第45話


 ここに再度強調しておきたい事がある。これは前頁ぺーじでも述べたことであり読者諸賢には冗長な繰り返しであると受け取られてしまうかもしれないが、それでもあえて言わせてもらうならば、来栖と氷月さんの関係は恋敵なのであり勝負の相手ではないという事を言いたいのである。この表現の差異がいかような意味を持つかと問われればすなわち気持ちの差だ。


 2人は本気の恋をしているとみて間違いはないだろう。本気だからこそ自分以外の子と仲良くしてほしくないと思うのであり、本気だからこそ深く傷つくのである。


 ことに氷月さんのように全身全霊で好意を伝えるタイプはその度合いが大きい。今まで盲目的に好きだと感じていた分、自分以外の子と仲良くしていた事実を知った時ひどいショックを受け、果てはその気持ちが裏返ってしまうのである。私はこんなにあなたの事が好きなのに。どうしてあなたは他の子と仲良くするの? そんな思いが心を支配して嫌いになってしまうのだ。


 来栖とデートをした日の夜。その日はラインを送れなかった。名状しがたい不快感がどんよりと胸中を覆って、トーク欄に並んだ氷月さんの名前を見ているだけで心がもやっとした。しかしそれは僕の都合であり氷月さんからラインが来たらそれなりの言葉を返す心づもりはあった。


 けれど、氷月さんからラインが来ることは無かった。原因は考えるまでもなく分かると思う。来栖と僕がデートしたことを国近さんから聞いたのだ。デートの現場を自分で目撃することと他人から又聞きするのはショックの度合いが大きく異なる。後者の場合、心にぽっかりと穴が空いたような虚脱感を伴い、その穴を埋めるのは真贋の分からぬ嫌悪感である。


「まあ、そうだよなぁ……くるわけないよな……ああ、どうしたらいいんだろう、僕は」


 ここに答えがはっきりしたように思った。理屈で言うなら僕は来栖との義理を果たして満足しているはずだ。彼女の願いを聞いてデートをして、それで満足してぐっすり眠っているはずなのだけれど、この絶望。氷月さんからラインが来ないことに深い絶望を抱いている。そして取り戻したいと願っているのは理屈じゃない。


 はっきりと自覚したことは、すなわち、僕は氷月さんのことが好きだということだった。豁然大悟かつぜんたいごとした閃きではなく、深海の底に光を見つけるような苦しみを伴う自覚であった。それだけに、他に二つとない感情であると頷ける。


「しかし、なんてラインを送ったらいいんだ? 僕が来栖とデートをしたのは事実で誤解は一つもないわけだし、君が好きだなんて送ったところでいまさら白々しいもんな……夏休みだから会おうにも会えないし、そもそも家の場所も分からないぞ? あれ、詰んだかこれ……」


     ☆☆☆


 僕はその日は頭を冷やすためにも眠る事にした。一晩立てば何か妙案が浮かぶだろうと考えて、また、そういう自分にすがりたい気分だった。


 しかし、何も思い浮かばぬまま一日が経ち二日が経ち、三日が経った。


 四日目になり、このままではダメだと悟った僕はガムシャラでもいいからラインを送ることにした。『話がしたい』『ラインを見たら返事をくれ』『僕が悪かった』そんなラインを思いつくままに送ってみた。しかし、一向に既読がつかない。


「……で、どうすればいいかを聞くためにわざわざ俺のバイト先まで来たわけか」


 こういう時は経験者に聞くに限る。彼は年上との恋愛に強いばかりではなく複数人と同時に付き合う術も心得たおよそ褒めるべきところのない男なのである。きっと良い案を持っているに違いない。神崎はため息をついてテーブルにコーヒーを置いた。


「ラインに既読がつかないが。これは、本格的に嫌われたという事だろうか」


「デートの現場をおさえられたのが運の尽きだな。当日に謝らなかった時点でもう手遅れだ。誤解だとかたまたま一緒にいる所を見られたんだとか言っておけばまだ弁解の余地はあったものを」


