まれる場所ってありますか」
「はぁい……あら、随分小さい子。一人で来たの?」
「いえ、二人と一頭です」
振り返ってウィラとその傍らの馬を示す。彼女が着ている変幻自在の真っ黒いドレスは、今はロングスカートくらいの長さになっていた。黒色の長袖のワンピース。裾と首元はレースがあしらわれている。ドレスでなくてもどこかのご令嬢のように見えた。
「親子で旅を? それともお姉さんかしら」
「ち、違います。家族とかじゃなくて……えっと、知り合い」
「知り合い」
店員さんは怪訝そうに首を傾げるが、深くは追求してこなかった。旅の仲間、とでも言っておいた方が旅人っぽかったかもしれない。
彼女は果物の籠を置くと、売り台の上に紙とペンを広げた。そして数本の線を引いて簡単な地図を描く。
「宿は一軒しかないの。でも優しいご夫婦がやっているから安心してね。ついさっきうちの果物を卸してきたところだから、お夕食に出てくるかもしれないわ」
描き終えた地図を受け取り、僕はお礼を言う。彼女は「村へようこそ」と微笑んで、オレンジ色の果物を二つくれた。
屈んでいた彼女が立ち上がった時、初めて僕はその人のお腹が前に出ていることに気がついた。
「赤ちゃんがいるの?」
「ええ、そうよ」
彼女は指摘に嬉しそうに微笑むと、丸いお腹を優しく摩った。
「まだ産まれるのは先だけどね。仕事もほどほどにしろってよく怒られるの」
赤ちゃんのいる女性をあまり見たことがなかった僕は、しばらく不思議そうにそのお腹を眺めてしまった。馬の鼻息でハッと我に返ると、もう一度礼を言ってウィラの元へ戻る。もらった果物の爽やかな香りが鼻をくすぐった。
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