第3話 昼の村②


 湯気を立てるマグカップを傾けていた母さんが、「そうだ」と声をあげた。


 「ルキ、朝ごはんが済んだらおつかいをお願い」

 「また父さんのところ?」

 「そうなの。まだ帰れないみたいだから、着替えを持って行ってあげて」


 僕は承諾した。

 父さんは、村で大工をしている。正確には設計士とか、計画を立てる人だと母さんは説明してくれたけど、父さん自身は金槌と釘を持って屋根の上に登っていることが多いから、僕は大工との違いがよく分からない。


 今、村では全住民が協力して、王都からの使節団を出迎える準備を整えている。全部で三十人くらいの大人数らしい。この村にはそんなに大勢の高貴な人が泊まる用の場所なんてないから、新しく建てるしかない。父さんはそれの中心になって、建築を進めている。

 使節団は三日後に到着する予定だから、最後の仕上げと村中が忙しなかった。当然、宿泊施設なんて一番大事なものを担当している父さんたちは、もうずっと泊まり込んで仕事をしていた。

 王都の使節団はいくつかに分かれていて、この国の全ての地域を回って、何か困っていることがないかとか、そこでどんな生活をしているのかとか、王都にいては分からない実情を調査しているらしい。隣国との国境に近いここにはたまに旅人が立ち寄ることもあり、ちょうど今滞在している旅人達から隣国の情報を得たりもするそうだ。踊りの得意な子たちは集められて歓迎の宴に出る。そうでなくても子供は全員、一番上等な服に着替えて、女の子は花飾りを、男の子は草飾りを髪につけ、総出で出迎えをするのだそうだ。

 全部、村の大人達が話しているのを誰かが盗み聞きして、子供たちの間で広まっていることだった。使節団が隣国で何をするのかまでは分からない。きっと国の大切な仕事なのだろう。

 そんなわけで、今この村は浮き足立っていた。


 おつかいの荷物を背負って通りに出れば、同じように朝食を終えた後の子供たちがちょうど外に出てくる時間だった。いつもだったら誰かと遊んでいるところだけれど、今日は背中のパイが冷めないうちに父さんのところへ行かなければならない。荷物が傾いたら、紫色のフィルベリーのジャムが着替えを汚してしまうから、いつもより姿勢良く歩いていく。朝の太陽の眩しい日差しは、麦わら帽子の長い庇が防いでくれていた。

 地面の小石を蹴りながら歩く散歩中の馬に道を譲り、出会う人に挨拶をして、通りの向こうからかけられた遊びの誘いを「おつかいだから」と断って、でも焼き菓子屋さんの店先で焼き立てのお菓子の切れ端をもらう列には混ざる。売り物にならないものや、切り落としたいらない部分をタダで配ってくれるこの店は、子供たちの間で大人気なのだ。


 「おはよう」「おはよ」「何の荷物?」「父さんの」「広場に行くの」「いい匂い〜」「ねえ遅くない?」「まだだよ」「もう来るよ」「あっ、ほら」


 集まって騒いでいる僕たちの前、焼き菓子屋の木戸が音を立てて開く。みんな歓声を上げておばさんが持っているバスケットに群がった。バターと砂糖のたまらない匂いに、朝ごはんを食べたばかりだと言うのにじゅわっと涎が湧くのが分かる。

 大きくて温かい、よく焼けた色のかけらを一つ手に取って、お礼を言うために顔をあげる。そしていつものおばさんの顔が浮かないことに気がついた。僕は少し迷ったけれど、声をかけることにした。


 「どうしたの?」

 「え……ああ、ルキ。何か言ったかい」

 「どうしたのって。おばさん、いつもと様子が違うから」

 「よく気づいたねぇ」


 おばさんはふう、とため息をついた。お菓子を頬張っていた周りの子たちも、僕たちの会話に気がついたようで耳をそばだてている。


 「実は……ピートが昨日から帰ってこないんだよ」


 ええっ、と驚いた声が上がった。ピートはおばさんの飼い犬だ。大きくてふわふわで、一見髭の生えた怖いおじいさんのような顔をしているけど、子供たちが大好きですぐに飛びついてくる。もちろん、子供たちもピートが大好きだった。


 「散歩に行って迷子になっちゃったかねえ。探しに行ったんだけど見つからなくて。もし見かけたら教えてくれるかい」


 もちろん、任せて、とみんな口々に返事をした。僕も頷いたけれど、さっそく結成されたピート捜索隊にはおつかいを済ませるまで参加できそうにない。

 開店の準備をするおばさんに手を振って、後ろ髪を引かれる思いでそこを立ち去った。

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