第一章 かつての悲劇は歴史の彼方

第1話 幕間


 村を出て馬の背に揺られてわずか数歩で、僕らは夜の帳を抜けた。


 ウィラの「明けるぞ」の声と共に、視界が急速に開ける。空の色は漆黒から徐々に青が滲み、紫になり、どんどんと色が薄くなる。強く目を瞑って開けば、そこにはもう見慣れた青空が広がっていた。

 曲がりくねりながらどこかへと向かう道は、両脇に草原が広がる開放的な道だった。


「ルキ。振り返ってみろ」


 振り返ると、村の入り口にあったはずの門が見えなくなっている。いや、それ以上先に何があるのかが見えないのだ。

 馬の尻尾の後ろは、急にストンと途切れたかのように漆黒に塗り潰されている。顔をどれだけ左右に回しても、上を見上げても、どこにも端が見えないほどの巨大な黒い幕が、僕たちの背後をすっかり覆い尽くしていた。


「……あれが夜の帳?」

「そう。帳とはカーテンのことだ。ああして幕を引いて、夜にする」


 僕は視線を前へ戻す。前には黄色がかった土の道が、どこまでも続いていた。

 遠くの方には山の稜線が見える。この道自体もわずかに傾斜がついていて、平野に目を凝らしてみても土と草以外は見えなかった。

 あの村にはもう戻れないという事実を、分厚い幕となって眼前に示されかのようだった。


「これからどこに行くの?」

「そうだなぁ、しばらくはまっすぐだ」

「ずっと?」

「ああ。横道に外れるのは必要が出てからでいい」

「それが旅?」

「概ねそうだ。どちらにせよ、この近くには何もないぞ。しばらく進めば分かれ道も出てくるだろうが、ここは田舎だからな」

「いなか?」

「何もない場所という意味だ。馬や羊や小麦畑なんかは除外して」

「ふぅん……」


 ウィラの説明は全くピンと来なかった。馬も羊も小麦畑もなくしたところで、家も店も花畑もあるじゃないか。不服そうな僕の様子に気がついているのかいないのか、ウィラは話を別の方に逸らした。


「とりあえず、まずお前には馬に乗れるようになってもらう」

「乗れてるよ」

「違う。自分で一頭の馬に乗って、自由に操れるようになれということだ」

「え」

「それとも、いつまでも俺に抱っこされたいか? ん?」

「そ、そうじゃなくて! まだ一人で乗っていい歳じゃないのに……って」

「歳?」


 ウィラはきょとんと反復した後、鼻で笑った。


「村から出たんだ。もうお前を縛る決まりごとはない。確かに足は短いかもしれないが、小さいうちは小さな馬に乗ればいい」

「良いの?」

「むしろそうしてくれ。二人乗りは速度が出ないんだ」

「分かった」

「あとは料理と道具作り、武器は要らんだろうが、便利な魔術くらいは覚えておいた方がいい」

「ええ!?」


 また大きな声で驚いてしまった。顎を上げて、逆さまの視界でウィラを振り仰ぐ。


「魔法が使えるの?」

「俺の言うことを聞いて、その通りにできたらな。使える」

「うわあ……」

「その前に料理だぞ。お前、箱入りお坊ちゃんだからどうせ何もできないだろう」

「坊ちゃんじゃないって」

「いいや、お坊ちゃんだね。お前が旅人になるか役立たずになるかは、これからのお前の働きにかかってる」

「…………」


 どうにも軽んじられているような気がして、僕は黙り込む。それを肯定と取ったのか、ウィラはよしと頷いた。

 そして前方を長い指で示す。


「山の手前に村がある。ひとまずはそこを目的地としよう」

「どれくらいで着くの?」

「さてな。馬の旅はしたことがないんだ。普段は、あー……"裏の方"を通っていくから」

「今は何で通らないの?」

「お前がいるからに決まってるだろう。人間はあそこを通れない」

「精霊の道?」

「……まあ、そうだな。そんな呼び方はしないが」

「ふぅん」


 話せば話すだけ知らないことが出てくる。おそらく二、三日で着くだろうというウィラの言葉に頷きながら、僕は見慣れない世界の風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 その風は胸をときめかせる冒険の匂いがした。


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