「だって来栖とデートをしたのは事実なんだから仕方がない。それに、氷月さんからはラインが来ていないんだから誤解だと送るのも不自然だろう? にっちもさっちもいかなくなったから君を頼っているんだ。なにか良い案をよこせ」


「突然押しかけてきて横柄なヤツ。しかしそうだなぁ……」と神崎はソファに腰かけながら言った。「氷月さんの家は分かるか? こういう時はとにかく対面で話した方がいい」


「分からない。詰んだ」


「泊まりはするくせに家を知らないのか?」


「あれは氷月さんが勝手に付いてきたんだ。気づいたのが僕の家の前だったから追い返すわけにもいかず……」


「呆れたヤツ」


「だって氷月さんとのデートは全部向こうから仕掛けてきたことなんだぜ。思い返してみれば僕は氷月さんのことを何も知らないのだ。だいたい、僕からラインを送った事だって数えるほどしかない」


「それでよく見放されなかったもんだな。しかしそうなると厄介だぞ」


「何が」


「氷月さんは君に熱中していた。しかし、それが来栖とのデートを知ったことで一気に冷めた。しかも今度はラインさえ未読のままとなれば好きが裏返って嫌いになったという事だろうな。こうなると女の子はなかなか許してくれないぞ」


 そんなことは僕にも分かっていた。「だからその嫌いをもう一度裏返す方法を教えてくれと言っているんだ」


「お前は俺を何だと思っている。人の心はそう簡単にはひっくり返らんぞ」


「神崎でもダメか?」


「ダメという事は無いがしかし、君に教えてどうこうなるものだろうか? ともすれば教えたところで何度も繰り返す過ちの免罪符にしかならないのかもしれない。そう思うと教えたところでさらに不幸にするだけなのかもしれないなぁ」


「なんだと? 僕が浮気をするように見えるか?」


「現に今しているじゃないか。あっさりどちらかを選んでしまえばいいものをいつまでもうじうじとして、来栖の言い出した勝負にかこつけて女の子2人をはべらせた挙句に片方と連絡が取れなくなった事をなげいている。よし、無事に復縁したとしよう。それで安心した君はまた来栖と仲良くするんじゃないか? ああ、良かった。期限までは時間があるからもう一度ゆっくり考え直してみよう。そんなことを考えるんじゃないか? 馬鹿め。恋慕の情だけで恋愛が成り立つと思うな」


「………何が言いたい」


「氷月さんの事は忘れろ。来栖ならもう少し上手く君の事をコントロールできるはずだから大人しく彼女を選んでおけ。だって一番長くそばにいたんだからな」


「そんなこと……それは、来栖にもひどい仕打ちじゃないか」


「それみろ。いまだって来栖の事を考えているじゃないか。いいか。恋は非情なものだ。君の望むみんなが笑顔の大団円なんてのは無いんだよ。お前は誰かを泣かせることになるんだ。お前に来栖を泣かせてでも氷月さんを幸せにする覚悟はあるのか?」


「……………………」


「悪いが俺はまだバイト中なんでな。君の恋煩いに付き合っている暇などない」


 神崎はそう言うと席を立った。店内はたくさんの客でにぎわっている。僕はコーヒーを一息に飲み干して店を出た。


     ☆☆☆


「あれは言い過ぎなんじゃないの、神崎くん?」


 神崎がバックヤードに戻ったところへ明石さんが話しかけた。


「アイツにはあれくらい言ってやらないとダメです。ああいう理屈屋に生半可なアドバイスをしたところで空想の空焚きにしかならない。よくよく考えて自分で決断を出させた方がヤツのためですよ」


「ふぅん? 友達だったらもっと温かい言葉をかけてあげてもいいと思うのだけど」


「友達だから気兼ねなく突っぱねてやることができるんですよ。俺たちの友情は互いに傷つけあって作り上げたようなものだから」


「変な友情……」


 明石さんは独り言のように呟いて、バックヤードに張られたポスターに目を向けた。「明日だねぇ、夏祭り」


「明日ですね、夏祭り」


「兼人くんは誰かを誘うんだろうか?」


「誘わなかったときは絶交ですね」


 神崎はふんと鼻を鳴らして再び店内へと出て行った。

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