第8話 森④
「お前、何故ここに?」
冷たくなった彼女のまとう空気に呼応して、森の木々もざわめくのを止めた。彼女の膝で目を閉じていた白い大きな犬が、再び唸って頭をあげる。そうして僕を試すように鼻先を近づけて威嚇してくる。
僕は、きっとこの人は子供だけで森に来たことを怒っているのだと思った。
「ピートが……仲良しの犬が、家に帰ってこないって聞いたから探しにきたんです」
そう言って振り向けば、ピートは泉の周りで困ったようにお座りをしていた。自分のせいで僕がこうなっていると知っているかのようだった。
「父さんにおつかいの荷物を届けに来た帰りに、ピートの鳴き声が聞こえたから、連れて帰らないとって思って、それで……」
「そこの犬の後を追ってきたのか?」
「ううん、違う。声の聞こえる方に来ました」
「声を聞いたと」
僕が頷くと、その人はしばし考え込んだ。
「この泉はな、ルキ。人が立ち入ってはいけない場所だ。動物は鼻が良いから時折来てしまうこともあるが、人の感覚でここは知覚できない。そういうことになっている。本来であれば、ここに来た動物の声なんて、人には聞くことも感じることもできないはずだ」
「え、でも……」
「ああ。お前が来たということは、お前に悪意があって俺の居場所を探し出したのか、あるいは感受性が高すぎたかのどちらかだ」
僕は何も言えずに黙っていた。悪意、なんてないけれど、彼女の瞳が冷たいままだったからだ。きっと僕の心の中にある悪意を探しているのだろう。
彼女のことは何も分からないけれど、こんな森の奥に隠れて住んでいる事情を思いやれないほど僕は子供ではない。
しばらく黙った後、彼女はふうと息をついた。次に僕を見る目は穏やかに細められていた。白い犬も同じようにため息をつくと、彼女の横で再び丸くなる。その所作に少し親しみを感じて、僕は最初ほどこの犬が怖くはなくなっていた。
彼女の手がぽんと僕の頭に乗せられる。
「お前を信じよう、ルキ。どうやら耳が良すぎたらしい。世界が変わっても、アルビノの子はこちらに惹かれるようだな」
「アルビノ?」
「お前のように髪が白く、瞳が赤い者のことだ」
「僕の他にもこんな色の人がいるの?」
「当然いるさ。数は少ないが、ゼロではない。こいつもそうだ」
彼女の手が、僕を撫でていたのと同じように次は犬の上に乗せられる。その犬は僕に瞳を見せるように目をあけた。確かに赤い、スグリのような目をしていた。
僕が見返しても、もう襲いかかってくることはなかった。
「この犬、名前はないの」
「ない。それと犬ではないぞ。オオカミだ」
「……オオカミ」
「そう。かつてはこの森を駆けていた、お前の隣人。さっきは友との語らいを邪魔されたと思い、腹を立てたらしい」
「それで噛むなんてひどい」
「牙でしか怒りを表せないんだ。……人との関わり方など学んだことのない、まだ子供のオオカミだからな。許してやってくれるか?」
「……いいよ。怪我してないし」
僕はそろりと手を伸ばし、オオカミの頭に触れた。オオカミは、犬よりも大きな三角の耳をぺたんと横に倒す。そしてか細く高い音を出した。
「こいつも悪かったってさ」
「……ふうん」
僕はしばらく、ピートよりも硬いそのオオカミの毛を撫で続けていた。
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