第22話 旅立ち③


 ウィラはすすり泣く僕の肩を抱いたまま、静かに話を始めた。聞きたくないと拒絶する声すら、僕は満足に出せなかった。

 本当に聞きたくない訳じゃない。

 自分が親を失う正当な理由を知ってしまっては、もう悲しむことすら許されなくなると分かっていたからだ。

 彼女はそれでも語った。

 この村に起きた悲劇の、恐らくはほんの一欠片を。


 「あの子は間違いなく人狼だが、先祖返りと言ってな。生まれつき人の姿を取れなかった。人狼という種族にとって、それは忌むべきことではない。狼の血が強く出てしまっただけだからな。それに白銀に赤眼の大狼は、強く気高く、そして賢い。成長すればいずれ彼らを率いる存在となる。この村はあの子を歓迎し、他の子と同じように大切に育てていた」


 広々とした草原で、白の狼と子供たちが駆け回って遊ぶ様子を僕は想像した。大人たちはそれを見守り、時折子どもに声を掛ける。

 それはとても幸福な光景だった。


 「しかし、世界が夜を失った時、人語を解する狼は"ヒト"の村に相応しくないということになった。狼の姿から戻れない人狼は、あの夫婦から引き剥がされたんだ。嘆く夫婦にはよく似た人の子が、親を失った人狼の子には永遠の夜が宛てがわれた。明けない夜の中で、狼として生きることを受け入れさせられた彼は、狼たちと共に帳の中で生きていた」


 森の中で聞こえた遠吠えを思い出す。僕たちを追うように響いていた声。あれはもしかしたら、白い狼への別れの言葉だったのかもしれない。


 「あの子は親の事も、自身の種族の事も覚えていないが、じきに思い出すだろう。この村の人々も、己の一部が奪われていたことを思い出し、そして受け入れる。そうすればいずれは元に戻る。今はまだ眠っているがな、時間の問題だ」


 皆が全てを思い出したら、元通りになったこの村で、この白い狼は優しい母と逞しい父に愛されるのだろうか。

 友達と笑って走り合い、焼き菓子屋さんでお菓子をもらい、心地好い風の吹く野原で寝転ぶのだろうか。

 僕がそうしていたように。

 僕があの狼から奪ったように。


 「こうした辻褄合わせはあらゆる場所で行われた。"彼ら"の理想である"平和な世界"に残っていては都合が悪いことを、全て勝手になかったことにして、作り直した。夜だけじゃない。俺の管轄にあった全てが、世界の裏側へと追いやられて閉じ込められたんだ」


 己が生きていた世界は、神によって、勇者によって大きく歪められた世界だった。

 であるならば

 元に戻さなければ。

 彼らに返さなければ。

 簒奪されたものは元の持ち主へ、元の場所へと戻されなければいけない。


 「何も知らずに奪われたままであってはならない。そうだろう、ルキ?」


 涙はまだ止まらなかった。

 それでも僕は頷くしかなかった。

 その肯定が、自分自身の故郷を、居場所を、失うことと同義だと知っていても。


 奪われたものを取り戻そう。

 ひとつ残らず返してあげよう。

 僕が

 愛する家族をこの狼に返してあげたように。


 そう思って耐えないと、今にも僕は、両親の間で丸くなって眠る子狼を殺してしまいそうだった。


 「ハハ」


 ウィラが笑って、僕を抱きしめる。

 強く強く、その腕は温かい。

 全身が夜に呑まれていく。心地好い闇が肌から滲み、僕の内側を黒くしていく。


 「その燃えるような痛みは"悲しみ"、"憎しみ"、そして"嫉妬"だ。お前が当たり前に持っていたものだよ、ルキ」

 「……息が、できない、苦しい、のどが、いたい」

 「ああ。いくらでも泣け。泣き顔は見ないでおいてやるから」


 ウィラの手が頭を撫でる。

 柔らかな声が耳朶を癒す。

 僕は彼女の胸元に顔を埋め、辛さをぶつけるように泣き叫んだ。


 「旅をしながら、お前の本当の親を探そうか」


 その優しい声音に、僕は何度も頷いた。

 この瞬間から、僕の居場所はこの人の隣にしか無くなった。

 そう認める事は心臓が千切れるほどに辛かったが、同時にひどく心地良かった。

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