第7話 森③
いまだにぽかんと口を開けている僕に、彼女はやれやれとため息をつく。
「説明は長くなるから省いてもいいか。女神の定義なんざ俺には分からん」
「ええっと……」
「しかし、色々と聞きたそうな顔をしているな。簡単なことなら答えてやろう」
「あの、」
「何だ」
「"俺"?」
思わず口をついたのがそれだった。聞き慣れない言葉もあったが、それよりも僕にとっては彼女の一人称の方が妙なのだ。
自分のことを俺と呼ぶ女の人は、たとえ子供であっても一人もいないはずだ。それに話し方も乱雑で、母さんや店番のお姉さんたちとはかなり異なっている。
「男の人なの?」
「……女神と言ったり男と言ったり、忙しい奴だな。俺が男に見えるか?」
「見えないけど、でも、"俺"って」
「ああ」
彼女はじっと僕を見返す。肌と似た色の大きな瞳に黙って見られると少し怖い。
しばらく沈黙が流れたが、急にその相好が崩れ、彼女は楽しげに吹き出した。
「何だ、お前は随分なお坊ちゃんなんだな」
「……別に、普通の家だけど」
「いいや、坊ちゃんだ。世間知らずの温室育ちと言い換えてやろうか」
「む……」
「そう膨れるな。仕方のないことだ。文字通り温室で何不自由なく育っているのだから、淑やかに話す上品な女しか知らないのだろう」
言っている言葉は理解できなくても、からかわれていることは分かる。唇を尖らせていれば、彼女が手招いた。少し迷ったけれど、好奇心に負けてそろそろと近づく。泉の淵へ足がかかった瞬間、彼女の手がぐんと伸びて、僕の体を抱き寄せた。
「うわぁぁっ!」
「大丈夫だ、落とさないから」
細い腕なのに、その抱擁は父さんよりも安定していた。僕はあまりに軽々と腕の上に座らされ、彼女の胸元に抱えられてしまった。
すぐ近くに彼女の顔がある。どんな絵画や彫刻より美しい顔だった。筆で描いたような眉、夢のような角度のまつ毛、輝きを閉じ込めた瞳、小ぶりで尖った鼻筋と、薄く弧を描く薄桃色の唇。肌はどんな絵具を使っても表せないほど透明で白く、内側から光を発しているかのようだった。
顔に見とれている僕の手を握り、彼女はおもむろにそれを胸元へと導く。むにゅっと柔らかな感触がした。
「へっ?」
「女の証拠だ。本物だろう?」
「え、い、い、いや、あの、疑ってるとか、そんなんじゃな、なくて……!」
「アッハッハッハッハ」
彼女はおかしくてたまらないと言ったように笑う。笑うたびに乳房が揺れ、手がどんどんと谷間に深く挟まれていく。腕を掴まれたままの僕はもうどうしたら良いのかわからなかった。
逃げ出そうにもここは泉の真上だ。彼女の腕から逃れたら沈んでしまうかもしれない。僕はただ真っ赤になって硬直しているほかなかった。
そんな僕の顔を覗き込み、彼女は目を細めた。
「気に入った。お前、名前は?」
「る、ルキ……」
「そうか。ではルキ」
腕を掴む手に力が入る。
細めたまぶたの奥、白銀の瞳の温度が下がる。
表情は笑っているけれど、もう彼女は面白がってはいなかった。
静かで冷ややかな声で、彼女は問う。
「お前、何故ここに?」
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