第16話 真実②
「真実と、現実?」
「ああ」
そう言って彼女は、抱き上げていた僕を傍らに下ろした。泉の上には、いつの間にか柔らかな草が茂っていた。黒の草原。草そのものが黒いのではなく、光が当たっていないから黒いのだと、僕は頭の片隅でその不思議を受け入れていた。
草原で横になり、彼女の太腿に頭を預ける。滑らかなスカートのシルクと、柔らかな弾力が頬に伝わる。
僕の頭を撫でながら、彼女は静かに語り始めた。
*****
かつて、この世界には昼と"夜"があった。
太陽は夕方になると世界の端へと沈み、空を橙色に染める。
太陽のなくなった空には"星"と"月"が現れて、銀と白の静かな光で世界を満たす。
天頂から徐々に下へと空を覆い尽くしていく黒を、「夜の帳」と呼ぶ。
大抵の生き物は、その静けさと暗闇の帳に包まれ、眠りにつくのだ。
夜は癒しの時間だ。生き物は休息し、次の昼への活力を蓄える。
昼間の太陽に照らされ熱せられた体を、夜の風が優しく冷やす。
昼間の活動で得たものは、静かに止まった時間の中で初めて骨肉となり、染み込んでいく。
こうして、皆が眠る静かな時間が昼と同じだけ過ぎた後、世界の端から再び太陽が現れる。
空は藍に紫に桃にと変化しながら、真っ黒の帳を塗り替えていく。
眠っていた生き物は新しい光と共に起きる。新しい一日が始まる。
癒えた体を動かして、伸びをして、昨日とは異なる空気を肺いっぱいに吸い込むのだ。
しかし。
夜は闇。何もかもを覆い尽くす黒は、隠してはいけないものまで隠してしまう。
夜に動く魔物が、人や家畜を食い荒らす。
闇に潜む夜盗が、財や宝を奪い去る。
心の闇から、人は嘘をつく。騙し、陥れ、攻撃する。
ならば闇を全て消し去ってしまえばいいと、世界の浄化を望んだ"勇者"がいた。
勇者は暗がりの全てを悪とみなし、夜をもたらす存在を"魔王"と呼んで、それをひたすらに探し求めた。
探し出して、倒すため。この世界から闇をなくすため。
勇者に同調する者は、徐々にその数を増していった。
魔物を憎む者たちが、悪を憎む者たちが、勇者を応援し、力を貸す。
そうして大きなパーティとなった勇者一行は、とうとう昼と夜の管理者を見つけ出した。
それは神にも等しい力を持つ精霊だ。
時間と空間を司る、世界の管理を任された存在。
世界の半分を占める夜をなくすなど、到底受け入れられる願いではない。
だが、昼の精霊は勇者の持つ光に、どうしようもなく惹かれてしまった。
人の身でありながら、まばゆく純粋な光を放つ勇者を、昼の精霊は愛してしまったのだ。
勇者を愛おしみ、焦がれ、そして、己の持つ力を全て捧げた。
世界の半分を手に入れた勇者が、もう半分をその力で排除するのは必定だった。
いくら勇者と言えど、世界の理を統べる神を倒すことはできない。
だから、永遠に表へ出てこないように、誰も認識できない隙間へ"闇"を追いやった。
こうして、この世界から夜の暗闇が消えた。
太陽が沈んだ後には、もう一度太陽が昇る。
空はずっと明るく青く、暖かな光で満ちている。
永遠の昼をもたらした勇者は、人間の器を捨て、新たな神となった。
世界を無理に改変したことで生じる綻びは、勇者がその光で照らし、見る人の目を眩ませる。普通に生きる人間はそのことに気が付きもしない。
昼の精霊は人の形を取り、愛する勇者のために世界の綻びを修繕して回っている。
*****
「——"昼の精霊"は、人の前では大魔導士を名乗っている。先程のトリス=フェルベスという男だ」
これで全部、と結んで、彼女の長い話は終わった。
彼女の指が僕の髪を梳いて弄ぶ。
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