第17話 真実③


 夜を巡る勇者と精霊の話は、不思議な魅力を伴って僕の耳に届いた。

 村の大人の誰からも聞いたことがなく、どの本でも読んだことのない話だった。


 「じゃあ、あなたが夜の精霊?」

 「そうだ。魔王と呼ばれることもあるが、そんな大層なものではない。もちろん神を名乗る気もない」

 「ふぅん」

 「……何だ、あっさり受け入れたな。もう少し驚くかと思ったのに」


 からかうようなその口調は、本当に残念がっているわけではないのだろう。


 「驚いてるよ。でも、納得しただけ。僕が明るいところで寝たくないって思うのは、正しかったんだなって」

 「夜が恋しいか?」

 「……どうして。僕は夜なんて知らない。あなたと前に会った時に一回見ただけだよ」

 「でも恋しがっている。俺に会いたかったんだろう」

 「それは……」


 彼女の前でそうだと認めるのは気恥ずかしくて、少し頬を赤らめながら仰向けになる。見上げた彼女の顔、金色の丸い瞳が輝いてこちらを見ている。見たこともないのに、僕はそれが月の色だと思えた。


 「恋い焦がれる眼差しというのは、たとえお前のような子供から向けられても嬉しいものだな」

 「……大人になってから言えって言った?」

 「察しが良いな、お前は」


 彼女は微笑む。そして、まるで大人の恋人同士がするみたいに、僕の頬を撫でた。


 「なあ、ルキ。俺と一緒に夜を取り戻してくれないか」


 それは想像も及ばないほど大規模な話であるはずなのに、まるでおつかいを頼むような気軽さで、彼女は僕を誘う。

 世界の半分を捧げられて、世界の全てを手に入れた勇者の神様から、元の世界を取り戻す。途方もない。考えるだけで無謀だと分かることだ。

 それでも、美しい彼女の懇願は、僕の頭から余計なことを吹き飛ばすほど絶大な威力だった。


 「……いいよ」


 囁くように、僕はそう答える。

 彼女は美しい微笑みを浮かべたまま、僕の上に屈み、そして額に口付けた。


 「ありがとう。愛おしい夜の子。俺はこれから、俺の全てを以て君に尽くすと誓おう」

 「…………大袈裟だよ」

 「そうか?」


 彼女は涼しい顔で僕の手を取り、次は指先に口付けた。


 「も、もういいから!!」


 照れた僕は跳ね起きる。彼女の唇が触れたところが熱かった。その熱は顔全体、体全体に広がって、もう自分ではどうしようもないくらい、僕は真っ赤になっていた。

 くすくすと笑う彼女に、僕は額を押さえたまま向き直る。


 「ねえ、じゃあ手伝う代わりに、一個お願いがあるんだけど」

 「いいぞ。何でも聞こう」

 「名前を教えて」


 彼女はきょとんと首を傾げた。


 「名前がないと呼びにくいじゃないか。さっきのトリスだって、精霊なのに名前があるんだろ。ならあなたにもあるはずだよ」

 「……ああ」


 合点がいったというように、彼女は首肯した。


 「精霊に名前はない。あいつの"トリス"は、勇者につけてもらった名だ」

 「え、そうなんだ」

 「ああ。だから、好きにつけて良いぞ」


 今度は僕が首を傾げる番だった。

 家ではペットを飼っていないから、犬の名前すらつけたことがない。正真正銘、初めての名付けだ。

 しばらく考え、視線を巡らせる。そして目に止まった葉を指差した。


 「ウィラ」

 「ん?」

 「あの植物の名前。この泉の周りにも、あなたの帳の中にもたくさん見かけるから、気になって。ウィラって呼んでいい?」


 彼女はその葉を見て、そしてすごく嬉しそうな顔をした。今までの綺麗な顔と違う子供のような表情に、僕は少し動揺した。


 「そうか。これはウィラと呼ばれているのか」


 彼女の指がその葉を滑る。茎を撫であげ、先端を数度優しく撫でた。

 その指に誘われて、白く美しい大輪の花が静かに花開いた。


 「わぁ……!」

 「この花は夜にしか咲かない。だから夜である俺のそばにいる」


 彼女の指がその花を手折り、そして艶やかな黒髪に差した。どれだけ高い宝石でも、この花ほど彼女に似合う髪飾りはないだろうと思えた。


 「ウィラ。良い名前だ。喜んでそう呼ばれよう」


 花を飾った彼女が笑う。

 胸がぎゅっと痛くなった気がして、僕は胸元を握り締めた。


 認めよう。僕はもう逃れられないほど彼女に強く惹かれていた。

 目の前の彼女は——ウィラは、きっと世界で一番美しい。


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